故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

お母さんと話したい。 〜劇場版「鬼滅の刃」で考えた私の”幸せな夢”〜

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〜また今週末も見に行った、劇場版「鬼滅の刃」。自分にとって一番幸せな夢ってなんだろう?と思った時に、思い出したこと。〜

 

 

ここ2年半ほどの間に、たまに見る夢がある。

そんなに頻繁ではなくて、半年に一回くらいかもしれないけれども・・。

 

その夢はというと、母が以前のように元気で喋って、動いている夢だ。

夢の中で私は、

「あぁ、お母さん、すごい! さすが根性あるな。やっぱり強い人なんだよな。

あの状態から復活するなんて、本当にすごい。」と思っているのだ。

 

私の母は、2年前の3月9日、地元の九州で交通事故に遭った。

 

青信号の交差点を自転車で直進していて、前方不注意だった右折車に跳ねられてしまった。

その日を境に、遷延性意識障害、いわゆる”植物状態”になってしまった。

当時まだ75歳。直前まで元気いっぱいだった。

 

その日の朝にも、私あてにショートメールで

「天気が不安だけど、通園、通学、通勤頑張ってね!」と

メッセージをくれたばかりだった。

(当時、下の子が保育園、上の子は小学1年生)

 

そしてその3週間ほど前まで、東京に2週間ほど、滞在してもくれていた。

私から始まったインフルエンザが子供にまで移ってしまい、

はるばる九州から東京まで長時間の旅を経て出てきてくれて、

この慌ただしい母子家庭の日常を手伝ってくれたのだ。

 

ジルが亡くなった時も、その後にジルが残した映画のことでたくさん活動をしなくてはならなかった時も。

遠いから頻繁にとはいかないけれども、うちに来てくれて、この”活動量だけはあるワガママ娘”を支えてくれた。

 

帰ったらご飯がある、そして孫たちの送り迎えも。

限られた短期間でも、それがどんなに幸せなことだったか。

でも、いろんなことをまるで”娘”のように甘えられたのは、そのときが最後になってしまった。

 

母が入院したまま物言わぬ人になってしまったのが今でも時々信じられなくて、

あぁお母さんと話したいなぁ、と時々、思う。

 

事故から5ヶ月ほどが経ち、ある時から眼だけは開くようになった。

けれども、視線があるのかないのかは、わからないまま。

 

本来なら、亡くなっても仕方がないくらいの事故で脳に大打撃があったのだが、

まさに紙一重で繋がり、今に至っている無言の命。

 

よく、交通事故などがあると、”死傷者何人”とか、”けが人何人”などとレポートされるけれども、なんてざっくりとした表現なんだろう、と思う。見出しだけだから仕方がないけれども、怪我と言っても、かすり傷から死に99パーセント近い怪我までが、存在する。

 

母の場合、死者ではないし、死亡事故にも数えられなかったけれども、

私はその日を境に、母を”失って”しまった。

 

ジル(※私の夫。2016年3月のベルギー地下鉄テロで亡くなった。思えばちょうど鬼滅の刃の連載が始まった頃だ)が犠牲者になってしまった後から、テロについても「何人」という数字を聞く旅に、あぁその背後に、どのくらいの人々の、何十倍の生身の嘆きがあるのだろう、と思うようになっていた。

でも、それでは十分じゃなかったのかな。

そんな思いが、また強まった。

 

ただ、母がマックスな形の障がい者になった事で、傷がいについて考えるときに、それはそれで大きな転機となった。

どんな形であっても、自分の力でどこかへいける。または自分の意思を伝えられる。

笑いかけられる。それだけでも、すごい事。

私の視点が母に起こったことを通してまた、開けたのも確かだ。

 

相模原市障がい者施設の事件のことも。

池袋の暴走事故のことも。

私にとっては、何一つ人ごとであることがない。

 

(話したいことは山ほどあるけれども・・それは一旦、横においていて)

 

 

さて、なぜ今回は夢の話から入ったのかというと・・

 

またまた2度目、娘たちと観に行った劇場版「鬼滅の刃」。

そこで出てくる重要なモチーフが、「その人が一番観たい幸せな夢」。

 

