故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

忘れることも大事、忘れないことも大事。It is important to forget, but at the same time never to forget.

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カズオ・イシグロ氏のにわかファンになっている。

ノーベル賞受賞後に店頭に堆く積まれた数々の文庫本の中から、私がなんとなく選んだのは「忘れられた巨人」。

 

数年前にNHKで放送された、「カズオ・イシグロ文学講義」という番組がたまたま再放送されたのを読書中に観たのもあり、この本のテーマがとてもわかりやすく、私の中にスーッと入ってきた。

 

舞台はアーサー王亡きあとのイングランド。なぜか過去の記憶が途切れがちで、しかしそれゆえに不安ながらも平和のなかで暮らす民たち。それはその地の奥深くに住む龍の吐く息がもたらす霧のせいだった。そしてその龍を、意図的に生かしている存在があるのだった・・。

 

「私たちは歴史の中で、実際にあったことをなかったことにすることはできない。でも、始終思い出していれば前に進めない。忘れることも必要である。けれどもでは、いつ思い出すべきなのか。忘れることも必要ななかで・・」

 

国家間の紛争、忘れたくなる虐殺や搾取の歴史。信じがたい、実際に起こったことの数々。

かたや、寝た子を起こすなという言葉もあるように、知らずに済んだほうが仲良くできたこと、できそうだったことも、確かに、ある。

 

これは国家間のことに関わらず、個人的なケンカや失敗や、それによって生じた痛みや憎しみなど、様々なことに当てはまる永遠の課題だとも思う。

 

前に進んでいくためには、ふだんは忘れ切っていることが必要。けれども折に触れ、それによって犠牲になった人たちの葬いのためにも、思い出す必要性があり、決して忘れてはならないこと。

 

私が約2年前に、夫をテロで亡くすという経験をしたこともそのひとつに当てはまるのではと思っている。

ふだんは、それを忘れているほうの細胞を頼りに、生活をしている。

けれどもそれと同時に、決して消えない過去として、悲しくとも葬い続けることが私に託されたひとつの仕事であり、それは私が生きているかぎり、永遠にこれからも傍にあり続けるものでもある。

 

70年前の戦争の大惨禍のあと、どうやってこの国が立ち直ってきたのか。発展の明るい歴史のかたわら、忘れてはならない、人間がいかに残虐にもなりうるかという危険性の存在。それを見て見ぬふりをするのではなく、知っていつつも、少しでも悲劇が減少し癒されていくように、少しでも世界平和へとつながっていけば・・という祈りは本当に大切だ。

 

明るくて笑いもある毎日。

でも忘れない、葬いのこころ。

結局、それを併せ持った、「祈り」を信じることしかないのかなと思ったりする。

 

それにしても、重要なテーマさえ決まれば、それを現代、過去、さらにはSFにまで広げ、または場所も問わずにもっとも適した舞台を決めて展開することができる・・そんな素晴らしい才能とメソッドをもった、そしてをれをわかりやすく解説してくれる紳士的な態度を持ったイシグロ氏はすごいと思う。

 

その1年前、期せずして文学賞を受賞したことでその動向があれこれと話題になったボブ・ディランとは好対照だけれども、彼のほうもあれはあれで、彼にしかできない対応であり、その正直さがよかった。

 

誰が文学賞をもらうのか? その意味は?

 

例えば村上春樹の本なども、日本人である私以上に読み、本好きだったジルだったら、どう思っただろう。

ここ最近の受賞者の話題などに、どんな感想を持ったかなと、そんな話も実際にしてみたくなる。

何も聞こえないけれども、心をすませば、何か語りかけてくれているような気がしている。