故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ㉚

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Vol.30 あの日のことを、書かねばならない

〜その3

 

㉙のお話の続きです。

 

「ジルが亡くなった」

そう聞いて打ちのめされて、泣きながらスカイプを切った。

 

心配そうに私を見つめていた母に、「ベルギーへ行くから、娘たちを北九州で預かって欲しい」と頼んだ。

迷ったのだが、今はまだ子供たちに告げないこととした。

ただ、「ママ、急に忙しくなることがわかったから悪いけど、ばぁばと一緒にしばらく北九州に行っといてね。あとで迎えに行くからね」とだけ言い、その日のうちに3人を押し込むように新幹線のホームまで見送りに行った。少し不思議そうな顔はしていたが、素直な5歳と4歳。ただ、長女の方は別れるときになぜか泣き出した。

 

私が選んだのは、翌日の夜のエールフランス

この時、テロの起きたブリュッセルの空港は閉鎖されており、まずはパリから入って陸路、TGVブリュッセルの南駅へと向かう算段だった。

 

春休み真っ只中のはずだが、不穏な空気漂うヨーロッパ行きだからか。飛行機の中は閑散としていた。こんな心理状態の中で、狭い空間に12時間も閉じ込められては息ができなくなるかもしれないと思い、私は普段だったらしない贅沢で、やや広いプレミアムエコノミーの席を予約していた。

 

日本を発ったのが夜だが、そのまま夜の闇がずっとずっと、暗いトンネルのように続いて行くような感じがしていた。目の前にボワっと唯一、黄色い光を放って見えたのは、座席の目の前にある個人用映画スクリーン。

わたしが思わず目を留めたのは、フランス製アニメの「リトルプリンス 星の王子さまとわたし」だった。

あ・・これはジルが子供たちを連れて、新宿ピカデリーに見に行ったやつじゃないか。

 

おそらく前年の11月末くらいだと思う。

私がインターネットでチケットを購入し、その引き換え番号をメモしてジルに渡した。大人であっても、異国に住んでいるならではの、ドギマギもあったのだろう。「ちゃんと機械からチケットを取れたよ」と、おつかいに行った子供のように、帰ってきた時に報告してくれた。

「すごくいい映画だったんだよ。自由って何か、について語っているんだ。これは大人こそ見るべきだね」 そう強調していた。映画の意味を一番深く感じとったのは、子供たちよりもジルのようだった。

 

私はこの映画を2度、飛行機の中で回すことになる。

ジルの言っていた意味はわかった。ルールに縛られたり、予定を立てすぎたり、安心を求めすぎたりすることが嫌いなジル。映画の中に出てくる、かつて星の王子さまに会ったことがあるという自由な”おじさん”はジルのようだった。それが解った時に、一体どういうシチュエーションでこの映画を見ることになったんだ私は・・と思い、ボロボロと泣いた。

 

3月30日の早朝にブリュッセルに着いたとき、ジルの友人、ひいては私の友人でもある二人が迎えにきてくれていた。お互いに息を切らして顔を合わせるなり、輪郭がなくなるほどグシャグシャになった瞳でただ黙ってきつく抱き合った。このあと、私は色々な人ときつくきつく、抱き合うことになる。ハグを挨拶がわりにするヨーロッパでも、普段はこんなに力のこもった抱擁に次ぐ抱擁は、しない。

 

ジルの身体はもう、前日のうちに故郷であるブイヨンに運ばれているということだった。

 

ブリュッセルから車で2時間。運転してくれたのはジルのお義姉さん、シルヴィー。私が恐る恐る質問をしたのか、それともお義姉さんから話してくれたのか忘れたが、ここで初めて私はジルの死にまつわる詳しい情報を聞くことになる。

 

ジルの死が判明したとき、警察はまずブリュッセルにいるシルヴィーのところに報告にやってきた。そのあと、家族はお互いに電話をするのではなく、それを言うために次の姉妹、次の姉妹、そして最後は両親のところへ、と人数を増やしながらどんどん車で移動していたのだった。誰もが泣きながら車を運転していたはずだ。

そして日本時間の早朝になるまで、私が起きる時間になるまで。全員で待っていた。だからあの時、スカイプの向こう側に勢ぞろいしていたのだった。

 

ジルが見つかるのに時間がかかったのは、多数の負傷者の手当や照合の方により時間が割かれていたからだったそうだ。

ジルは即死だった。

お医者さんの見立てでは、「おそらく本人は気づかないうちに、だったでしょう」ということだった。犯人と同じ車両で、5メートルほど離れたところで背中を向けて立っていたそうだ。最後に病院でジルの顔を見たい人、見たくない人・・それは家族の中でも分かれたようだ。けれども身体も部分的に失くした所などはなく、「穏やかな顔をしていた」ということだった。苦しむ瞬間がなかったのだったとしたら、それはよかったのかもしれないと、少しホッとした。

