故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ㉞

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映画のお陰で生き延びられた私。この後、相次ぐことになる”登壇”の第一歩はここで。

群馬県高崎市で行われた「全国コミュニティシネマ会議2016」でのショット。

 

Vo. 34  映画という名前のお神輿 〜その2

 

㉝のお話の続きです。

 

「どうもどうも、奥山と申します」という自己紹介のあと、奥山さんはしばらく喋り続けた。

 

私は子供たちを寝かせたその日の夜9時、早速緊張しながら電話をかけてみたのだった。

「今朝ね、亡くなった母の遺品整理もあって、実家にいたんです。普段、こんな時間にテレビなんて見ないんですけど、今朝はたまたま付けたまま作業してたんですよ。僕の母はNHKしか見ないような人でしてね・・」

「そしたら、何かいい映像が流れてるなぁって。人の居ないお店のシャッターがカタカタ、カタカタと揺れていて、その風の音も印象的で。そしたら、これを撮った監督が亡くなっていると。この密度の濃さは、そのせいなのかと思って」

NHKおはよう日本の中で紹介されたのは、わずか数分に当たる部分だったと思う。けれども、その一瞬の出会いに、奥山さんはグッと気持ちを掴まれたのだと言う。簡単に言うと、恋をしてくれてたような衝動で。喋るスピードは決して早くなかったけれども、一定の熱量を感じさせるに足る口調だった。

そして、この日の電話の主眼は、10月に予定している京都国際映画祭でぜひ上映してはどうかという話だった。

 

後から聞いたところによると、様々な場所に知人がいて行動も素早い奥山さんだから、この日も放送を見た後すぐ、NHKにいる仕事仲間、何人かに電話をしたらしい。けれどもたまたま通じなかったせいもあり、何と最終的に「お客様窓口」に電話をし、その熱意を告げてくれていたのだった(!)

それを窓口から伝えられた、件の鴨志田さんが、私に電話をくれたというわけだ。



奥山さんが松竹で活躍して取締役に登りつめたのち、解任されたまでのエピソードはつとに有名だ。その時代のヒット作としては「ハチ公物語」、自ら監督を手がけた「RAMPO」など。優しい雰囲気の映画もあるが、ギラっ、ヒリっとした要素がどこかにある映画も多い。(詳しくは、「映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄 黙示録」というノンフィクションをご覧いただきければ。この本、かなりの傑作で読み応えがあります。)

そして、あの”世界の北野武”と言う映画監督世に送り出したのも奥山さんだ。

解任撃を経た後、みずから「チームオクヤマ」を立ち上げ、その後は「地雷を踏んだらサヨウナラ」などでロングランヒットを飛ばし、現在は吉本興行の映画制作会社と協業している。

その流れで、吉本興業が主催する京都国際映画祭のプロデューサーに。そんなわけでこの映画祭は端的に言ってしまえば、奥山さんの一言で上映作品を決めることができるフィールドだった。



何かすごいことが起きたなぁ、と思った。

例えば北野武は、ジルも好きな日本の映画監督のひとりだった。

とはいえこれは、言わばすれ違っただけで一目ぼれして頂いた状態に近いものがあり、申し訳なさすぎる。とりあえず、映画全体を見て頂かないとご判断をしていただければと言い、そのあとにショートメールでこの映画を視聴できるリンク、そして私のブログのURLをお伝えした。

早速数日のうちには銀座のペニンシュラホテルの最上階にある、外国人記者クラブのカフェでお会いし、お話をした。

わぁ、ここが時々テレビで見る「外国人記者クラブ」か。カフェの壁には様々な要人のモノクロ写真が並んでいた。


全編を見てくださったあと、心変わりがなければいいな、と実は思っていたが、奥山さんは終始落ち着いた様子で話をどんどん先へと進めていってくれた。
その際、映画祭はも嬉しいけれども、是非なんとか劇場公開をしたいのだという話もした。すると、配給会社の「太秦」というところがあってね、ということで今後の動きについても提案をしてくれた。


