故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年 ⑧

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ジルの生まれ故郷にある、自然豊かなスモワ河畔にて。(ベルギーはワロン地方のブイヨン近郊)

私の横顔が若いです! 2009年秋

Vo. 8 ジルが愛し、還っていった川

 

さて、このお話は⑥の続きです。

 

 2009年の初のベルギー訪問で、ジルは私を本当にいろいろな場所に連れて行ってくれたのだが、「僕が世界で一番好きな場所を紹介する」と言って連れてきてくれたのが、この森の奥深くにある、とある川辺だった。

 

 ジルはベルギーのワロン地方(南側のフランス語圏)の、ブイヨンという市の出身。(ちなみにブイヨンというのは、我々が思い浮かべる西洋風の”だし”とは無関係です。) そこはフランスとの国境近くで、数分歩けば、気づけばフランスに入っていた・・という地理的位置。

 

 ブイヨンには中世からのお城が残り、そのお城を中心として今もベルギー国内における観光地のひとつとして数えられている。川沿いにホテルやレストランも多く、中心部は人々で賑わっているが、少し車を走らせるといつの間にか圧倒的な自然に囲まれているという立地。日本国内にあえて例えるならば・・姫路城のある姫路。または、夏に人が増える熱海のようなイメージだろうか。実際、ジルの両親はブイヨンでホテルを営んでいて、観光シーズンになるといつも以上に忙しそうだった。

 

 そしてジルの「世界で一番好きな場所」とは、そのブイヨンの象徴的存在である「スモワ川」という環状の河川沿いにあった。街中から20分ほど車を走らせ、鬱蒼とした森を抜け降りて行った先にある、とある隠れ家的なスポットだった。

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このような森を抜けて、車でひたすらあるようなないような道を下っていく。

 特にキャンプ場として設えられたわけではないけれども、少量の過ごしやすい平地と、小さな丸太のデッキのある場所。そしてそれほど深さのない川は水質も美しく、足のつく深さが比較的遠くまで続き、そのまま泳ぐこともできるというものだった。

 

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スモワ川は美しい樹木に両側を囲まれつつ、輪状になっている。

 ジルは昔から、ここへ親友たちと訪れては、自分たちでテントを張って時にはハンモックも設置し、自ら火を起こし、自然と寄り添うキャンプを繰り返していたようだ。大抵は、他のグループと鉢合わせるということもなく、「じっくりと自分たちだけの時間が持てるんだ」という風に言っていた。

 

「僕の好きなのはカルチャーとネイチャー」と最初に見たプロフィールにも書いていた通り、ここはジルの中での「ネイチャー」の代表地であり、ずっと昔から心の拠り所となっている土地のようだった。

 

 そして2009年の秋。

 

 私をこの地での「一泊キャンプ」のお供にと連れてきてくれたわけだ。事前にスーパーでお水を樽サイズにたっぷり(洗いにも使うから)、トマトやアボカド、その他の果物。そしてバーベキュー用の肉などの食材、炭などの買い出しに行ってから向かったことを覚えている。

 

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いつの間にかジルが撮ってくれてたらしい。初秋とはいえ少し肌寒かったかも。

 一番の思い出は、この川で”服無しで泳ぐ”に挑戦したこと(!)

 

 しばしば神話、物語、昔の人の田舎での思い出話の中などで、「裸で川で泳ぎました」というエピソードが出てくるけれども、そんなことは私には一生無縁のものと思っていた。けれどもまさか、39歳の大人になって、そんな経験をすることになるとは!

 

 誰もいない、静かな清流でしか実現しない、体験。

 

 ジルは慣れっこという感じで、ずんずん進んでいく。かたや私は、「ひえぇ〜、冷たい! もう無理! これ以上は浸かれない!」と泣き言を言って、何度もリタイヤしそうになる。

「大丈夫大丈夫、川の中に入ってしまえば結構暖かく感じるものなんだよ」との指導の元、なんとか辛さの臨界点を越えると、ふっと川の中で皮膚の抵抗が消えて、身体が楽になる感覚が訪れた。そのあとはもう喜びの世界だ。

 

 私は福岡県の北九州市出身。そこはいわゆる”田舎都会”。工業地帯でもありながら海や山もあるという、日本らしくそこそこにバランスの良い環境に生まれ育ったと思うが、誰にも見られることなく”裸で泳げる川”なんてものは、身近には存在しなかった。そんな素敵なものは、今やギリシャ神話か、よほど時が止まったか人里離れた場所にしかないと思っていたので、この経験はひとつのブレイクスルーだった。

 

