故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ⑮

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メキシコ滞在中に住まいとしてお借りしていた邸宅にて。長女1歳3ヶ月、私の帽子と。

素敵な調度品などもあったのに、背景に写り込んでいるオムツのパッケージが痛恨のミス! 

でも世界どこに居ても、まず探すのはこれで、日々の必需品だったなぁ。

 

Vol. 15  メキシコ編 その2

 

さて、映画の撮影のために滞在したのは、メキシコ・シティーから車で1時間ほどのクエルナバカという街の郊外。長いフライトの後、私も1歳の長女も疲れで顔を真っ赤にして空港に着いたら、そこにはジルともう1人スタッフが車で迎えに来てくれて居た。住まいとなる場所に辿り着いたそのころには、もうすっかり暗闇の時間。鬱蒼とした自然の中に、情緒ある大きな邸宅が不意に現れた。

 

その邸宅は、とある女性の民族学者の別荘なのだと聞いた。1階部分に外へとつながる広々としたテラスキッチン、リビングと、それぞれにベッド&バストイレが付いたゲストルームが確か2つ。そこにスタイリスト、アシスタントディレクターが滞在。そして2階の最も広々としたぶち抜きの居室は、家族だからということで、幸運なことに私たちに与えられていた。

 

そしてこの邸宅のすぐそばに、この”邸宅専用の”お手伝いさん一家が住んでいるのである。そこから毎朝毎晩、ご飯を用意しに来れたり、家に何かの不具合があった時に修理に来てくれる現地一家がいるのだ。お昼はみんながロケに出かけてしまっているので、私だけはこの家で過ごして自分で何かを見繕うか、バスで街中まで出かけて子供とランチをするか・・そこは自分で行動決めをしなければならない部分ではあったが、なんとも恵まれた環境だった。

 

クエルナバカ

 

その街の名前もそれまで聞いたことがなく、少しでも情報を得ようと事前にインターネットで探して買ったいた日本語の本が、石田かりさんという方が書いた『クエルナバカの蒼い空』というエッセイだった。今はもう絶版になってしまったみたいだけれども、先にこの地に住んだことのある人との、貴重なおしゃべりを楽しみ、情報をもらうような気持ちでお供に持って行っていた。それから雑誌TRANSITの「メキシコ特集」の一冊は、隅から隅まで、滞在中に読破した。雑誌を読破するなんて、高校生の時以来、なかなかなかったことだと思う。それくらい落ち着かない気持ちと、それを許す時間があったせいか。

 

スペイン語の簡単な教習本みたいなものも持って行った。ジルは若い頃に中南米を旅したこともあり、その後も教室に通ったのか?実はスペイン語が話せた。英語でいうなら”ペラペラ”ということになるのだろうけれども、それをスペイン語風に私の耳に聞こえたイメージでいうと、”ペレロペレロ”というところ(笑)。

同じラテン語系なので、フランス語に近い部分もあるので有利といえば有利だけれども、この時は毎日のように彼のスペイン語を聞くことになる。私も流石にラジオのようにスペイン語を聞き続けていると、この滞在の最後の方には、帰りのタクシーで人の会話が何と無く理解できておぉ、と思ったこともあったのだが・・今はもう全て、完全に忘れてしまった。オラ!(こんにちは)以外、パッと出てくるものがない。

 

毎日ロケに次ぐロケで、夕方から夜にかけてジルたちがここへ帰ってくると「お疲れ様〜」と声をかける日々。2、3度、支障がなさそうな時に私も車で連れて行ってもらい撮影を見学させてもらったが・・。その一部分ずつだけを切り取って見るぶんには、何がなんのことやら理解は難しかった。ただ印象的だったのは、大抵の場合、監督のカルロスが本番中でも、俳優のそばで実際に先にセリフを喋って見せて、それをその場でただリピートさせていたこと。練習、とかではなく。後でカルロスの声を消せばいいのか? おそらく。というのも、カルロスの映画には一つの不文律があって、それは「プロの俳優を出さない」というもの。全ての俳優、女優が彼がどこかで見つけて来た、演技経験など特にないアマチュア。ただ、とにかくその人の”佇まい”だけを気に入ってスカウトしてくるのだ。だからとことんドキュメンタリーに近いような味わいがあるのが特徴。そして、素人なはずの彼らがスクリーン上では決して軽くない、魅力的な存在感を醸し出すのだから、本当に不思議なのだ。興味深い現象なので、よかったら前回のブログで書いた作品のどれかを機会があればご覧いただけたらと思う。

 

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近くの山でちょっとした登山も楽しんだ。世界のどこでも自然がある場所が大好きなジルは、

いささかワイルドさのある土地柄も含めて、メキシコが大好きだったと思う。

ジルは旧知のメキシコで、そして盟友とともにのぞむ撮影に勤しむ毎日。でも結果的にはこれが彼に取っての最後の中南米滞在となる。9月16日のジルの42歳の誕生日には、クエルナバカで仲良くなったお惣菜やお菓子を売るお店でメッセージ入りのケーキを作ってもらい、当日までにこっそりスタッフの皆にもカードにメッセージを書き込んでもらっておき、渡したこともあった。

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なぜかそのケーキのヨレヨレのHappy Birthday(スペイン語です)の文字が、何が原料なのかよく分からないどぎつさのある青いクリームで、味も微妙だった。・・ケーキの国ではないのでそこはあまり追求しない。
でもそんな風に、私もスタッフの方々と日々接する中で親しくさせてもらい、何もしないくせに娘とともに仲間のように過ごさせてもらっていた。あの時のクルーはそれぞれ今、どうしているかなと思う。

その後のジルの訃報は知っているだろか。

 

 

時は2011年の夏。日本では東日本大震災が起きてまだまもない頃だ。日本へはその年の暮れに一度帰省する予定にはなっていたが、それよりも先に、ベルギーから大西洋を超える方向で飛行機に乗り(地球儀上で、その経路を取ったのは初めてだった!)、メキシコへ来てしまっていた私たち。私にとっては、旅の途中(ベルギーに来ていること)の、さらなる旅だ。かすかに混乱した感覚もあったものの、どこへ行っても何となく「そこを都」とすることも出来なくもないものなのだなと感じた。

 

けれども今ではこの時の記憶がまるっと夢のように感じられることもある。というのも、今はジルもいないし、娘も小さすぎたので当時のことを思い出して語り合う相手ではない。そしてクルーたちもどこかで元気だろうとは思うものの、カルロスを含め、私自身が直接連絡先を交換はしていなかったので、”共有してお喋りする人”がいないからなのだなと、ここまで書いて今気がついた。

 

私の人生の中では、離れ小島的な記憶となってしまったが、メキシコカラーの街並みやフルーツの色とともに、その鮮やかさだけはピカイチだ。

 

だからのちにメキシコを舞台としたアニメ映画「リメンバー・ミー」を見たときに、あんなに切なくなってしまったのだろう。(ちなみにしかも「リメンバー・ミー」は奥さんと小さな女の子を置いたまま、旅先から帰ろうとしても帰ってこれなかったパパのお話。)

 

 

明日まではメキシコのお話の続きを。

その旅の中の旅の中で、さらなる”旅”に出かけたお話。