故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

ジルとの不思議な旅 ⑩ ”忖度”なんてしてはいけない

今ならもう、私の知っていること、ある”事実語り”を行ってもいいのだろうか。

これも、ジルと知り合ったからこそ私が見聞きすることになった、”不思議な旅”の一部だから。

(注:後半はあくまでも私の”推論”であることをお断りしておきます)

 

 

時は2016年。

 

映画「残されし大地」が3.11に公開されて1ヶ月あまりが経った、4月18日。

この映画にまつわる、けれどもこの映画そのものには何の影響も与えなかった、ある大事件が起きた。

 

当時の首相夫人、安倍昭恵さんが自身のFacebookに、この映画の公式ウエブサイトをアップしたのだった。

当時、国会で森友学園の問題が盛んに論じられており、昭恵さんが盛んに使用していたfacebookを自粛して1ヶ月ほど経った頃だったため、久しぶりの更新というか動向はニュースとしても報じられた。

 

この時の様子について、毎日新聞の記事を引用。

安倍昭恵夫人1カ月ぶりFB更新 文章記載はなし - 社会 : 日刊スポーツ

 

そもそも、なぜ昭恵さんがこの映画をいわば”おすすめ”として上げてくれたかというと、配給プロデューサーを務めてくれた奥山和由さんが、それに先立って昭恵さんをプライベート試写に招待していたからだった。

奥山さんがその数ヶ月前、とあるパーティーで昭恵さんに初めて遭遇し、熱心に誘ってくれたらしい。言わずもがな影響力のある方だから、その宣伝力を、お力を借りたかったということになる。

 

私自身はこの試写には居合わせていないが、当時宣伝を手伝ってくれていた配給会社のスタッフによると、昭恵さんはご友人や側近かといった方達、7〜8人と連れ立って来てくださっていたらしい。特に感想のようなものはおっしゃったのかどうか・・も分からない。

 

実はこの映画「残されし大地」のいわば主人公、松村直登さんと昭恵さんには、そこから遡るゆかりがあった。

松村さんの富岡町の自宅には、そこを訪れたあらゆる著名人のサインが壁のいたるところに発見できるのだが(映画の中でも、その一部は出ている)、その中に「松村さんへ 愛 安倍昭恵」という古いメッセージもあるのだ。

 

昭恵さんがいらした当時はまだ完全に富岡町は”ひとが残っていてはいけない場所”であり、いわば政府の指示に背いた形で、松村さんのことを聞きつけ、応援にかけつけていたという形になる。おそらく純粋に、「残された動物たちを世話してくれて、素晴らしい」という思いだけで、サインを残していかれたのかなとは思う。

 

松村さんはそんな昭恵さんの人柄と立場の両方に気を遣い、「ここは映さないで」と夫に頼んでいたらしい。

 

また、夫の代わりに私が電話で撮影についての打ち合わせをしていた時、松村さんがこの昭恵さんの一件に触れて、こんなことを言った。

「昭恵さんはいろいろなところに呼ばれると顔を出して、それはいいんだけど、その結果、中には変な団体に変なふうに名前を利用されちゃったりもしてるから。気をつけなくちゃいけないんだ」と。

 

首相府人らしからぬ奔放な雰囲気に、ファンもいればアンチもいる・・。それはなんとなく、全体像として浸透している部分でもあったが、そのfacebook事件の時に、その様子が改めてはっきりと見て取れた。

 

昭恵さんがアップしたのは、映画「残されし大地」の情報のみで、そこに付随したコメントはない。けれどもその久しぶりに”動きを見せた”ことにネット民は大きく動き、ファンからと、アンチからと、真っ二つに分かれたコメントがものすごい勢いで書き込まれてきたのである。それはまさに、嵐のようだった。

ファンの方は、「逆境にも負けず頑張って!」「わかっています、応援してます!」というものだし、アンチの方は「こんな時にシネマ情報なんていらねーんだよ!」「国会で説明責任を果たせ!」と言った論調・・。

 

完全に、見事なまでに、映画そのもののことは置いてけぼりにされていた。

 

たまに映画に言及しているコメントがあるとすれば、それは「”残された大地”って・・あの森友学園の土地のことですか!?」と揶揄するもの。そうなってしまうかぁ、と、1本取られたような悲しい脱力感があった。

 

そして、このfacebookの更新は、そんなファンとアンチの”戦い”に揉まれただけで、この後に映画の動員が目に見えて増えた・・ということは残念ながらなかった。

 

せっかくの奥山さんの努力があまり功を奏しなかったとなるので、そこのところだけ、奥山さんに申し訳ない気持ちがした。

 

私自身はというと、昭恵さんに対してこの経緯からして”お世話になった”という事実が残る。

 

松村さんのファンだったからというのもあるかもしれないが、多忙な中、映画「残されし大地」を見て「いい映画だ」と感じたから、お勧めとしてアップしてくれたのだ・・ということには、ありがたいなと思う。

しかもそろそろシェアしないと、遅きに失してしまう、という気持ちもあったのかもしれない。(コメントなしで1ヵ月ぶりにこの映画のサイト"だけ"を唐突に共有したのだから)

 

