あの日から3年
ジルがブリュッセルの地下鉄で起きたテロでなくなったあの日から、3年が経ちました。
まだ3年、もう3年。
今はほんとうに娘たちと毎日、充実した生活を送っていますが、あのとき、ジルの死を知った「真っ暗」な瞬間・・今あらためて思い出します。
そして、たくさんの方々に支えられて、今日という平穏な日を迎えています。
けれどもじつは、ご報告をしていなかった方も多いのですが、忘れもしない昨年の3月9日に、私にとってもうひとつの大事件が起きていました。
私の母が地元である北九州で、交通事故に遭ったのです。
自転車で青信号を横断中に車に跳ねられ、一命は取り留めたものの、以来、意識が戻らない植物状態のままです。
母と、会話がないまま。
生まれてからはもちろんですが、ジルが亡くなって以来、たびたび支えてくれた母でした。
実質的には母を「失って」しまった状態のまま、1年が過ぎました。
思いもしない出来事に目の前が真っ暗になり、現実が現実と思えなくなるときが、再び。
当時は、どうしてそんなことが2度あるのだろう、とショックと驚きがあり、しばらくはまたすべてがモノクロに見える世界を生きていました。
でも、そのときからしばらくして、なのです。
あるとき、気持ちがフッとシフトしました。
逆に、自分のことを、特別だともなんとも思わなくなったのです。
それまでは、夫をテロで亡くす・・そうした特別な体験の中に自分を入れて、スペシャルなカテゴリーの中で生きよう、ある意味、立ち位置をそこに持とうとしていました。
でも、人間って、「形あるもの」。
つまり物である限り、あるとき、なにかの拍子で「壊れる」もろいものであること。
そこは、物質としての身体を頂いている以上、諦めなければならないこともあること。
それを強く認識したんです。
そして、母のことがあって一月以上経ったあるときから、またいろいろな本を読み始めました。
東日本大震災でいちどに多くの家族を亡くした方々のルポルタージュ。
突然の難病に侵され、7本指のピアニストとなりながらも絶望から這い上がった演奏家のエッセイ。
発展途上国に生まれ、子供らしく学校に行ったり、ましてや図書に触れることもままならない子達の、健気な生き様を報告する本。
・・。
私、自分だけ不幸、なんて思っている場合じゃない!!
そんなふうに目覚めたのが、去年のゴールデンウイーク開けごろだったか・・。
そこからまたムクムクと元気が出てきました。
そう、薄情なくらいに・・。
夫のことを通しても、私の世界は広がっていたように感じていましたが、母のことを通しても、私の世界はもっともっと、一挙に広がったように思います。
それまでとはまた、社会の景色が変わって見えてきました。
腰を曲げてひとりで公共の交通機関を利用している高齢の方。
障害を持ち、車椅子でしか移動のできない方。
そして病床にあって、なかなか外出ができない方。そうした方を見たときに、今までは普通に「気の毒に・・」と思っていた私を、一気に恥じました。
どんな状況でも。
意思を伝えられるのなら、すごい。
どんなに時間や助けが必要でも。
自分の行きたい場所へ行けるのなら、すごい。
それらのアクションが、どんなに素晴らしいことなのか。
究極の障がい者となってしまった母を通して、またいろいろなことが見えてきたのです。
「頑張って!」
「できることをやってください!」
「それは素晴らしいことなんです」
そんな気持ちでいっぱいになりました。
それに、寿命ってなんだろう? とも常に、深く考え続けています。
母よりも、ジルよりも若く亡くなった方もいっぱいいる。
もしかしたら、母もジルも、もっと前にもピンチがあって、そこから生き延びてこられたのかもしれない。
どこまで生きられなかったから不幸か、なんて一言では言えないのではないだろうか、と。
寿命って、残された人が、その人のことを思うとき、
全ての命が寿(ことぶき)なのではないんだろうか、と。
ふたつの大きな出来事を経てしばらくたち、やっといま私は、世界を'こじ広げ'ることができて、誰かの立場に立って物を考えることのできる人間、に近づくことができたように感じています。
まだまだなのですが。。。
ジルのこと、母のこと。
もちろん、思い出して悲しくないわけはありません。
おそらく一生、そこに対する悲しさや寂しさとともには、歩んでいくのでしょう。
でも、広くしてもらった視野と、大きくなった心と。
何をも吹き飛ばす2人の娘たちの生き生きとした存在感に、生かされ続けている、今日の私です。
そんなふうに色々なことに思いを巡らせた、昨日のお彼岸から今日にかけてでした。
でも不思議なことに、その二日間をまるでまたぐように、昨日の真夜中、ジルが夢に出てきました。
夢の中で、「母もいないし、昔に比べて誰かとざっくばらんに話をする機会が減っていって寂しいんだ…」と言うことを、独り言ちた私のところへふっと現れて、
「その縦線にね、こうして横の線をちょこちょこ、とつけていけば、本物に見えるんだよ」
と言うような、すぐにはわからない、象徴的なことを、ニコニコとしながら言っているのです。
とてもリアルでした。
そこで思わず、
「またこんなふうに、時々来てもらえる?」と聞くと、笑顔で「うん」と答えて、すっと消えてしまいました。
ぱっと目が覚めて、もう命日に突入していたことを知って、思わず泣いてしまいました。
朝あらためて起きたときに、この言葉の意味を考えたのですが、これは本当に凄いメッセージのかも…と思いをめぐらしました。
出来事を、人生の縦線にしながら。
そして、いろいろな人とのつながりや通わせる思いを横線にしながら。
これからも生きていきたいと思います。