故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

寂しいなあ、と思います。I miss him sometimes.

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私の古いデジカメの中からポロっと出てきた、ジルのセルフィー。笑

 

告白すると、最近になってようやく「寂しいなあ」というしんみりした気持ちを感じるようになってきた私です。

 

思えば去年の今ごろは、3月11日の渋谷イメージフォーラムでも映画公開に向けて、マスコミに出たりと奔走していた頃で、本当にバタバタしていました。

今思うとすごいことですが、テレビも3社に取材してもらって、週末になるとクルーが来るような感じで、配給会社の太秦で1日に5社くらいインタビューをしてもらったり、自分が何者か分からなくなるくらいに。

 

それから1年。今年は本当に穏やかです。

 

もう映画のあれこれも一段落して、日常だけがそばにある、東京都杉並区に住む、ただのあるシングルマザーの家族です。

 

でも、日常だけがそばにある。そうなると、より不在を感じるのがジルの存在。

 

昨年までは、寂しいと思う暇もなかったのもあるし、映画のことに関わっている限り、それはジルの生前から続いていた事柄の延長でもあったので、無我夢中な中、不在を意識しすぎずに済んだのかもしれません。

 

ここへきて、ようやくポッカリと、心の穴に気づいた感じでしょうか。

 

でも、あの映画準備の怒涛の日々がなかったら、どうなっていたんだろう。たくさんの出会いや好意に恵まれて、いろんなことを知り、考え、勉強する機会にもなって、私と社会との関わり方が以前よりもずっと太くなり・・。

自分と社会とのパイプはむしろ、ジルの死後、本当に大きくなっていて、心境としては充実感を感じることさえ、あります。それは今でも、救い。

 

それにしても、ジルが映画を残すということで、あの賑やかな日々を、与えてくれていなかったら。

ただ、ある日突然家族を失ってしまい、怒りや絶望にくれるだけだったらどうなっていたのだろうかという想像をすると、恐ろしくなります。

 

でもきっと、突然亡くなる人には使命があって。

同じことを2度と繰り返さないために私たちができること。なにかのメッセージを強く残して、亡くなること。それだけはやっぱり忘れちゃいけないと思う。

 

昨日はあのニュージーランド地震から7年だったのですね。 テレビで遺族が、「あれからまだ時が止まったまま。まだ帰って来ないのかなぁ・・という感覚がありますね。」と言っていました。私には、時が止まった感覚はありません。でも、「まだ帰って来ないのかなぁ。」という感覚はあるのです。それだけは、この先もずっと続いていくのかな・・。

 

もうすぐ、あれから2年です。

もう2度と会えないのかな? と本当に不思議に思います。

 

夫というよりは、時々息子のように、正直言って手に負えないところもありました。それでいて、ものすごく穏やかな空気を持つ賢者でもあり、ヒューマニストでもあり。一言では表現できない、不思議な人だった。あんな死に方をしたから特別な人のようでもあり、でもそれでいて、普通のひとりの、ただ個性的な人間だった。

 

だから、いまだにいろんなことを思い出しています。

 

不思議なあたたかなものに包まれているような気もするし、

それでもやっぱり、寂しいなぁと思う。

ある瞬間を境に、肉体が無くなるって、本当に不思議なことだし、一体どういうことだろうとも思う。

 

弱音とも、嘆きとも違うのです。

単純に、寂しいですね。

それまで家族だった誰かが、声を発することもできる、物体として触ることのできる、”熱のある”存在ではなくなること。

 

「あぁ、また会いたいなぁ」と思います。いつか会える日まで、元気でいてくれよ、と真面目に思ったりもします。

 

生と死の境目って・・何でしょうね。