故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

ジルとの不思議な旅 ③ 虫の命は軽くない

 

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映画「残されし大地」でボツになったものの、個人的に”惜しい”と思ったであろうシーンのスクショがジルのコンピュータに残されていた。そのうちの一つ、夏の風物詩、セミの抜け殻。
 
Vol.3  虫の命は軽くない
 
ジルと出会って考え直すきっかけを持ったことのひとつに、この世での”虫”という生き物の存在意義についてがある。
 
ある夏、家族で和歌山県内をレンタカーで観光してまわったことがあった。そのとき訪れた場所のひとつが、高野山だった。
高野山では、ご本尊のあるお寺にたどり着くまでのその長い参道沿いに、ありとあらゆる慰霊碑が立てられている。一般的な墓地などとの違いは、その石碑に企業名が書かれているものも多く、規模の大きなものが点在したことだ。檀家さんのジャンルが一般とは違うように思えた。
 
そのなかに、ひとつ変わった単語で目を引いたものがあった。
「シロアリの碑」。
 
”シロアリよ、安らかに眠れ”と彫り込まれてあった。“害虫”退治の商品を出している会社だったように思う。へぇ・・と思いその内容をジルに伝えたところ、「それは(そんな風に供養をされていることは)いいね」と感嘆した答えが返ってきた。
 
実はジルは、ちょっとお釈迦様のようなところがあった。
虫をまったく殺さないのだ。
 
 
日本に帰国して最初に移り住んだ、杉並区にあった昭和の文化住宅レトロ可愛い間取りで居心地はよかったが、しばらくの間空き家になっていたこともあり、少しミシッと音を立てる部分が家中のいくつかにあった。そのせいなのか各所に何かしらの抜け道?でも出来ているのか、庭も広かったせいか。たまにだが、ゴキブリに出くわすこともあった。
 
そんなときもジルはまず、そっと紙コップを手に近づき、瞬間技でゴキブリを覆い、床なら床、壁なら壁とその紙コップの間に、カレンダーの裏紙のようなものをススっと
入れ込んでふたをする形を作り、そのまま裏庭もしくは玄関の外まで連れ出して放っていた。
 
まぁ、もちろんそうするだけでは、遠くないうちまたお客さんとしておいでになる可能性も高いのだろうが・・。
 
 
こんなこともあった。
 
ベルギーに住んでいた頃のとある夏。田舎のポツンとした一軒家を借り、短いバカンスを楽しんだ。とはいえ家を借りるだけ、食材持込の自炊形式。いつもよりも自然いっぱいの場所で過ごすというだけのシンプルな1週間。
窓の外には緑が生い茂る平原が続き、かなり遠くまで視界を遮る人工的なものが一切ないという、シンプルながらも息を飲む絶景が目の前に広がっていた。
 
その景色や静けさそのものはいいのだが、困ったことがひとつあった。
夜につい窓をあけっぱなしにしていると、たくさんのハエがいつの間にかリビングを占拠しているのだった。
私の印象に間違いがなければ、日本に比べて一般にヨーロッパ全体、ハエには寛容なところがあると思う。ハエ捕り網のようなグッズを使っている人を見たことがないし、なんのリアクションもしないか、おしゃべりしながら嫌な顔一つせず、さっと手で払うくらい。
特に夏にはテラスでご飯を食べたり、庭でバーベキューをすることも多いベルギー。そんなときも、ハエの数匹くらいはブンブンとその辺にいても、誰も何も気にしていない、という状況を何度も目の当たりにしてきた。(日本で見かけるものと違い、身体も小さめで黒。ギラギラしていないというのもあるかもしれないが。)
 
とはいえ、このときのハエの数は容赦なかった。
 
それでもジルはやはり、1匹もしくは数匹ずつ、手のひらでじゃんけんのグーのような形を素早く作って数匹ずつ摑んでは、窓の外へ出すという地道な作業を続けていた。
それを一体どのくらいの時間、見続けていたのだろうか。正確には覚えていないが、もうこれで大体良し、と数えるほどしかハエが居なくなるまで根気強くそのソフトなハンティングを続けていた。
私はただただ、子供と遊びながらなんとなく見守っていた。こんな根気のいる作業は、私には到底できないなと思いながら。
 