主人公・炭治郎が見るのは、惨殺される前の家族が皆、元気で、

鬼にされた妹もまだ人間であった、幸せな元の「日常」

 

本当ならこのままだったのに、と。

そこに居たい、と願いながらも「もう失ってしまった」ことを再び悟り、勇気を振り絞って決死の思いで現実に戻ってくる炭次郎。

 

本当に本当に、切ない場面だ。

 

私に関わらずある日を境に、大事な誰かを失ってしまった人は世界中に大勢いるわけで。

 

2度と会えない、もしくは喋れないはずの人に夢で会えて、「なんだ、大丈夫だったんだ! よかった」と思いながらも、残念ながら夢から覚める・・という経験をしている人は、少なくないだろう。

私にとってのそんな夢は、母と話せている夢だな・・と改めて思ったのだ。

 

けれどもなぜか、ジルに関しては、違った形の夢を見る。

 

ジルが生前のような姿で私のそばにおり、2人で喋っているのだけれども、それは”ジルが亡くなる少し前の時間である”という設定が、私には冷静に分かっているというもの。

更には、ジル自身もわかっているようだ、ということもある。

 

そしてその会話の中で、私はジルに「ねぇねぇ、自分が亡くなるとしたら、これはその後どうしたい? あれはどうしておきたかった?」と尋ねているというパターン。

 

子供がまだ小さくて、一緒に決めなくてはいけないことが多くて、帰ってこないのは知っているけれども、未だになんとかしてもう少し情報を得たい・・と思っている私の心理が反映されているのかもしれない。

どこかでまだ、2人のプロジェクトがあるのだから、とも思っていて、進行形なのだろうか。

 

一方で、母が出てくる夢は、いつも「あぁよかった、母が元気になった」と安堵しているパターン。母の生命力とか奇跡とかを、どこかでまだ信じているのだろうか。

それとも、あり得ないことだからこそ、”幸せな夢”として、見ているのだろうか。

 

娘として甘えたい気持ちがまだまだ、あるのかもしれないな、とも思う。

 

少し前に、私が寝言で「お母さーん! お化けが出た、怖い〜」と言っていたらしい。娘2人が聞いていた。その時すぐには言わなかったけど、しばらくたって、何かのきっかけで思い出した2人が、ちょっとだけニヤッとしながら、伝えてきた。

でも、決してからかうような言い方ではなかった。

変な話だけれども、娘たちにも、同じ気持ちが分かるからだろう。

 

同時に、まだどこかで”娘でありたい”私が露呈されてしまったようで、ちょっと恥ずかしかったが・・(笑)。

 

 

幸せな夢は、「癒し」と「落胆」とを、一緒にもたらすものだ。

 

でも、「癒し」の方が大きいかな。

 

今日は2度目の映画鑑賞だったから、セリフも細かく入ってきた。

愛しい家族に背を向けながら雪の中を走り出す炭治郎のセリフ。

「いっぱい、ごめんね、って思うよ。いっぱい、ありがとうって思うよ。」と。

 

時間は巻き戻せないけれども、前へ進むしかない。進んでいると違う形の幸せが見えてくる。そして、心にヒビは入ったままだけれども、自分の視界は以前よりも驚くほど広がっている。

 

もう甘えられないけど、ギリギリまで私を今あるところまで、繋いでくれたお母さん。

 

まだ1%の奇跡もあるかもしれないけれども。

そうでなくても、日常にはたくさんのキラキラがあるから。

 

心のひび割れを治すのは、身体の再生能力の高い鬼よりも、人間の方がずっと得意だとも思う。

 

いっぱい感謝して、前へ進み続ける。

 

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当時、母の交通事故から立ち直れたのは、何冊かの本によるところが大きかった。これもそのうちの大事な1冊。「私の夢まで、会いに来てくれた」。3.11で家族を亡くした人の物語ですが、夢を見た体験談にスポットが与えられていて、読みやすい。突然に不幸なことが起きても、何人失くしても、その苦しみから立ち上がるのは自分だけではない、ということ。そして、夢の持つ癒しの力を感じさせてくれる本です。