もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ⑪
Vol. 11 Gilles in Japan ギャラリー
今日もちょっと、閑話休題。
ジルが日本に住んでいた時の、とても日本らしいファニーさのある写真を集めてみた。
考えてみると、2013年の11月にこちらに帰国し、2015年の後半はもう映画「残されし大地」のことに掛かりっきりだったから、住民としていろんなことを楽しんでいた期間って、一年半くらいか。本当に短いんだなぁ。
旅行が大好きでした。
今のように、みんなが自由に旅行できなくなったり、国と国とを行き来するのに、2週間の待機など大変な犠牲を払わなくてはならなくなったこと。もし、今ジルが生きていたら、どんなことを言っていたかなぁ。
写真を並べて見て思い出したことがひとつ。
以前、中学生の時に北朝鮮に拉致されたままの「横田めぐみさんの写真展が」開かれたという報道があった。めぐみさんというと、ご両親の前からいらっしゃらなくなった当時の、あるアイコニックな写真1枚を思い浮かべる方が多いと思う。けれども、その写真展に並んだ写真でたちは、それまでの人生の折々で、生き生きと生きていた1人の普通の少女の息遣いを、しっかりと伝えているように思えた。
彼女は仲の良いお友達だったかもしれない。彼女は近所の感じのいい女の子だったかもしれない。普通に将来を夢見た話をし、時には冗談で人を笑わせていたかもしれない。”報道の人”ではなく、身近にいた誰かなんだ。そんな風に思わせるに十分だったと思う。
ジルも46年の人生の中で、それまで毎日を周囲の人に見守られ彩られ、時にジルから彩りながらも、確かに普通にそこに存在していたんだと思う。写真が伝えてくれるのは、誰にも共感できる人生の楽しみを切り取った瞬間の数々と、それがある時奪われてしまう事もあるという事実の残酷さ。そして、残された家族や友人たちの切なさだ。
めぐみさん=あの1枚の写真の人、ではない。
ジルも、ただ偶然テロで亡くなった人、じゃぁない。
居なくなった人の写真の展示やコラージュには、そんなことを思わせる力も込められていると思う。