 
ジルの映画「残されし大地」が牛や犬、猫などの動物の命を大切に思った松村さんを主人公としていることから、映画のプロモーション時期に、とある動物保護の活動をしている女優さんに試写会で一緒に登壇していただいたことがある。
動物の命だって、人間の命とひとしく尊いんですよねというトークの中で、「じつはジルはゴキブリすら殺しませんでした」というエピソードを紹介すると、さすがにその方も「えっ。それはすごい」と驚いた顔をされたくらい。ちょっと引いていたかも。
動物好きでも、虫まではあまり。大半の人はそうかもしれない。
 
 
それにしても、人間よりも、動物の命が軽くて、動物の命よりも虫の命の方が軽い。
さらには、虫の中でも蝶やバッタの命よりも、ハエやゴキブリの命は軽い。そんな序列はそのままで本当にいいのかな・・。
 
そんな疑問がどうしても残ることから、まだジルの生前だったと思うが、一般に害虫でしかないと言われるゴキブリやシロアリが、どうしてこの世に存在をしているのかについてインターネットなどで調べたことがある。
 
(ここからは私なりの調査と“まとめ”なので少し正確さを欠いていたらご容赦いただきたいのが)そうすると、どちらももともとは森の住民だ。そして、どちらも森のお掃除屋さんなのだ。ゴキブリは動物のフンや死骸を。シロアリは倒木を。それぞれ、すっきりと片付けるために存在している。人間の居ないところで機能するように、ちゃんと役目があるのだった。
 
森がなくなり、住宅街だらけになっていく中で、ゴキブリにしてみれば暖かで食べ物がそこかしこに散らばっている場所(人間の家)に移動してきただけのこと。シロアリも、「あ、これ倒木ね。」と間違って木造建築の中に入り込んでしまい、一生懸命食べて無くそうとしているのだ。
 
結果として害虫と認定されてしまうのは仕方がないことでもあるが、なんだか虫たちや自然界の摂理からすると、不条理だし気の毒ではないだろうか。そんな気すらしてきた。
この調査結果?をジルに発表したかどうかはどうしても思い出せないのだが、今ごろ私の筆先ならぬパソコン先を見つめながら、天国で「うん、うん」とうなづいているに違いない。
 
 
映画「残されし大地」にも蜂や蝶などが出てくる。
生きているものも、すでに蜘蛛の巣に引っかかって息絶えているものも、きらきらとした光のもとに一様に美しいものとして描き出されている。
 
もちろん虫には好き嫌いがあっていいし、得意も苦手もあっていいと思う。でも、このすばらしいミクロワールドに、せめて敬意を払い続けることだけはしたいなと思う。
 
 
ところでジルは生前、日曜日になると家族でNHKの「ダーウィンが来たを見るのが大好きだった。
 
 
あの番組の中で、いろいろな生物が飛んだり跳ねたり、自分たちの方法で動き回っている姿を見ては、日本語の全てが分からなくても、ジルはいちいち「ビューティフル・・」と言っていた。
 
 
今も子供たちの大好きな番組のひとつ。
毎週録画は欠かさず、見逃しても追いつくようにしている。
 
日曜日の7時半、あのオープニングテーマが聞こえてくると、ジルの「ビューティフル・・」というつぶやきを思い出す。
 
そして私は、全ての命に対する敬意を、いつもよりちょっと多めに取り戻す。
 
 

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映画「残されし大地」より。お彼岸の御墓参りのシーンで、おはぎに寄ってきた蜂を捉えて。

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こちらも映画の中から。蜘蛛の巣はその目的はちょっと怖いけれども

光が当たると美しいマンダラみたいだ。

 

追記:

ダーウィンが来た!」の中でアリンコの特集を見たとき、本当に感動したことがひとつ。アリンコがよく拾得物を抱えてヨイショヨイショと必死に歩いていることがあるが、自分の体重比で考えたとき、この世で最も重いものを持てるのはアリなのだそう。いわば、この世で一番の力持ち。私たちにしてみれば、トラックを持ち上げて運んでいるような怪力を持っているのだ。すごい!