もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。⑩
Vol.10 懐かしの第一子マタニティ・ライフ
さて、今日は⑧のお話の続き。
2009年秋の初のベルギー訪問から帰ってきてまもなく、驚くべきことが起こった。
正確な日付は覚えていないのだが、妊娠していたことがわかったのだ。そのとき私は39歳で、年が明ければ40歳というタイミング。ずっと「あったらいいな」と思っていたことではあった。
ただ、その直前のベルギー訪問の最終日。ジルが送ってくれた時、こんなことを言ってくれていたので、不安はなかった。それは経由地点となるロンドン行きのユーロスターの駅で。
「日本とベルギーで、生活拠点がそれぞれ違うから、なかなか難しいのはわかってる。でも、どうしたらいいかは置いておいて、一緒に生きていけたらいいなと思っている」
とはいえどうするのか・・は確かに難しい問題ではあったが、そこについては、その後も何度もジルの口から聞くことになる、”ジル格言”が助けてくれた。
'We will find a solution.' (何か解決策は見つかるはず。)
妊娠に驚きながら、早速電話してそのことを知らせると、ジルは「は・・!?」と狐につまれたような声を出していたが、後から聞くと、窓を大きく開けて、街中に「僕はこれからパパになるんだ〜〜!! なんてすごいことだ」と叫び出したかったくらい(実際はしていないけど)、嬉しさを超えた感情に襲われていたらしい。
思わぬことが重なったが、むしろこれで、当面の行動が決まった。
どちらでこれから生きていく、なんて決めるのは難しいことだけれども、とにかくまずは、私が育児休暇を使ってベルギーに住んでみるのはどうかと。そして私の育児休暇が終わったら、今度はジルに日本に住んでみて貰えばいい。お互いの場所に住んで見れば、何かが見えてくるのではないかと。
というのも私の仕事も東京でしかできないこと。ジルの仕事も、フリーランスではあるけれども、完全にヨーロッパが拠点だ。すぐには答えが出ないことは分かっていた。そしてヨーロッパでの生活が苦にはならなそうだということは、先のロンドン遊学でも分かっていたのだが、一方で私も仕事にもそう簡単に区切りをつけられるように思えなかった。
しかし、子供ができたことで、逆に”執行猶予”をもらったようなものだった。
さて、そうして私の妊娠がわかったジルは、いてもたってもいられなくなったらしい。それまで住んでいたアパート(⑥のお話で出てきた)を一旦引き払い、その近くの妹や友人のアパートに荷物を寄せて間借りに変更しながら、日本へとまたやってきた。そのあとは仕事のやりくりをしながら、私のところへ来たり、またベルギーに戻ったりを何度か繰り返していた。
(何度も往復をする上、当時はまだ籍を入れていなかったので、日本の税関には怪しまれて、スーツケースを開けられることもしばしばだったらしい・・。)
それにしても、私のマタニティ・ライフの最初に来てくれた時、そのお土産がすごかった。オーガニックショップで手に入れたというハーブティーの数々、サプリメントの錠剤やドリンクをどっさりと。お店の人に聞いて、色々と買って来たのだという。
そして自分用には『父親になるということ』(もちろんフランス語です)という題名の本を持参。寝そべりながら、目を皿のようにして一生懸命読んでいた。そしてまた、なんとかして日本語を覚えなくちゃと、行動を開始していた。日本語の辞書、テキスト、そんなものもどこからか調達しており、それはまたなんだか悲壮なまでの覚悟だった。
子供ができるということ。そして日本という国と、これから真剣に付き合っていかなくてはならないこと。ワクワクしながらも、それらの責任感に容赦なく突き動かされているような。ジルの真面目な性格がとてもにじみ出ていた。
けれども考えてみたら、いわゆる2人だけのデートというようなものは、その時までも大して重ねたわけでもない。そしてこの後も、もう2人だけにはなりにくいというタイムリミットがすぐそこまで迫っている。さらには、ジルはまだまだ、”日本への旅行者”でもあり、なんとかできる限り、楽しい場所へ行こうと、このマタニティ期間は近所から遠くの温泉まで、いろいろな場所へ出かけて行ったように思う。
この時の顛末は、いちいち人に話すと驚かれた。え、ベルギー人? え、妊娠? 仕事は?生活は? どうするのこれから? えーーー!!と。
ただ、当時とても仲の良かった私の性格をよく知る友人によると、私とジルはある一点でとても似ていたらしい。それは、無謀というほどではないけれども、どちらかというと「(未知の世界でも)飛び込んで行く」「冒険を厭わない」こと。そんな行動様式が一致しているから、一緒にやっていこうとすることが出来るんだねと。確かにそんな部分は、普段は身長でも、人生のそこかしこで顔を出してくる姿勢かもしれない。そしてこの点では気が合っていたのかもしれない。もしかしたら、こんな突然の人生航路の変化には、お互いの家族や友人を少なからず驚かせ、振り回していたこともあったかもしれないけれども。
兎にも角にも、この時が私の人生の大きな曲がり角だった。
文字通り、グワゥーーっという折れ線の音が聞こえてきそうなほど、”90度”の曲がり角だった。
恋愛もなかなかに難しいし、このまま東京で物を作ることに関われること、好きな仕事をしていければいいや、とも思っていた。それなのにまさかの展開。
この時はしかしまだ、その後にもっとすごい曲がり角が待っていることまでは、想像していなかった。
<つづく>
<おまけコーナー>
<つづく>と書いてみたところで、ここで思い出した比較的最近の面白いエピソードをひとつ。長女が数年前、初めて漫画雑誌を読んだ時。(それは「りぼん」の「さよならミニスカート」でした。) 最後のページのあたり前後をペラペラとめくりながら、「ねぇ、ママー! これ、さいごに”つづく”ってかいてあるんだけど、つづいていないんだよぉ」と(笑)。