故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

「鬼滅の刃」作者・吾峠呼世晴さんへの手紙

ことしの1月。

鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴さんに当てたファンレターを書いていた。その下書きを、在宅勤務中のコンピューターの中に見つけた。誰かにファンレターを書くなんて、人生の中でも数えるほどしかない? というか、最後はいつ、誰宛だったかさえ覚えていないし、もしかしたらわざわざは書いたことがなかったかもしれない。

 

これを書いた頃は、まだ映画の公開も何月なのか明らかにはされていなかった頃だけど・・もうすぐ待望の劇場版が公開! もちろん、親子3人で見に行くつもりです。

 

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「 吾峠呼世晴

  

 私が「鬼滅の刃」を知ったのはヒットニュースのようなものからであり、お恥ずかしながら遅い方だったのですが、その世界を知るや否や、あっという間に、文字通り虜になりました。

 

 実は、私は「鬼滅の刃』の連載が開始した2016年に、当時46歳の夫を無差別テロで亡くしています。

 

 夫はベルギー人で日本に一緒に暮らしていたのですが、当時、たまたま本人の仕事を兼ねて単身で帰省していたブリュッセルで、地下鉄での自爆テロに巻き込まれ、即死しました。ISに感化された若者たちによるテロでした。

(前年の2015年11月には、パリのカフェやコンサート会場で多数の方が亡くなりましたが、同じ犯人グループによるものでした。)夫と共に亡くなった方々は、同時に起きた空港でのテロと合わせて31名いらっしゃいました。

 

 その時、私は日本におり突然の訃報を受けて、現地に居合わせた訳ではないのですが、そのとき、どうにも言葉に表せない物理的な衝撃を感じるとともに・・

 

 その犯人の「像」のようなものを目の前で目撃したような気になったのでした。それは、元・人間であっただろうにも関わらず、すでに人間ではなくなってしまった“のっぺらぼう”、何かに乗っ取られてしまった「魂なし」の影のような存在でした。そうでないと、こんなことは出来ないはずなのです。

 

 対・人間ではないものに対峙した。そのせいか、本来なら感じていいはずの「怒り」はすぐには生まれてきませんでした。

 

 ただ、夫の実の両親や姉妹たちがものすごい悲しみに打ちひしがれ、怒りを堪えている姿を見たとき・・やっと私も「彼らにこんな思いをさせたのは誰だ!」という怒りに襲われました。そして、子供達(当時4歳、5歳の2人の娘が)を振り返った時、「彼女たちが将来、二度とパパには会えないのか」ということを自覚したとき、やっとえも言われぬ不公平感、憤りが沸き上がってきました。

 

 つまり他人を介在したときに、やっと“怒り”系の感情が湧いてきたのです。でも、どちらかというとそれも瞬間的であり、持続的なものではなかったのが自分の中でも意外でした。そして、その基本的な感じ方については、実は今に至るまであまり変化していません。

 

 日々を共に過ごしてきた夫が、知らぬ間に自分の分身のようになっていたのでしょうか。それを突如もぎ取られたこと自体にあっけに取られ、呆然とするに近い感覚だったのです。私個人が目撃した「魂なし」は、元・人間の“鬼”だったんだな、と思っています。

 

 ISが台頭した背景には、それ以前にアルカイダがあり、その前には・・と、複雑な歴史とその中に翻弄されてきた人々の思いが控えています。誰か個人を名指しして「悪い」と言えるものではなく、歴史の中でのいろいろな「悪念」のようなもの、「因縁」とも言えるようなものが、脈々と誰かから誰かに受け継がれているのだろうと想像します。

 

 夫を自爆テロに巻き込んだ犯人も、軽犯罪を繰り返してはブリュッセルの刑務所に出たり入ったりを繰り返していたそうです。そんな中たまたま出会った誰かに「悪いのは社会のせいだ」「社会に復讐しろ」と吹聴され、仲間に引き入られてしまえば、 “復讐は正義”であるかのように洗脳され、受け入れてしまったかもしれません。

 

 漫画を読んで本当に興味深く、今までと違うなと感じたのは、“鬼舞辻無残”という存在が1000年という時を超えた、人類の中に潜む「因縁」のような存在で描かれているような気がしたことでした。

 

 世は単なる善か悪かで二分できるものではなく、どちらもがもしかすると、元は善(=人間)という一つの源から派生していて、悪(=鬼)も浄化を重ねれば善(=人間)に戻っていけるやもしれぬこと・・などが「鬼滅の刃」の世界観には色濃く感じられ、それが本当に素晴らしくて大好きです。

 

 存在してくれて、ありがとうという気持ちでいっぱいなのです。

 

 私がテロリストに対して感じていたこと。憎むべき対象は末端の本人たちではなくその洗脳の背景や正体であり、犯罪者となった彼等も何百回かの生まれ変わりを通じて、また善なる人間に戻ってきてほしい。そんな風に、漠然と思ってきたことを「鬼滅の刃」がなぞってくれたような気がして、ひそかに癒しを感じています。

 

 「鬼滅の刃」を好きになる方のそれぞれ思いは個別のものかもしれません。

 

 でも、大ヒットをしていることが、社会は遠い将来において、慈悲と智慧に満ちたものにもなり得ることの、予兆なのじゃないかと、希望的に考えたりもしています。ニュースを見ると、今の日本には災害で自分以外の家族を全員失ってしまったり、正体不明の犯人に家族を殺害され、充分に追及するすべもなく、やるせ無い思いをしている方々も少なからずいらっしゃると思います。そんな方々に対しても、鎮魂歌のような役割を果たされているのではとも感じています。

 

 思い込みの激しいコメントが続いていたら申し訳ありません!

 でも、なんとかこの思いをお伝えしたく、書かせていただいた次第です。

 

 私の娘たち(現在は7歳と9歳 ※当時)も、「鬼滅の刃」の大ファンです。私がストーリーのイントロを話すと非常に興味を持ち、コミックを全巻読破し、ファンブックも読み込んで全キャラクターの名前や来歴に精通しています。サンタクロースのプレゼントに「鬼滅の刃を全巻」とそそのかしたのは私ですが(笑)、今回、「一緒に作者の吾峠さんにお手紙書かない?」と言うと、いつものテレビを観る時間を何回か削り、書きたい漢字を辞書で調べながら一生懸命仕上げていました。同封させて頂きます。

 

  これからもずっと応援させて頂きます。お身体に気をつけて、頑張ってくださいね。

                            

2020年1月○日

鵜戸玲子

 

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子供達が書いたお手紙は、手書きだったので残念ながらここには残っていないけれども・・。当時、家の黒板にこんな落書きをしていました笑。