太秦(うずまさ)・・。その名前はなんと、その少し前にドキュメンタリー映画祭のディレクターを請け負っている方に、”お勧め”としてリストアップしてもらっていた、配給会社3社のうちのひとつだった。実を言うと奥山さんに声をかけてもらう前、そのリストに書いてあった順に、最初の二つに電話をしてすでに(他に福島の映画を同時期に手がけているので、などの理由で)断られていたところだった。

そんな矢先にリストの3つ目は、”向こうからこちらに歩いてきてくれた”。そんな感じがした。


2回目に奥山さんと打ち合わせをする日。

その日は太秦の代表、小林さんとも会わせてもらえる日だった。表参道で仕事を一つ終え、待ち合わせ場所に指定された渋谷ヒカリエの上階にあるカフェにタクシーで向かった。

その時不思議なことに、1匹のてんとう虫が私の膝にじぃっとくっついて来ていた。

表参道の植え込みの中から、弾みでこちらに乗り移ってしまったのか?
二つ星だった。黒い体にオレンジ色の、星二つ。
タクシーがヒカリエの前に停まって私が車から身を出す時に、同時にさっと飛び立っていった。

 

この時を置いてほかに、東京の街中で、てんとう虫に寄り添ってもらったことはない。

実はNHKの放送のあと、もうひとつの場所から連絡をもらっていた。

それは全国のミニシアターで構成される「全国コミュニティシネマ会議」という団体の事務局からだった。(いまは、ミニシアターというよりも、コミュニティシネマ、という呼称が一般的らしい。)
もうすぐその会合が高崎で行われる予定で、そのときの締めくくりにこの映画を上映したい、というものだった。「私たちが応援すべきなのは、こんな映画だと思うんです」と。

その話のことも切り出すと、太秦の小林さんは、「あ、それは絶対受けたほうがいいですよ。後々に売り込むことになる、コミュニティシネマの方に、先にこの映画の存在を知ってもらえますからね」と。

こうしてメガな視点を持ったプロデューサーと、コミュニティシネマ系に広くパイプを持つ配給会社との、ありがたすぎると三角形のタッグが生まれた。願ってもない形になったのだった。

この顛末をドキュメンタリー映画の監督経験のある知人に報告をした所、「理想的ですよ。頑張って!」と言ってもらえた。

 


映画という名の御神輿に乗せてもらう。それは本当に、私にとっては非日常であり、祭りであった。これはその始まりのお話。

このあとその京都国際映画祭などを経て、翌年の3月劇場公開に向けての、さまざまなプロモーションを奥山さん、太秦とともに積み上げていくことになる。

 

のちに私は奥山さんと同席して、いろいろな新聞社や雑誌からインタビューを受ける機会も頂いたのだが、そんな時に奥山さんが改めておっしゃっていたことで、印象的なことがある。

 

「もちろん、ジルさんが生きて元気でいらっしゃった方がいいのだろうけれども・・。この映画には、その直後に亡くなってしまったからこそというか、その直前の”濃い生の力”のようなものが、却ってぎゅっと凝縮されているような感じを受けますね。」と。

 

活動的かつ飄々としているようで、常人にはない鋭敏な感覚を持っている奥山さんならではの、真実をついたコメントだなと思った。

 

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京都国際映画祭のクロージング・パーティーにて。

映画「残されし大地」のために登壇してくださった女優の高島礼子さんと奥山さん(中央)。

そして、別件で受賞していた阿部寛さんも・・。こんな場に居合わせるなんて、不思議すぎた。

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奥山さんとの貴重なツーショット。無事に登壇も終わり、高揚していた。

お酒もいただいてちょっとぼんやりした顔をしております。

 

★3月22日まで、映画「残されし大地」オンライン無料上映中!★

日本版  https://vimeo.com/521260129     

ベルギー版(英語字幕付き) https://vimeo.com/519469354