故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年 ⑥

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2009年秋、私の初めてのベルギー訪問。

当時ジルが住んでいた、ブリュッセルのサン・ジルという地区にあったアパートにて。

 

Vol.6 出会いから12年だったのか。

 

昨日のブログを書いた後に何人かの方にメッセージをいただいて、私とジルが出会った2009年という年のことについて、改めて思いを馳せた。

 

ジルが作ったドキュメンタリー映画「残されし大地」のモチーフとなった東日本大震災からもうすぐ10年。そして、ジルがなくなったブリュッセル・アタックから5年。5とか10とか、奇しくも区切りのいい数字が近づいてきたところで、「周囲の人と何かを今一度シェアできたら」と始めたセルフ連載だった。

世の中で何か大きな事件からの振り返りを問うときの報道。または何かを祝う時のイベント。大抵は5の倍数で考えることが多い。

 

でも、そうか。「出会ってから12年」という節目だったのか、と改めて気づいたのだった。

 

12年というと、1ダース。今や十進法に支配されている世の中だけれども、欧米では長らく12がひとつの単位だったはず。だから言葉も、12までは独自の呼び名が存在する。英語ならeleven, twelve。日本でも、干支が一周りするのは12年。そして西洋占星学の世界でも、12年というのは木星が天空を一周する期間で、一つの区切りとされる。

 

時の流れは、実は一直線ではない、という噂もある。

(噂と言っていいのか分からないけれども。)

 

もしかしてぐるぐると輪を重ねて行く樹木の年輪のように、時は前へと進んでいるようで、巡回しているものだったとしたら。12年前というのは、結構前のことのようで、隣に再び巡ってきているようなものかもしれない。

そんな”再び身近になる過去”みたいなものなのかなぁ、とも。

 

 

さて、この写真はデータを見てみると2009年の10月1日に撮影している。先のブログでも書いたように、この年の夏、ジルがはじめて日本に遊びにきた。そして、お互いに「友達のままでも十分良い感じだから。あまりそれ以上の期待はしないようにしよう」と思っていたことが後からわかるものの、実際は会ってすぐに意気投合して、付き合うことになった私たち。

そうなったからには、というわけではないが、私の会社の夏休みの締め切りが10月までで未使用だったこともあり、その返礼に今度は私がベルギーに行くね!となったのだった。

 

当時は直行便がなくて、まずは旧知のロンドンから入り、そこで2年ぶりに会う友人たちと旧交を温めて・・。そのあと、ブリュッセル行きのユーロスターに乗った。

 

ブリュッセルの南駅で降り立った時、ニコニコと笑うジルが、「ロンドンで何してたの? ベルギーに直ぐ来ないと(笑)」と冗談を言いながら迎えてくれたことを思い出す。

 

ジルは私が今まで付き合った人の中では、一番細やかなセンスというか、フェミニンな感性を持っていた人のように思う。この写真にあるように、アパートの中には白い花が飾ってあって、それは私が来るから、用意していたものだという。割と大雑把な私からすると、それはちょっと戸惑うようなおもてなし。

 

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久しぶりにこれらの写真を発掘。でも私の記憶の中では、もっとワサワサと10本くらいあったような気がしていた。記憶って都合良くというか、ラフに書き換えられてしまうものだなぁ(笑)。

 

東京の住宅事情からすると、一人暮らしにしてはとにかく広く感じたアパート。首都なのに賃貸料金は日本の半額くらいだということだった。

 

でもこのアパートは、この後ジルは直ぐに引き払ってしまうことになるのだけれども。(この後程なくして日本とブリュッセルを行ったり来たりの生活になるため、ブリュッセルではもっと小さな仮住まいでいいと判断し、友人宅への間借りへと変更したため。)

 

「色では一番、白が好き」と言っていて、それも気が合うところだった。この時の花は、バラだったんだ・・とそれも今改めて、あやふやな記憶が塗り替えられた。

 

確かこの最初の訪問で過ごしたのは1週間くらいだったけれども、姉妹や友人など、いろいろな人に会わせてくれた。初めてのベルギーだったから、いわゆる観光地にも連れて言ってくれた。

 

彼はもともとベルギーでもワロン地方というフランス語圏の出身だけれども、みんなが知っている「フランダースの犬」のあるフランドル地方は、オランダ語圏。「どこか行ってみたいところは?」と聞かれて、「えっと、ブリュージュ! あと、ゲントとか。」と言うと、「え、それ全部フランドル地方じゃん。」と返されたが、ちゃんとレンタカーで次々と連れて行ってくれた。けれどもそれはある意味、”国内での海外旅行”のようなものだった。

 

それはどういうことかと言うと、ベルギーは、約180年前にヨーロッパの中で”緩衝地帯”として人工的に建国された国で、ワロン地方(フランス寄り)とフランドル地方(オランダ寄り)とでは、もともと違う国のようなものなのだ。だから、一方の地では、ジルも旅行者のように英語で話していて「不思議・・」と思ったものだった。ちょっと大げさだけれども、ヨーロッパの歴史の一端に、その時の”今”という地点から、そして個人的な立場からはじめて実際にちょっと足を踏み入れた瞬間・・でもあったと思う。

 

付き合い始めだから当然だけれども、行くところ行くところ、話すこと話すこと。全てが充実して楽しかった。でもこの白い花に応えるように、ガサツなところは見せちゃいけないと、自分の中でも一番綺麗な部分、純粋な部分を一生懸命前面に出そうとして、努力もしていたように思う。取り繕うとか、良く見せようと背伸びするとかでは決してないのだけれども。

 

あれが2009年。知り合ってからまだ12年しかたっていなかったなんて。

 

そしてその12年前は、ぐるっと時の矢が一周してきたのかな。まだ手を伸ばせば触れられるような、思いのほか遠すぎない場所にあるような気さえしてきた。