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故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

2016/5/18 仏誌ル・モンドに掲載の記事 An article about him in 'Le monde', the french newspaper

www.lemonde.fr

news.newsdirectory2.com

<日本語対訳>※安村裕子さん、ご協力ありがとうございました。

ジル・ローランはシューベルトシベリウスショスタコービッチの楽曲や、ジャズ、レゲエ、ファンクなどの音楽を好んでいた。彼は聴くことや考えることが好きだった。沈黙を愛していた。運命の変化を進んで受け入れ、予想外の出来事を受け止める姿勢があった。

コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が彼を捉えた。単なる趣味の読書を超えて、この本は彼にとってある種の啓示となった。カリブ人の官能性、絡み合う一族の悲劇、北米からの介入に対する非難…。ジル・ローランは自分自身が抱える問いに共鳴するいくつもの要素を見出した。

彼は間もなく、6か月間の中米の旅へと出発した。北米からコスタリカ、メキシコまで、自分のペースで周った。ディエゴ・リベラの絵画、タンゴ、人類学者カルロス・カスタネダの著作、ボリビアエボ・モラレスエクアドルラファエル・コレアの政治経験など、さまざまな対象に夢中になった。

世界中を何度も旅してきたジル・ローランは、アイルランド、スペインのマヨルカ島、アルゼンチンなど、各地を気に入っていたが、決して世界を消費するだけではなかった。「彼は探し求めていた」と幼なじみのボリスは言う。長年の友人セリーヌ・クルヴェールは、「彼にはなかなか会えなかった。いつもどこかに出かけていて、旅をしていた」と回想する。常に何かに没頭していて、妥協しないところがあり、スマートフォンや車を持たない男。「Facebook なんて、彼にとっては不要なものだったわ!」

ジル・ローランは2013年から、妻の玲子と2人の娘(すず、りり)と一緒に東京で暮らしていた。このサウンド・エンジニアを初めてのドキュメンタリー監督作品『見捨てられた大地』の製作へと駆り立てたのは、日本だった。福島の災害を発端とするこの映画は、人間と自然や伝統との関係を描いている。

ジル・ローランは最後の仕上げをするためにブリュッセルにいた。3月22日、地下鉄に乗り、作品の最初のバージョンを評価するために内輪の上映会に向かっていた。このプロジェクトは現在、パートナーのアレックス・デイビッドソンの手で完成される予定になっている。

ジルが映画の世界にたどり着いたのは、ある程度年齢を重ねてからだった。30代の初めに、映画が彼の情熱を捉えた。それまでは、ベジタリアン・レストランの料理人をはじめ、自分に合う職業を模索していた。メキシコ出身の映画監督カルロス・レイガダスとは、すぐに信頼関係を築いた。

カンヌ映画祭に出品された同監督の『ハポン』、『バトル・イン・ヘブン』、『闇のあとの光』の3作品には、このベルギー人エンジニアのクレジットが掲載されている。フランス在住のイラン人映画監督マルジャン・サトラピの『チキンとプラム』にも参加した。

ジル・ローランは故郷の小さな町ブイヨンで充電するのを楽しみにしていた。両親はフランスとの国境に近いこの町でホテルレストランを経営している。3人の姉のうち一番下のアリスは、「夏には、森でのハイキングが欠かせなかった。彼はどこに行くにもウォーキング・シューズを手放さなかった」と思い出す。

「アルデンヌ地方の雰囲気から影響を受けていたかもしれない」と友人のボリスは考える。「私の兄と彼はよく、スモワ川の岸辺で野外キャンプをしたものだった。彼らはときどき、夜の森での強烈な体験のことを話してくれた」。

精神的なものに対する感受性が鋭かったジル・ローランは、ブイヨンに近いオルヴァル修道院の修道士たちの歌を録音していたという。