故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

バグダディ容疑者が死んだ

バグダディ容疑者が死んだそうだ。

「世界はもっと平和になった」とトランプ大統領の弁だが・・

「あぁまた生け捕りにできなかったのか」と思ってしまった。

 

ビンラディン容疑者が2011年にアメリカ軍の作戦で殺害された時。

当時、ジルが言っていた。「なんで、ちゃんと生け捕りにして、テーブルに付かせて、”どうしてこういうことをやったんだ”と話をさせなかったのだろう」と。

 

理由を言ったら許してあげる、ということではない。それよりも、こんな残虐行為に正当な理由があるかのようにセルフマインドコントロールをし、さらには周囲を巻き込んでしまう人間がいるということ・・人間が、人間で亡くなり、ただただ残虐で空っぽの”ヒト”になってしまう過程を、とき明かさないと、また次が出てくる、ということを見据えていたのだと思う。

 

期せずして、ビンラディン亡き後、その仇を取るように”続き”が現れた。

それが、バグダディだった。

両者はストーリーの中でつながっており、もしもあの時、ビンラディンが死んでなければ、その復讐を誓うかのように台頭したバグダディの勢力も現れたかどうかはわからず、ひいては、私の夫、ジルも死んでいなかったかもしれない。

 

人の運命は、社会のような大きな流れと個人の小さな流れが時に接触し、取り返しのつかない「命の奪取」を生み出してしまうことがある。

 

トルコのクルド人掃討作戦で、また息を吹き返すのではないかと憂慮されているIS軍団。夫が期せずして心中させられてしまったのは、そのISの末端人物だった。

 

組織が植物だとすると、その目立つ花の部分だけを切除していくことで、その植物を壊滅なんてできるだろうか。むしろ、そこで飛び散る種がまた、違う場所で期せずして育ち始め、手が追えないイタチごっこになるということはないのだろうか。

 

「誰かがテロリストになる可能性」。

それこそが、世界をあげて科学的研究をして行かなければならないことなのに。その格好のサンプルを、危険だから殺してほらOK、ということでいいのだろうか。

 

安心すべきニュースなんかではない。安心できるとしたらほんの短期間。

テロリスト生産の根っこを掴む、心理的な解明を世界各国の関係期間にはぜひどうかお願いしたい。