 

しかし・・私自身は、ついぞ顔を見ることが叶わないままになってしまったのだった。

前日のうちに棺は打ち付けられており、日本式のように小窓もない。家族が「明日、奥さんがくるから待ってもらえないか」と警察に聞いてくれたのだが、そこは事務的にNOだったのだ。

 

私がこの時、彼の顔を見なかったこと・・そのことの良し悪しの判断は、今もついていない。逆に見なかったことで、私の中では彼の死という事実が、どこか徹底的には、刻み付けられていないのである。

けれども見なかったことは、挨拶をしてあげられなかったということなのか・・到着が遅れてごめんなさい・・そんな気持ちも残ってしまった。

 

ブイヨンの彼の実家はホテル経営をしている。

そのホテルの中の、通常ならレストランとして営業をしている場所が、彼の棺の安置場所となり、そのスペースはすでに多数の花で埋め尽くされていた。

薄いベージュの大きな木の箱は、当然ながらだいたいジルと同じ大きさだ。この中に身長183センチのジルが入っているのか・・もう起きることのない姿で。そう想像すると、やりきれない気持ちで崩れ落ちるしかなかった。すでに到着していたジルの親友たちと、お互いに嗚咽しながらそこでもきつくきつく、抱き合った。

 

葬儀は3月31日。近くのカトリック教会だった。

ジルと仲の良かった4人の男性それぞれが、棺の端を「せーの!」と担ぎ、皆で教会までの5分ほどの道を行進した。雨がそぼ降っていたが、誰も傘をさしていなかった。

海外で葬儀に参列するのは初めてだったので、いつでもこうなのかは、わからない。けれども賛美歌や神父さんのお話の合間に、ある友人は詩を朗読し、ある友人はギターを奏でた。

決して因習的ではない、お葬式だった。

 

最後に教会の出口のところで参列者の一人一人と挨拶をしたが、その中に映画のプロデューサー、あのシリルがいた。私がスカイプ越しにちらりとした見ていなかった人。これが”初めまして”となった。彼は赤くなった目で「映画は完成させるからね、僕たちがやるからね」と必死の表情で告げてくれた。

 

その後、参列者たちにホテルで食事とワインが振る舞われた。

ベルギーに住んでいた時でさえ、細切れに、それぞれでしか会わなかった友人たち。ジルの仕事仲間。親友たち。家族とその友人。親戚。近所の人たち。私がベルギーに住んでいた時のたくさんのママ友。海外にいて間に合わない人以外は、ベルギーで縁とゆかりのあった人たちはみんな、そこに居た。

 

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ホテルの中の一部に、ジルを偲ぶ写真などが飾られていた。

悲しみと笑いは紙一重というけれども・・。

食事とワインで笑顔も出てくる。ジルの思い出写真をスライドショーにして皆で見ていると、中にはクスッと笑えるようなやんちゃな若い頃の写真も出てくる。こんなに大きな悲劇の中にいるのに・・なぜか、笑えるときは笑えるのだった。そしてまだ、ジルもそこにいるような、不思議な気分になってしまうのだった。

 

本当に・・ジルが今にも、「たまたま2階にいただけだけど、降りてきたよ!」という風情で、「やっほぅ〜」と現れて来そうだった。

みんなみんないるのに、どうしてジルだけがいないんだ、と思った。

こんなことって、あるのかな。

 

でも、この時の賑やかさはまるで、私たちの方が天国にいるような感じがしたのも確かだ。

普段なら一同に会するはずのない人たちが、一同に会しているのだから。私にしてみれば、オールスターだ。これはどういうことなのだろう。夢なのだろうか。そうして、皆が思い出話に花を咲かせている。

 

そしていよいよ、ジルとも本当のお別れがやって来た。

4月1日に、火葬が執り行われたのだった。

 

私にとっては意外だったが、ヨーロッパも火葬を選択する人が増えて来ているようだ。それは個人の選択なのだろうが、ジルの場合は「灰をスモワ川に流して」という遺志があったので、それを尊重する形だった。

 

けれどもそこで全てを流してしまう予定にはせず、家族は私のために小さな遺灰入れを用意してくれてもいた。

時間をかけて棺が炎に包まれていった後、私に渡された小さなブルーグレイの巾着袋。

受け取った時、なぜか私は反射的に、それをみぞおちのあたりにぎゅっと押し付けずにはいられなかった。磁石で吸い付いていくようだった。

そこがその小さな遺灰の、最初の居場所なのだった。

 

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