マイ・タウン、浪江町。 My town, Namie
映画「残されし大地」に出てくるゴーストタウン化した街並み。人の代わりに緑が生い茂る。
映画「君の名は。」と「シン・ゴジラ」が今年の大ヒット映画ですが、前者はとても美しく。そして後者はとても耐え難く「見慣れた景色がこんなにも変わってしまう」ということがキーポイントだったのではないでしょうか。
そして、どちらも描いているのは、皆のよく知る日本の景色です。前者は「普通の町」、後者は「都会の街」。
映画「残されし大地」も、見慣れた景色が変わってしまう姿を見る・・という点で共通しています。
福島に行ったことのない人も、そこには普遍的な「田舎」や「地方の町」の空気を感じることができるため、自分の故郷になぞらえざるを得なくて、胸に迫るものを感じたという声も多いです。それが、すでに上映の終わったベルギーで見てくれた、在住の多くの日本人や、京都国際映画祭などに駆けつけてくれた、まだ全体としては少数の友人たちの貴重な感想。
そして皆さんが異口同音に言ってくださるのは、(高島礼子さんも映画祭でそう言ってくださっていたのと同じですが)「(今までどこかで聞き慣れていた)音が丁寧に撮られていることを通して、より一層、伝わってくる」ということでした。
土を踏みしめる音、野菜を洗う水の音、何かの包みを開ける音、夜の静けさの中鳴く虫の声・・。
ただ、「残されし大地」が今ヒット中の2作品と決定的に違うのは、これは”実際に”「変わり果てた町」を映し出しているということ。
福島に行ったことのない人にはそれでも、ある意味「バーチャルな世界」になるのですが、私は最近、この映画の中に出てくる町の中で、幼少時代を過ごしたというある方の感想に出会いました。やはりベルギー在住の日本人女性です。「残されし大地」で検索をかけていたところ、たまたま引っかかりました。
しかも彼女のブログによると、富岡や南相馬の話だと思っていたところ、半ばゴーストタウン化した街並みとして出てくるのは、なんと出身の浪江町だったとのこと。(私もこの事実にはすぐに気が付かなかったので、恥ずかしく思いました。)
しかも後から分かったことですが、実は彼女は昨年の冬、「ベルギー在住で福島の言葉が分かる人」としてたまたま声がかかり、富岡のおじいちゃんが話す言葉を書き起こす作業を手伝っていたのだそう。それが縁で、10月5日のブリュッセルでのプレミア上映にプロデューサーから招かれ、初めて通しの映像を見て「私の街だ・・・」ということを発見して、改めて衝撃を受けたと言います。
彼女のブログから抜粋させていただいた文章をここに掲載します。
富岡町に原発事故の後も、ダチョウや犬や猫の世話のために残っている家族の話ということで、最初のバリケードは富岡町だったものの、次の町のシーンは私の生まれ育った浪江町で、驚いた。それも私のおばさん家族が営んでいた古い食堂(大室屋)跡が映り、その隣の、毎年、クリスマスにおばさんがおもちゃを買ってくれたおもちゃ屋さんのかなぐつやが映り、思わず、息を飲んだ。古い建物だった食堂は地震で崩れ、今は草ぼうぼうの空き地になっている。この風景を実際に見たのは、この会場にいる観客の中で私一人・・。
この文章を読んだ時に、衝撃を受けるとともに、私が同時にふわっと思い起こしたのは、やはり自分が北九州市八幡西区の町で、幼少の頃にお世話になった場所たちでした。
当時としては洋風で洒落た雰囲気だったパン屋さんとそのおばさんのニコニコ顔、そして本屋さんと特にその中でも好きだったコーナー。アーケードの中の魚屋さんの、桶に入っていたナマズを気持ち悪い〜と思いながらも、訪れるたびに目が離せなかったこと。・・とてもリアルな、私の小さなときの思い出のディテールです。
もしもその場所が、ある事故を境に数年を経た後、人っ子一人住めない、ゴーストタウン化したのだったとしたら・・・。そしてその場所の姿を、時間をおいて、見ることがあったのだとしたら。
単に、時が経ったから変わってしまったね、というのとは違う、ものすごいインパクトと大きな悲しみ、やるせない思いが押し寄せてくるような気がしました。
そう思った途端、私は逆に「この映画は福島の状況を伝えるので見てください」という紋切り型のおすすめ文句ではいけないような気がしました。誰にとっても、場合によっては共通するかもしれない、人間としてのなんとも言いようのない郷愁に包まれること、そのものが大切なのです。
今回、彼女の先ほどの文章をブログに掲載したいと思い、許可のためにお送りしたメールに対し、お返事を以下のように頂きました。
プロ デューサーさんにご招待を受け、「残されし大地」
富岡町の話と聞いていたのに、
でも、福島の状況は、
ベルギー人であるジルさんが、
せっかく作っても、見てもらえないのでは意味がない。本当にたくさんの人に見てもらいたいです。
「ジルです。」というメールの主はもう居ない。それはそれで、私が最近、ベルギーに居る義両親や義姉と会話をしようとskypeを立ち上げた時に見る、gilles laurentというアカウント名を見るときの、どうしようもない寂しさと共通してもいます。
あったものがない。あったものが変わり果てる。
悲しいことが満ち満ちているこの世の中を私たちはこれからどうやって生きていくんだろう。
でもそれでも、どんなことに対しても、他人事ではなく自分ごととして繋がっていこうとすること。それも、現地に行かなくてはならないという義務感ではなくて、人間としての五感と想像力を使うことだけによっても。そうして人間らしい意識と意識がつながっていくこと。その輪を大きくしていくこと・・。
それがどんな悲劇にも対する、目に見えない意識の防波堤にもなっていくのではないかと私は思っています。
ユア・タウン・イズ・マイ・タウン。
Your town is My town.
彼女が行ってくれたベルギーのBOZARという会場で開かれたプレミア上映のチケット。10月5日。