故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ⑱

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庭が素敵だった、ジルのお姉さんのお家。第二の我が家のように滞在させてもらった。

私が押すブランコの方に乗っているのは、うちと同じく日本ベルギーハーフの親友の女の子。

地面で息絶えたように見えるのは・・・ご心配なく。落っことした赤ちゃんのお人形です!

 

Vol. 18  子どもパワーはすごいぞ

 

ナミュールという地名をご存知だろうか。

 

ベルギーの首都、ブリュッセルから車もしくは電車で南下して約1時間。

ベルギーは実はフランス語圏、オランダ語圏が存在し(正確にはドイツ語圏もほんの少しあるのだが)、それぞれがある意味、ざっくりと分かれて”別々の国”のように機能している部分もあるというのは以前のブログでも書いた通り。

そのフランス語圏の方(ワロン地方という)の、首都に当たるのがナミュール。ここはジルが学生時代を過ごした場所でもあり、ジルの双子のお姉さんたち、それぞれの現在の住まいもある場所だ。ブリュッセルから近いということもあって、たびたび行き来をしていた。

 

お義姉さんのひとりは市街地に家を持っているのだが、静かで広めの庭には、当時すでにティーンだった従姉妹が昔使っていた、ブランコも滑り台も備わっていて、最高の環境だった。

そしてもうひとりのお義姉さんの方のお家は、ナミュールのさらに郊外にあるのだが、そちらのお庭は「もう公園でしょ、これ!」というほど度肝を抜かれる広さで(イメージ的には東京の小学校の校庭くらいの広さ・・いや本当に!)、そこでもよく遊ばせてもらったものだ。ブリュッセルから少し車を走らせると、公園?牧場?と思えるような庭のあるお家もそう珍しくなかったのが、ベルギー。自然はそこかしこに溢れていた。

 

ところで2013年の3月、じつはこのナミュールの市街地のほうのお家(私たちはここをMaison de Namurと呼んでいた)をお借りすることになり、私たちは国内でプチ引っ越しをした。ひとつには主であるお義姉さんが、事実上ブリュッセルに拠点を移して空き家状態になっていたこと。そして我々は9月には日本へ本帰国することが決まっていたのだが、それまで、そこをお借りしてゆったりペースの暮らしを楽しみたい、ということになったのだった。

 

これは日本の事情ともよく似ているけれども、保育施設などへは地方のほうがスッと入れる枠がある。子育てそのものにとってはベターな環境。都会のブリュッセルでは保育園探しに苦労していた私たちだが、ここでは引っ越してきたその日のうちに、娘たちはそれぞれ幼稚園、保育園に入れた。(ベルギーの幼稚園は、実質2歳くらいから入れる。)

 

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幼稚園のお遊戯会?のようなものでの演し物。中央で立っているのが長女。

何かの動物になっていた・・のはいいけれども、お〜い! 

みんな座っているのにひとりだけ直立・・大丈夫かとヒヤヒヤした。

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上の写真の衣装を脱いだら、こんな顔!

 

ジルはというと、せっかく引っ越しをしたものの、意外とこの時期はとても忙しくなり出張に次ぐ出張で、この家では私と娘2人だけが残されることが多かった。フリーランスなので仕事の入り具合には波があるのだが、この時期はサウンドエンジニアとして最後の書き入れ時だったかのように、あちこちへと飛んでいた。

 

この時に覚えているだけでもブルキナファソ、ロシア、アメリカ、中国も・・。当時、”世界の諷刺画家を巡り、それぞれの国の表現の自由について考える”というような内容のドキュメンタリー映画に関わっていたため、目的地がそんなに多岐に渡っていたのだ。残念ながら日本公開されておらず、タイトルも正確には把握していないのだが・・。

 

今思うと、そんな映画に関わっていたという事実には、ハッとさせられる。

 

ジルが亡くなる1年ほど前の2015年の年明け早々。パリであの表現の自由を巡って起きた衝撃的な新聞社襲撃テロ、「シャルリ・エブド事件」が起きていて、そのときジルはあまりのことに大きくショックを受けていた。さらにはそのテロがもっと巨大化する形で現れたのが、2015年11月にパリで起きた、コンサート会場やレストランを舞台にした大規模な同時多発テロ。その一連の流れの中で、ジルも2016年の3月に彼はブリュッセルで亡くなってしまうのだから・・。

 

サウンドエンジニアなのでひとつの技術職でしかないといえばそうなのだが、どちらかというとその題材含め、深く理解して関わるろうとするのがジルだったので、この流れには少しの切なさを感じてしまう。

 

けれどもそんな先のことはつゆ知らず、このMaison de Namurに住んでいた頃の私たちは、最初の”幼児子育て”真っ盛りを迎えていた。長女3歳、次女1歳。

 

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3歳の長女。腕に抱いているのは、もともとこのおうちで飼っていたモルモットのコウベちゃん。

お家を預かるのと同時に、この子のお世話もしていた。

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当時、次女は1歳になったばかり。脱臼のあった脚はすでに0歳のうちに治り、

かまり立ちや階段の上り下りなどの”自主練”に勤しんでいた。

 

さて、なぜ今回のブログのタイトルが子どものパワーについてなのかというと。

 

このMaison de Namurに私たちというか、子どもたちが住まうようになった途端、ここの庭のスグリの木が史上最多の実り方をしたからだ。ハッと気がつくと赤く透明感のある美しい実が、えらくたわわに連なっており、どの枝も重たそうにしなり始めていた。たまに家に様子を見に戻ってきたお義姉さんも、「こんなに実がなったの、初めて見た!」と驚いていた。ジルもこれは何かしないともったいないと思ったらしく、次々に空き瓶を煮沸してジャムを作り、家族や近所に配っていた。(忙しいのにここでもやはり、家に居るときは甲斐甲斐しかった・・。)

 

植物とは不思議なもので、人がそばに居るとその息遣いを敏感に感じとるのか、ともに生き生きしてくるところがあると思うのは、私だけだろうか。それも大人ではなく、ぐんぐん伸びる育ち盛りの子どもが居る環境だと、てきめんに。

何か、子どもたちが惜しみなく出している成長ホルモンのようなものを、敏感に感じ取って吸収しているのではないかと思ってしまう。(最初にアップした写真の、向かって左側の方にもスグリの木がチラッと写っているが、この時はまだ序の口だった。)

 

 

その後の話になるが、同じ年の秋に東京で空き家をお借りして住み始めた時も。塀に張り付いていたしょんぼりと薄黒いツタが、これから寒い季節に入ろうとしているのにむしろ緑色を増し、目に見えて枝々を伸ばしていったのを覚えている。

 

アンチエイジングにも使えるパワーか?! 子どもをそばに置いておけばいいのか!?

・・と思いたいが、残念ながら親の場合はそれとは反比例して、順調に見た目も老化している(笑)ので、単に子どもと植物の相性がいいだけかもしれない。

 

けれどもこの時。

緑豊かなナミュールで感じとった、子どもたちに備わる”自生パワー”のようなものには、今も十分に支えられているような気がする。