”呼んだら来てもらった”ということに関しては、この映画と、森友学園も、時期的にもそうだが一つのラインに並んでしまうのかなとも思い、他人のことだけを責められないなと思う。

 

けれどもこのことを通して、昭恵さんという人物と、そこを通して展開された先の社会問題との構造図が、推測の域は出ないけれども、一気に見えてきたというところもある。

 

先ごろ、ついに「赤きファイル」が公開に。

亡き夫の遺志をなんとか継いで・・と頑張る赤木さんの妻がいる。

「え? ”亡き夫の遺志を継いで・・”? このフレーズどこかで聞き覚えがある」と私の心がつぶやく。それに突き動かされて、一心に動いている姿。それも身に覚えがある。

 

だから余計に、このニュースを見るたびに、私も何かを書かなくてはいけないのではないかと二重に突き動かされるものがあった。余計なお世話と知りながらも・・。

 

ただ、「誰が真犯人か」というのは、最終的にどうしても見えにくいままなのではないかとも思っている。原因の一つは、昭恵さんの純粋だけれども時に奔放すぎる行動。それは私が見聞きしたことからも推測するに、確かなのではないかなと思う。

 

けれどもその先を作った真犯人は、どこの誰? その真犯人は、この世、もしくはついこの前までの(今もそうか?)日本に一部ではびこる”忖度”という名前の、ネガティブパワーのようなものだと思うから。

変なことを言うと思われるかもしれないが・・。「呪霊」のような、ネガティブな力に冒されてしまった”集団”があったからではないかと思うから。

(注:「呪霊」という言葉は、ご存じ、人気漫画「呪術廻戦」の中の用語)

 

自らの目的に、昭恵さんのパワーを利用したい人が当時、たくさん居た。それは純粋な目的のものもあったかもしれないし、邪な目的のものもあったかもしれないし、またはそのグレーゾーンのようなものもあっただろう。

「いい土地ですから進めてください」はもしかしたら、「いい場所ですね。頑張ってくださいね」くらいの軽い意味だったかもしれない。官僚の人事権をも政治が握っているような流れの中で、”忖度”と言う名の呪霊が働き始めた。

 

「これは大変だ。特例として進めなくてはならないのだろう」とある意味、大掛かりな早とちりが始まった。 昭恵さんがそこを訪れた証やともに映った記念写真なんて、当時は日本中に溢れていただろう。人物像に立ち返り、ことの本当の重要度を推し量るべきだった。”忖度”というのは何も調べず、熟慮もせず、ひいては良かれと相手に媚びへつらい、自分を無言で守るために行うことである。

まずはそれが最初のエラー。

 

そして当時の安倍首相は、おそらくだがその一連のことは把握しないまま「(そんなちっぽけなことに)自分が関わっていたら国会議員をやめますよ」と言ってしまった。それを聞いた理財局は、良かれと思った”忖度”がむしろ自らを滅ぼす”刃”になってしまったことを知り、それを隠す方向に動き出した。

 

それが2つ目のエラー。

 

・・・この世で最も間違っているのは、エラーの上塗りだ。

 

エラーは最初に発見したらそこで明らかにし「御免なさい」を言うことが実は最善の策。これを隠そうとすると、もっと事態を混乱させ、うまくいかないことだらけに。辛くても最初のエラーを陽のもとに晒す・・それが出来ずに、人間的な欲に揉まれる形で混迷を深めて言ったこの問題。”潔く”なれる人が、重要なループの中に居なかった。

 

そしてそのエラーの上塗りの中に、潔さを主張して、命を落とされてしまった方が居た。

 

改ざんの指示をしたのは”佐川氏”だと言われているし、そうなのかもしれない。けれどもその佐川氏に、言外でも「自らのエラーに落とし前をつけてくれなくちゃ困る」という暗黙の圧があったのではないか。もしかしたら言葉すらなかったかもしれない。でも、圧があったとしたら、それも見事に呪霊級のパワーだ。

 

エラーを起こさせた”圧”も真犯人の一人だ。ただ、それがそもそも、特定の人物の形をとりにくい、呪霊のようなものだからたちが悪い。たとえ登場人物そのものは複数居たとしても。

 

正義は何かということは常に難しいが、ここから得られる教訓があるとしたら、それはやっぱり、”忖度”という名の呪霊に、人間が冒されてはならないということではないだろうか。

隠したくなるエラーは勇気を持って白日のもとにいったん、一瞬でも、晒さないといけない。その方が、誰もが名誉は捨てることになっても、エラーは背負わずに生きていくことができるのに・・。

 

 

ところで私は普段、いろいろなことを思いつく中に、「もしかして正しい?」と思うことがあると、足の裏が熱くなるという不思議な習性を持っている。

 

今朝、赤木ファイルのことをふと考えていたら、足の裏からジェットが出てきた。

別に私が書くようなことは、”暴露”というほどのことでもなく、部分部分で、誰かに知られている話でもある。

 

けれども改めて、「このことについて書いてみたら」とジルが私にメッセージしてきたような気がしてならなかった。

 

社会問題への意識は強いほうのジルだったからか。

天国で誰かに会えたのだろうか。