故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年 ⑤

f:id:Gillesfilm:20210215223654j:plain

 

 

Vol.5最初にもらった写真

 

ずっと前に使っていた旧式のマックから探し出してきた。

この写真は、2009年ごろにインターネットで”文通”が始まった頃に、ジル本人から送ってもらったもの。

後から聞いたところ、おそらく撮影は2005年ごろ。(ということは、ジル35歳くらい。)マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭でホテルに滞在中だった時の自撮り写真らしい。”近影”ではなかったものを送ってきたところを見ると、きっとお気に入りだったのだろう。

 

インターネットで”文通”というと、何だかいかがわしく思われそうだが、そのきっかけを話すと・・。私は2006年〜2007年、会社を休んで一年間ロンドンにて遊学をしていた。その時、英語の語学学校に通っていたのだが、土地柄だけあって、ヨーロッパ中から学生が来ていた。できたお友達の出身国を、地図上でピンで刺せば、かなり埋まったかもしれないほど。それぞれのお国言葉訛りの英語を聞くのも、面白かったもの。

 

その時に、あぁやっぱり異文化交流は楽しいな!と思い、帰国後も彼らとはフェイスブックでつながっている。さすがに今となっては、繋がっているだけでもう日常でのやり取りはないけれども、当時は、日本に戻って来てからも何となくそうしたカウンターカルチャーな交流に”飢えた”状態だったので、積極的にやり取りをしていた。

 

そんな中、友達の教えてくれた異文化交流サイトで何気にやり取りが始まったのがジルだった。でも、最初から付き合う人を探していた、というわけではなかった。ベルギー出身で、サウンドエンジニアで、仕事柄いろんな場所に行くことがある、というプロフィールがあって、旅好き(放浪癖がある・・)の私と、何だか気が合いそうだなと思ったことから、何気ないやり取りが始まっていた。

 

日本には来たことがないけれども、日本の文化が好きということで、出てくる言葉が「おぉ、通だな・・」と思わせるもの。文学では現代なら村上春樹、昔のものなら川端康成が好き、映画は河瀬直美、是枝監督、北野武とか・・。私の方がちゃんと見たり読んだりしていないものも多く、逆にちゃんと知っておかなくちゃと、ジルの趣味を参考に改めて本を買ったり、ビデオをレンタルしたりして、逆に日本人の私が”見識を深める”みたいなことになっていた。

 

私は文化的にはどちらかというと表面的でミーハーで、何を書いてどう気に入られたかわからないのだが、そうしていくうちに、何となくまだ会ったことのない「いいお友達」のようになって行っていた。私はただ、返事としては自分で撮った綺麗な景色の写真とか、本や映画の感想を送っていたように思う。

 

実際に会ったことがない誰かと、そうしてやり取りが続く、ということは後にも先にもこの時だけ。今思うと、本当に不思議。

 

そんな中、「今度の夏休み、ついに日本へ行ってみようかな。ずっと行きたかったんだけどきっかけがなかったし。」「よっしゃ、案内するよ!」という流れに。実際に”出会った”のは、そんなわけで、東京にて。2009年の夏のことだった。

 

さて、この写真の話に戻るのだが。

私はこれを見たとき、なぜだか「あ・・懐かしい!」と反射的に思った。運命だと思ったとか、一目惚れしましたとかではない。そうではなくて、何か頭の中の奥の方の記憶と、どこかで細く結びつくような・・・。

 

そして次に、同じように不思議な感覚が訪れたのが、生まれて来た長女の顔を見た瞬間。そ

の赤ん坊の瞳が明らかに”タレ目”で、この最初に見たジルの写真の”タレ目”感と、一致していたのだが・・。その時思ったことが「あ、さすが子供だからジルに似てるね」とかではなく、どこかから「ほらね。だからやっぱり、こうなった(この子に会った)でしょ。」という声が聞こえてきたような感覚があったのだ。

 

頭の中から、自分のもう一つの声がぽろっと。その声の主が、私の「過去(前世?)」から来ているのか、「未来(来世?)」からきているのか、わからない感覚で不思議だった。同時に現実の私が「へ?」と心の中で聞き返したものの、謎のまま。

 

そして、その謎は、いまだに解けてはいない。

 

ジルはまさかの亡くなりかたをしてしまったけれども・・。そのことと、ジルの写真を見たときや娘の顔を初めて見た時の不思議な感覚に、つながりがあるのかどうかも分からないけれども。ただ、その感覚がいまだに残っているということは、理由がわからないなりに、今を肯定する不思議な後ろ盾になっているところもある。