故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年。①

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この写真の撮影は2009年夏。ジルが初来日をし、私と初めて出会った頃。

ジルは当時、アナログのカメラを持っていて、わざとフィルムを”2度撮り”して、2つの写真が重なる手法を楽しんでいた。紙焼きで残されたそんな写真が100枚くらいあるのだが、パッと開いたところでこの1枚が出てきた。今日から1ヶ月間、どんなに短くてもブログを書いていこうと思っていた矢先だったので、偶然だけれどもなんとなく、ジルからのメッセージのような気がした。

私の笑顔と、ヨーロッパではあまり見ない背景である、日本的な電柱と電線が重なっていて、面白いなぁ。

 

 

vol. 1   居た人のいない不思議

 

もうすぐ東日本大震災から10年。(3月11日)

そしてブリュッセル・アタックで夫が亡くなってから5年。(3月22日)

 

東日本大震災からの10周年をちょうど1ヶ月前にした、本日2月11日から1ヶ月間、夫が私や娘たちに残して行ってくれたものを、少しずつ改めて綴っていきたいと思う。

 

心の中ではいつも、こんなこと、あんなこと。書き残しておきたいなあと思うのだが、仕事と家事のオペレーションの中、なかなかきっかけを掴めないまま。本当はもっと伝えたいことが、山のようにあった。そして日々、増えてもいっていてどこかもどかしいまま。

でも、ジルの思いもどちらかというと、今となっては「君たちの日常を優先して良いよ」ということかなと想像しながら、頑張りすぎないようにはしていた。

 

そして時は流れ、まるで何も起こらなかったかのように、女子3人で楽しく過ごす私たち家族。

 

夫が亡くなった当時は4歳になったばかり、6歳ちょっと手前だったそれぞれの娘も、今は8歳と10歳だ。それぞれ”かしましい”女子小学生となり、幸い2人とも基本的に「おいしい」も「可愛い」も趣味が私と似ているので、時には喧嘩をしながらだけれども、文字通り、愉快にほのぼのと、そして真剣に日々を暮らしている。

 

ここにはもう1人。そう、ジルがいたのだけれども、私との出会いから7年で人生を駆け抜けてこの世では2度と会えない人になってしまった。私の人生においての7年というのは、全体からするとおよそ7分の1にしかならないので、ジルという人がいた期間があったことが、不思議でならない時がある。

 

でも、ジルがいたからこそ、今私のそばでこんなに生き生きとしたもう2人の別の人間がいるのである。2人の中には物理的にもDNAという形で、ジルは生きている。私に”残す”という感覚はなかったかもしれないけれども、”ものすごいもの”を残してくれた。

 

1ヶ月間の連続ブログ更新を決意して、公開できそうなものがないか改めて写真をあれこれ捜索していたら、上の写真もそうだが色々と懐かしい短いビデオなども出てきた。声も懐かしいし、動いているところをみると、柔らかい(薄くなっていた笑)髪の毛の感触や、着ていた服の触り心地、温度などもふわっと蘇ってくる。けれども悲しいというよりも、やっぱり、不思議という感覚が勝る。

 

仕事でベルギーに一時帰国して居たときに、そのまま故郷で帰らぬ人となってしまったので、私も子供達も、どこかに「いつか帰って着そう」「あれ? 帰ってこないんだよね」という感覚がどこかに残ったまま、拭い去れないせいもあるかもしれない。もちろん、物理的には2度と会えないということは知っているのだけれども。

 

でも、それと同時に、彼が見守ってくれているということを、私たち3人とも全力で信じてもいる。

 

とりとめのないスタートになってしまったけれども、書き残すことが増えることで、そしてみんなにも生前のジルの姿を瞬間的にでも思い描いてもらうことで、彼があの世で少しでも喜んでくれるといいな。

 

でも、時々脱線して、違う話題になっていったらごめんね、とも先にジルに謝っておこうとおもう。何故なら、ジルとの出会いと別れを通して、私自身がこの世との関わり方を大きく変えたことも無視できないから。そこについても忘れないうちに、この中で色々と語っておきたいと思うからだ。