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故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

「恋人はサンタクロース」ならぬ、「パパがサン・ニコラ」。 Papa is our Saint-Nicolas

昨年の12月8日は、結果的に、ジルが最後の最後に日本を後にした日でした。

 

12月に入ってからなんとなく、「もうすぐ生のジルの姿を見なくなってから1年になるのか・・」と思ってはいたものの、その日が近づくに連れて、私の胸の中はどこか重いものに包まれていきました。本当の命日は3月22日ですが、この12月8日が、私にとって、彼の”第二の命日”のように感じられていたようです。

 

出発は早朝で、平日であったために空港までは行かず。玄関で子供達と「気をつけて行ってきてね〜!」3人で並んでバイバイしたあの日が、結果として、生身のジルを見た最後の日となりました。

 

ところで12月の6日というのは、ベルギーの子供達のためにとても大事な日です。

サン・ニコラ(聖人ニコラ)という、赤いローブにとんがり帽子、真っ白なあごひげを生やしたおじさんが馬に乗ってやってきて、「一年間いい子だったらお菓子とプレゼント」「一年間悪い子だったとしたら、持参した白い袋に入れてお仕置きしちゃうぞ」という、審判?と甘いご褒美が待ち構えた日なのです。

 

え、でも赤装束と白い髭、そしてプレゼントなんてまるでサンタクロース・・と思った方は、勘がよし! 実は、サンタクロースの”起源”と言われているのが、このベルギーやオランダに伝統的に伝わる、サン・ニコラの習慣なのです。

一説には、アメリカのコカ・コーラ社がこのサン・ニコラを模した広告イメージを12月に作り、サンタクロースというものを始めたのだとか。同じ12月であったためにクリスマスの時期と重なって、それが世界中に広まったという説があります。

 

というわけで、ベルギーの子供達は、12月になると「サン・ニコラ」と「サンタクロース」がなんと別個のものとして2度訪れるわけで、とても美味しい、待ち遠しい季節です。(しかもうちの子供の場合は、年が明けるとお年玉まであるわけですからね・・。)

 

しかし、ハッと気がついたら、今年はサン・ニコラの準備をしてくれるジルがいません。サン・ニコラは、12月6日がメインではあるものの、12月1日から毎日、子供達が玄関に用意したブーツの中、に少しずつお菓子を入れてくれるのです。

ですから日々、子供より先に起きてちょこちょこと用意しなければならないのと、その前にお菓子をどっさり買っておき、見られないところにキープしておく必要があります。

 

私は今年、うっかり1日と2日は忙しさもあって忘れてしまい、子供達に「ブーツ置き忘れたでしょ? だからこなかったんだよ! 今日(2日)置いておけば、明日からは来てくれるはずだからさ」とうそぶいて、慌ててブーツをおかせました。

そしてその日のうちに急いでスーパーマーケットへ赴き、どっさりとお菓子を買い込んできたのですが・・そうか・・去年、ジルはこうして異国である日本のスーパーでちまちまお菓子を買っていたんだろうなあ、と改めて思いました。

わかりやすいチョコレートなどもありましたが、ヤクルトとか、みかんとか、なぜかプロポリスの飴とか(よくパッケージが読めなかったのかなあ)、ヘンなものが選ばれていたりもしました。そんなことを思い出しながら、「あ、これも見たぞ、これジルも選んでたな・・」などと思いながらカゴへポイ、ポイ、と入れていきます。

しかし、そんなことを思いながら動いていると、ただ単にスーパーを廻っているだけなのに否応なく孤独感が増し、寂しさに襲われてズシンとした思いがしました。

 

それにしても、彼が昨年の出発を、あえて12月6日を過ぎてにしたのは、はっきりとは言わなかったけど「サン・ニコラをやってから」という理由もあったはず。

毎年そうですが、昨年も、いそいそとお菓子をブーツに入れるために少しだけ早起きして、そして12月6日当日の朝は、子供達が山のようになったお菓子とプレゼントを前に、驚嘆の声を上げるのを激写していました。

 

ジルが亡くなって1週間後、遺品として受け取ったデジタルカメラの中に残された写真を見て、愕然としたことがあります。

80数枚は、すべて昨年の12月7日の日付で止まっていました。サン・ニコラの当日の写真と、それからその翌日、子供達が絵を描くところを、飽きもせずにずっと撮り続けたもの。それ以外は何も入っておらず、その後の3ヶ月、ベルギーでは何も写真を撮っていなかったのがわかりました。

