故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年。③

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この写真は、サウンドエンジニアとして働いていた頃のもの。



Vol.3  生前で一番好きな、一番短いビデオ

 

ジルが亡くなった後、事件や映画の取材関係で、「何かご本人の写真だけではなく、生前に動いていらっしゃった姿のわかるビデオはないですか」と聞かれることがあった。でも、その時はパッと思いつくものがないのが実情だった。

 

ビデオは、どちらかというといつもジルが熱心に”撮る側”だった。

 

もと映画のサウンドエンジニアであり、最後には映画監督をしたくらいだから、写真だけではなく、当然ながら映像も大好き。ジルが残した、主に子供達をじぃーーーっと撮った映像なら、少なからず探し出せる。

(それはおいおいまた別の機会に、公開したいなと思いつつも。)

 

でも・・ジル”本人”を映像で残したかというと、あったっけ? ごめん、思いつかない・・。そう思っていたのち、しばらくたって、何気なく携帯電話の中の古いデータをチェックしていたら、これがふと出てきた。そして、身震いしたのだった。

 

一つ目の理由は、とてもとても短いけれども、とてもとてもジルらしい表情と声が残っていたこと。うぁ〜〜とか、やっふぅ、といった歓声が、生々しく残っていて、まだここに居るような気さえしてしまったから。

 

そして2つ目の理由は、このビデオの日付が、命日のちょうど1年前に当たっていたからだった。その後、忘れることのなくなる、3月22日という日付。

2015年の3月22日のビデオだった。

ちょうど1年前には、こんなに無邪気に子どもたちと戯れていたのだなぁと。

 

www.youtube.com

 

確かこの日は、休日なのに私は仕事で、その現場近くまで来てもらい、私の仕事の終了とともに家族4人で公園へ遊びに行ったのだった。当時はまだ「残されし大地」の準備段階のころで、フルタイムの私を支えながら、普段は主婦業も請け負ってくれていたジルだった。

 

日頃、ベビーカーにこのビデオにも写っている次女を座らせ、そして長女はそのベビーカーの後ろに取り付けた”ステップ”と呼ばれる小さなお立ち台みたいなものに乗せて、あれやこれやと、本当にいろいろな場所へ連れて行ってくれていたものだ。

 

 

このビデオ、発見はしたものの、当時は公開はしなかった。

しなかったというよりも、「とっておきたい」という気持ちの方が強かった。

でも、やっぱりジルを知る人にとっては、ほんの一瞬の映像だけれども、喜んでもらえるかな。

そう思って、どこにでもある手前味噌な家族の良き思い出ショートビデオでしかないかもしれないけれども、ここに初めて公開させていただきます。

 

命の価値はその長短じゃないなと、改めて思う。

一瞬でも、キラキラした時があった。そしてそのキラキラの瞬間が、少なくなかった。

そして、その時一緒にいた人に、何かのきっかけがあるときに、蘇る輝きを残せた。

それだけでも素晴らしいことなんだよね、とジルの笑顔を見ていると思う。