故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

11月22日は「いい夫婦の日」。The day for 'good couple' in Japan

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2010年春ごろ。長女の出産直前くらいです。二人とも若い! 肌がきれいだぞ!!

 

今日は11月22日。

ジルが亡くなった日からちょうど8ヶ月が経ちました。

毎月、22日は「祥月命日」としてスケジュール帳に書き入れています。

 

ぼーっとホームに独りで突っ立ていた時に、なぜか「心が並ぶ」・・という言葉がインスピレーションのように頭に降ってきました。

ん?・・不思議だなあ・・と思っていたら、しばらくして気が付きました。

偶然かもしれませんが。今日は「1122」で、「いい夫婦」の日なんですね。

 

そういえば映画「残されし大地」は、”夫婦愛”がテーマの映画である、なんて間違った報道も出ていました。亡き夫の映画を私が受け継いで、公開まで頑張って・・という意味では、夫婦愛っぽい。でも、それは外側のエピソードであって。

でも、何れにしても夫婦愛というと聞こえはいいけれども、そして今でこそ、頑張っていることの”意義”をちゃんと語ることは出来るけれども・・。

春から夏にかけては、しばらくはただこの案件を握りしめて、淡々と「やらなくちゃ・・」と動いていたものでした。衣食住を維持するのに近い、どこかベーシックな感覚で動いていました。というか、もがいていました。

 

生前から手伝っていたことなんだから、手伝うのであ〜る・・という、惰性にも近い感覚です。でも、どこか必死な。どうにかしなくちゃと思うので、自然と手足が動く・・しばらくはそんな感覚だったのです。

 

夏に入り、なんとかしてこの映画を日本でも世に出さなくちゃと、「福島のドキュメンタリーなんですけど、夫が亡くなって」と、ちょこちょこ話を持って行っても、なかなか動きがなかったあの頃。ちょっと辛かったあの頃。しかも世の中が夏休みモードで話が進まず。私は今のように明るくなかったかもしれません。

 

ところが今や、映画をシンボルとして、サポートしてくださる完璧な方々に囲まれています。そして、夫自身がいなくても、映画がまるでジルの”蘇り装置”のようになって、あらゆる人がジルのことを語ってくれて、メッセージを受け止めてくれて、寂しさを埋めてくれています。本当にありがたいことです。

 

ところで昨日、ジルの長年の友人が機会あってベルギーから訪ねてきました。

 

彼女と話していて腑に落ちたのは、

「あれだけよく喋って、意見がいっぱいあって、人にも影響を与えて、エネルギーが大きかったジル。そのジルが、もう亡くなって居なくて、急に静かになり、そしてもう絶対に会えないということが決まっているのである・・という、その二つの事実がマッチングしないのよね。それを考えた時に、パニック気分になる」と。

そう、そのミスマッチ感なのです。

よく仕事では旅にも出ていたから、今、静かになったのは、旅が続いているからだっけ?・・とも思う。けれども、いやいや。もう二度と帰ってこないし、会えないのだと。壁にぶち当たるような気持ちがするわけです。

 

何か重大な事件や事故をニュースなどで目にした時、家族はどんな気持ちだろう・・と思うのが当たり前なのだと思いますが、私は今回、いかに「親友たちが大打撃を受けるか」も目の当たりにしてきました。

ジルの親友たちの中には、この事実が受け入れられず、サイコセラピーに通っている友人もいます。さらに、なくなって3ヶ月後に仲間内での”見送る会”で会った友人は、「どうしても、どうしても辛すぎる」と、顔を引きつらせて私に覆いかぶさってきて、泣いていました。

 

親友とは、時に家族と同じくらいに心を分け合う存在。

 

家族にはお悔やみの言葉や補償があったとしても、(とはいえ今回のベルギーテロは政府からの金銭的補償はゼロですが)友人たちには、お悔やみの言葉も何も届かないし、痛みを癒していく形式もないし、自分自身で解決していかなくてはならないことになるのです。

とても仲の良い友人がテロで亡くなったら・・。

それも物凄い不条理です。

突然のロスに戸惑うのは、家族も家族同然に仲の良かった親友も同然です。

 

ともあれ、彼女が昨日家に来てくれて、ジルの思い出話を色々と出来たのは良かったと思います。繊細で正義感が強くて、優しいけれどもその分、思うように行かないと感情の揺れや表現も大きかったジル。あまり深く接したことのない人は、「穏やかな人だった」という印象だけの場合もあると思いますが、さすがに実はラテン系の表現系。

一緒に居て、毎日をのほほんとのんびり過ごせたわけではありません。机を拳で叩くこともあったし、不機嫌になることも、少ない(笑)髪を逆立てて怒ることもありました。「こんなことあったんだよ」「ああ、分かる分かる」と今はそんな不快だった瞬間のエピソードも、かいつまんで話しながら、笑えます。

恋愛こそなかったけれども、一時期フラットメイトだった彼女は、その辺りのことも、友人としてよく知っているわけです。色々な面があったよね、と。

 

でも、やっぱり、寂しいね・・・。その一言に尽きるね、と話しました。

 

けれども、今となっては映画を通して、ジルのメッセージは余計に雄弁でもあります。本人が亡くなって静かになってしまったことで、却ってどこか純化されて、そして拡声器で拡大されて、今・・色々な人のところに届こうとはしています。

 

数日前、フランスのアミアン国際映画祭で、最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。ドキュメンタリー映画という立場を考えれば、カンヌで賞を取ったのと同じくらいの快挙かもしれません。そして時を同じくして、ベルギーのマルチメディア著作権者協会、という団体から、2016年の最優秀賞を受賞したよ・・というニュースも。

こ〜んなに広い日本でも(考えてみれば、ベルギー王国の10個分の面積と人口があります)、来年は全国で10~20もの映画館で一般公開してもらえる予定なわけです。

 

「信じられない展開!」と謙虚に思う気持ちももちろん、あるのですが、

でも、私自身は実を言うと完成した映画を見たときに、これはいいな、ジルの厳しかったディテールへのセンスや自然への愛と心地よさが詰まっている・・と自信を持っていました。

今でこそ不遜にも言わせてもらえれば、何かしらいい展開があってしかるべき・・と確信めいたものも持っていました。

 

「だって、ジルのセンスで作った映画だもの。」「一言で言えば”センスがいい人”だったしね。」と心の中で思い続けて。

まあ・・その分、私の服の着方とか料理とか、うまく行っていないときは随分けなされもしましたが(笑)!

 

夫を褒めてあげるのは、一番近くに居る(居た)私がしなくて

どうする、ということです。悪くないことのはずです。

今日は、「いい夫婦」の日なのでご容赦を。

 

そして、夫婦、家族に限らず、友達の愛にも大きな感謝を。

ジルの友人たちにも癒しが遠からず少しでも多く、訪れますように。

 

2017年3月公開、映画「残されし大地」Facebookページに「いいね!」をお願いします。

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