それを見た瞬間、涙が溢れたものでした。結局、彼にとっては、子供以上にひかれる新たな被写体、ビジュアル的に興味を惹かれるものはなかったのかもしれません。日本を離れてからはひたすら映画の編集作業があったため、スタジオにこもりっきりだったせいもあるとは思いますが。そして、そんな風に同じシーンを撮るだけなのに、何十枚も撮っておく粘り強さも、ああ、ジルらしいなあ、そうだったなあと本人を偲ばせました。

 

今年の6月末、ベルギーの映画プロダクションが催してくれた身内だけの初の試写会 in ブリュッセル。この時、編集担当としてずっとジルと一緒にスタジオ作業をしていたマリ・エレーヌが、そっと私に差し出してくれた2枚の絵がこれでした。「彼はこの2枚の絵を、スタジオにずっと貼っていたの。今日はこれをあなたに返そうと思って」と。

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⇧長女が描いた、サンニコラとお供の馬の絵。「これはサン・ニコラ。描いたのはSuzuだよ」とジルが説明を添えています。

 

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⇧次女が描いたサンニコラは、「お友達の宇宙人と一緒にいます」とやはりジルが書き添えています。(でも、なぜ宇宙人と・・笑)

 

あのカメラの中に残っていた子供達のお絵描き風景。あの時、ジルが子供達に描かせていたサン・ニコラの絵でした。この2枚をずっとスタジオの壁に貼り付けて、毎日仕事に勤しんでいたのか・・。

仕事上の都合とはいえ、生身の子供達に会えなくて3ヶ月以上。スカイプは週に2度欠かさなかったとはいえ、寂しかっただろうなあ。この絵に書き込まれたフランス語はジル。見慣れた筆跡ですが、もう、書いた主はいない。

 

12月はとりわけ家族のことを思う月。

それが、ジルの日本からの最後の旅立ちであったこととも重なって、今まででもしかしたら一番、寂しくて切なくなる月だったかもしれません。事件から数ヶ月の間こそは、ふと一人で外を歩いている移動中、信号待ちの時、またはホームで電車待ちの時などに、ふっと涙があふれる瞬間がたびたび訪れていたものの、最近はそれもかなり少なくなってはいました。けれども12月になって、思い出したように、その習慣が復活。

仕事も決してサボっているわけではないけれども、なぜか能率が上がらなかった。でも、ここまで良きこともたくさんあって、”飛ばして”いただけに、無理もないか! とも思います。

 

ところで12月8日は、お釈迦様が悟りを開かれた日だそうです。

六年間の苦行の後に、悟りを開かれたお釈迦様。奇しくも、ジルと私の結婚生活もそこまでが約6年間でした。文化の違う天然ボケの私との生活、そして自由人なのに一生懸命家庭人をやって、愛する故郷を離れて数年経ち・・もしかして、苦行という部分もあったかな・・?? 今は案外、突き抜けた場所にいて、スッキリしているのかも?なんてことも考えました。

 キリスト教の国に生まれて教育を受けたけれども、その後、仏教にも惹かれていたジル。もちろん、イスラム教にも元来偏見などは全くありませんでした。いずれにしても、分け隔てない、神様的な存在が集まる場所で、大いなるものの懐にも抱かれているといいなと思います。

 

さて、それとは別に、先日の日曜日、12月4日。

ベルギー大使館がサン・ニコラのイベントを催してくれました。日本在住のベルギー人または国際結婚家庭の子供達を招待して、”本物の”サン・ニコラが登場してプレゼントをくれるというもの。よ〜く目を凝らして見ていると、足元がアディダスでしたが・・(笑)。

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マイクを持って、名簿にある子供達の名前を一人一人、呼んでプレゼントを渡してくれます。うちの子供達はまだ就学前なので、辛くも信じています!!「本当のサン・ニコラが来てくれた・・会えた・・この人が毎日、今、うちにきてくれているんだよね〜」「本物、かっこよかったねえ」などと。

 

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大使館で用意されたサン・ニコラの塗り絵に勤しむ子供達。1年経って、昨年より微妙に大きくなっているはずの二人のこと・・今どこかで彼は見守っているでしょう。

パパのスピリットが入ったサン・ニコラはこれからも毎年来てくれるはずです。