故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

最後の足取り。The last footspteps

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写真はブリュッセルの地下鉄のMerode(メロード)駅。事件のあったMalbeak(マルベーク)駅のすぐ隣で、ジルが地下鉄の駅に降りていったのはここからです。

 

前回、ジルが亡くなった時に持っていたMac Power Bookの中のハードディスクが復元された話を書きましたが、その中を探った時に、ある日付に目が留まりました。

 

Wordの書類で、2016年3月22日午前8時53分。

地下鉄の爆発が9時11分ですから、まさに家を出る直前まで触っていた書類でしょう。書類名には"New Synopsis"とあります。「新しいあらすじ書き」という意味です。

 

前日までに全体的な編集作業を終え、映画を最初から最後まで通しで見てみよう、という「スタッフ内覧会」に設定されていた当日の朝。内覧の前に自ら読み上げようと思ったのかな? 文章の終わり方が少し変なので、結局は書きかけのまま残されたようです。2通りある様でした。

 

Quand 5 ans après l’accident de Fukushima la zone d’évacuation commence à sa rouvrir, comment se joue le destin des 3 personnes qui ont refusé de partir et de ceux qui préparent le retour ? Comment s’esquisse pour eux l’avenir dans cette zone sans futur ?

 

Fukushima, 5 ans déjà que Matsumuea san et ses voisins les Hangai continuent leur vie à Tomioka en refusant l’évacuation. Aujour’hui c’est l’heure du retour pour les exilés. L’ étau se resserent sur l’attachement à le terre et le danger latent de la vie là-bas, aujour’hui.

 

両方ともだいたい、以下のような意味です。

「福島での事故から5年(※当時)が経ち、そこに残り続けた人々、そして避難していたが帰宅準備を進める人々の運命はどうなるのだろうか。未来なき未来は、彼らにとってどのような形で現れてくるのだろう。土地への愛着は今日、なお強まり、そして生命への危険はゆっくりと進行し・・・

 

最後まで映画のことを考え続けていたんだな。そう思うと、発見の衝撃と共に胸が苦しくなりました。そして今、これを書きながら改めて落ち着いて思い浮かべると、映画のことを真剣に考えながらもフィルムを披露すること自体にはワクワクして、少し誇らしい気持ちも抱えつつ地下鉄に向かったのではないかと思います。

 

「日時が残されている」ということがポイントということが分かり、さらにハードディスクの中身を探検していくと、同じく3月22日の7時26分。iTunesを触っていたこともわかります。朝起きて、音楽を聴いていたのでしょうか。

 

音楽を聴いたけど消して、きっと朝食をサッと食べて、しばらくこのあらすじ書きをして・・パソコンを「パタン」と閉めて、それを「シャッ」と私が見慣れていたあのリュックに入れて、「タッタッタ」と階段を降りて駅に向かう。・・それらの音声すべてが、ありありと私の耳に再現されるようです。

全て、私が過去に聞き慣れていた音だからです。

 

ジルのお姉さん、シルビーが当時住んでいたのは最寄りが"Merode"という駅でした。事件のあった"Malbeak"駅の隣です。そこからスタジオのあった"Botanique"(植物園がある)という駅まで向かうのが、日課だったようです。

朝の通勤ラッシュが少し和らいだ時間帯。それでも、頻繁に電車は来ていたでしょうから、どうしてあの電車で、あの車両だったのか。朝、iTunesを触っていなかったり、書類書きをしていなかったら、または信号が一つ違えば、誰かとすれ違って話でもすれば。違う電車だったかもしれない・・けれども、そんなことはいくら考えてもキリのないことです。

 

人の運命はわからないものです。生と死の境目って、どこにあるんだろう。

 

けれども、この最後のジルの足取り。「新しいあらすじ書き」を確認するに、やっぱり私はこのバトンを引き継ぐのだと思いました。家族だったからこそ、渡してもらえたハードディスクです。もう彼自身の口で伝えることは出来ないけれども、ジルが伝えたかったことが、ここに残っています。