もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年 ㉖
Vol. 26 あの日のことを、書かねばならない
〜その1
㉔のお話の続きです。
撮影が終わったのは10月。いよいよ編集作業だ。
そのためにジルはベルギーへ帰国することとなっていた。
この映画「残されし大地」は国籍が”ベルギー”だ。舞台は日本、出てくる人も日本。けれどもスタッフの多くも、資本もベルギー。だから映画そのもののクレジットは”ベルギー映画”となる。(いわば逆輸入。)
ジルが編集作業を頼みたかった、敏腕エディターのマリ・エレーヌというスタッフは、あいにく直近のスケジュールは詰まっているということだった。それに合わせる形で、ジルは12月になってからベルギーへひとり帰国することとなった。
映画のエディターとは・・。
私が理解したところによると、雑誌で言うなら、レイアウトをしてくれるグラフィックデザイナーのようなものだと思う。「こうしたい」という監督の(雑誌ならばその特集記事の担当者の)、目的や指示に沿ってビジュアルを仕上げてくれる。けれどもそこは、彼らのセンスと専門知識が物を言う。
どうするとより見栄えが良いか、これはもしかしたら不要ではないか、などの相談も一緒にしてくれるというわけだ。ジルが一番信頼が置けるのが彼女ということだった。
そんな流れで、日本でやや”待ち”の状態だったとき。
パリで大事件が起きた。
2015年11月13日。
コンサート会場やレストランで銃が放たれ、130人以上の人々が亡くなるという、大規模かつ筆舌に尽くしがたいショッキングなテロだった。
2015年は最初から不穏な年だったと思う。
1月7日にパリの新聞社が急襲された、シャルリ・エブド事件。
1月30日には日本人ジャーナリストの後藤健二さんがシリアで拘束の後、殺害された。
この時、恐怖を間近に感じる思いで、落ち込んだ我々日本人も多かったのではないか。
ISの動きが活発さを増し、不気味さも増し、ニュースでもこの時期は、この組織絡みの話題が非常に多かった。
しかも次第にわかってきたことに、ジルはひどくショックを受けていた。
パリでのテロ事件の首謀者の多くは、ベルギー人であるということだった。
パリとベルギーの首都、ブリュッセルの間はTGBと呼ばれるヨーロッパ式新幹線が走るが、言語も同じフランス語なのでつながりが強い。地理的な距離感で言えば、東京と名古屋のようなものだ。
ベルギー人が絡んでいたということを知った時のジルの落ち込み・・。
顔を赤くしながら「なぜこんなことが」と首を振るその姿、その表情を私は今も覚えている。
さらには、「次はベルギーかもしれない」という懸念も日増しに高まってきていた。
いつからいつまでだったかは忘れたが、懸念されるテロを予防するために、ブリュッセルでも年末や年始に地下鉄や学校がクローズするという予定も取りざたされはじめた。
「こんな時期にベルギーに戻るん? 今回はジルさんもやめとくんやないと。」と私の母が言ったのを覚えている。もしもこれが旅行だったら、取りやめただろう。
けれどもジルにとっては、何よりも大事な映画の仕上げ作業が待っていた。そして、ほかでもない母国への帰省だ。少しの迷いがないわけではなかったが、ジルは12月の出発を選んだ。
ところで、このまだ日本に残っていた時のことで、クリスマスに関して印象的なことがある。
子供たちと東急ハンズまでクリスマスツリーを買いに行ってくれた。
ベルギーではほとんどの家で生のモミの木を買い付けて飾るが、日本ではあのお馴染みの毎年使えるプラスチックが主流。「この先ずっと使うんだろうから、いいの買ってきたよ」と、暗がりでほんのりと呼吸をするように、枝先だけにライトがつくツリーを買ってきてくれた。高さは私の身長くらいだった。
そして、フランス大使館で子供のためのクリスマスパーティーが開かれるということで、ジルはやはり娘たち二人を連れて出かけて行ってくれた。そこでは、くるみ割り人形の兵隊さんみたいな真っ白な陶器のオーナメントに、アクティビティとして自分たちで色を塗るというものがあったらしい。
実は、直近の2020年のクリスマス。
そのオーナメント3個を見ながら、娘たちが「これがパパが塗ったやつ。パパが一番うまかったんだよね〜」と昨日のことのように私に伝えた。確かに、たどたどしい塗り絵のような2個と、綺麗に端の方まで色が塗り切られた1個との、合計3個がある。
さらにはツリーを見て、「パパ、これ買う時、めっちゃ迷ってたんだよね。すっごい待たされた」と言っていた。 5年も前のことなのに、よく覚えているなと驚きながら・・。これからも毎年、この記憶のリマインドをしていこうと私は密かに誓った。
そして・・当時の話に戻ると。
2015年12月8日。本当のクリスマスも近かったあの日。
早朝、薄暗い玄関で空港に向かうジルを娘たち二人とともに、「いってらっしゃい〜。」と送り出した。
その後もスカイプなどでたびたび”姿”は見ることになるのだけれども、生身のジルを見たのは、あれが最後になってしまった。
<つづく>