 川の中に入ってしまい、両側を大きな樹木の連なりに囲まれてしまうと、もう対話をする相手は、そこにいるジルか、空か、木々でしかなくなる。「ここは結構、やまびこが楽しいんだよ」とジルは「ヤッホー」を叫んでいた。私も同じように「ヤッホー」と何度か叫んで見たのだが、なぜかそのあと。「これを言わなくてはいけない」という衝動が強くこみ上げてきて、

 

 日本語で「こんにちはーーー!! よろしくおねがいしますぅ〜!!」と叫んでいた。

 

 この日本語は、瞬く間に白っぽい空の向こうまでこだましていった。すると・・本当この瞬間のことはずっと忘れられないのだが、木々がザワザワ・・ ザワザワ・・と私の方を”見て”、応えてくれたような気がしたのだった。ジブリ映画のような。または映画「ロードオブザリング」で人知を持った木々が動き出すときのような。

「あれ・・? やっぱり木って、人間と会話できるんじゃない・・?」と、嬉しさと不気味さが入り混じった気持ちで、私はしばしフリーズしていたのだった。

 

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無言で佇んでいたジル。この場所とはいつも一体化していたように思う。

 そしてその後もこの川には、家族が増えるたび、そして一緒に出かける友人家族が増えるたび、訪れた。

 

 長女が生まれたとき、ジルは「絶対にこの川で洗礼をさせるんだ」と言って、2010年の10月だったか、もう肌寒い季節というのに、当時4ヶ月の長女を一瞬だが水中に「ぱちゃっ」と漬けて泣かせたあと(笑)、ライオンキングのように彼女を両手で高々と持ち上げて、自然の中に掲げていた。

 

 また、それぞれに小さな子供のいる数家族で訪れたことも、楽しい思い出だ。それはたいてい真夏だったので寒さとは無縁だったし、みんなちゃんと水着を着ていたのだが、誰かが川の中に入っては、それを見守り、笑うまた別の家族がいて・・という光景を覚えている。それはそれは幸せな、牧歌的なひと時だった。そんな時「この風景、どっかで体験したことがある」と不意に思い出したのは、幼い頃に父とその兄弟たちの家族と、宮崎県の海水浴に出かけた楽しい思い出。おじさんおばさん、いとこの男の子、女の子がいて。「歴史は巡る」、そして今度は自分たちが頼りないながらに「親になった」ことを実感したものだった。

 

 そんなわけで、ジルにとっては、とにかくここが世界で一番好きな場所。

 私は、ジルがどれほどこの場所を愛しているかを深く知っていた。

 だからこそ、ある時、彼が言っていたひと言を聞き漏らしてはいなかった。

 

ーー2016年3月27日。

 スカイプ越しに「ジルが亡くなっていた」ということを私に告げた家族が、まず私に向けた質問はこれだった。「玲子・・・。ジルが、死んだらどうして欲しいとか、言っていたことはある?」

 

「・・・絶対に自分は、スモワ川に遺灰を撒いて欲しいって言ってた。」

 

「・・うん、わかった。We will do it.  そうしよう。」

 

 火葬そのものは亡くなって間も無くの4月1日に執り行われたが、その後しばらく、遺灰はジルの実家に大切に保管されていた。そして再度、皆で改めて集まった夏。7月になってから、この川辺に流されることになる。ジルの家族、そして親しかった友人たち。皆でこの同じ場所に集まり、ジルを懐かしみ、悼みながら。皆の手のひらに分配された灰色の砂は、少しずつこの川へと溶け出して行った。

 私の手からも、娘たちの手からも。サラサラとした白っぽい、細かな貝殻のような粒となった砂が、水に流されて行く光景。そして、友人や家族たちの「彼がいなくなったことはまだ、到底納得が行かないの」と言いながら沈んでいた顔のことは、ずっと忘れない。

 

 私をこの場所に連れてきてくれてから、たった6年半がたった後に、こんなことになるとは思いもしなかった。

 大好きな場所へと還って行ったジル。

 

 その後もこの場所は、ジルの親しかった友人たちや、家族にとっては彼の分身のようなシンボリックな場所となったので、一緒に何度か訪れている。

 

 触れられそうで触れられない。

 でも確かにここに、今もジル自身の思いは残っているのだろうなと想像する。

 あの時、木々が私に話しかけてくれたことは、言葉でこそなかったけれども、何かのメッセージだったのだろうか?  いろいろな過去も未来も抱きかかえた上での。この場所の自然そのものが、神隠しのようにスッとジルを取り込んでいってしまったけれども。この場所もジルも、ずっと私たちのことを見守ってくれていて、いつでも心の中で繋がれるような気はしている。