故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

ジルとの不思議な旅 ⑥ はじめての”母の日”

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若くてびっくり! 撮影はほぼジャスト10年前、2011年5月22日。

私のカメラに残っていたので、勝手に使えたとすると撮影はジルなのだろうか・・。

 

Vol. 6  はじめての母の日

 

「マミィ(私にとっての義母)の母の日を祝おう」と集まった、10年前のある日の母の日のことを、先日ふと思い出した。たった今、街なかやダイレクトメールなどで”母の日のプレゼントにいかがですか”などの宣伝文句を目にすることが多いせいだろう。

 

ジルの家族は皆仲良しで、季節の行事など何かことあるごとに集まっていたが、母の日も例外ではなかった。この日も義両親が経営すると同時に住む実家でもある、ブイヨンのホテルに集合していた。

 

ベルギーでの母の日は、なぜか5月の"第3"日曜日。日本とは1週間ずれる。

(一方で父の日は日本と同じく、6月の第3日曜日。)

 

ホテルの陽光さすカフェテラス席にて。

誰かが代表で買ってきてくれた、お義母さんへの大きな花束が贈呈された。

するとお義母さんからも、「はい、お母さんたちへ」と言って、私の義姉であるシルヴィー(ひとり娘のクララを持つ)と私とに、別途用意されていた1本ずつのカーネーションが渡された。

「え?」と単純に驚いた。

 

するとほぼ間をおかず、ジルからもプレゼントを渡された。プチバトーの船のマークのついた紙袋の中に、入っていたのはノースリーブのカットソー。濃いめのピンクと白のボーダーでまさに当時の私好みのアイテムだった。完全なサプライズ。

「??」ともっと驚いた。

 

何に驚いたのかというと、「私もお母さんだったんだ!!」ということにだ。

 

2010年の6月に長女が生まれたので、まだ0歳。その日が私が母になってから迎える、「はじめての母の日」だったのだ。しかしそれまで、ひとつ上の世代に感謝し祝う行事としか捉えていなかったので、まったく自覚がなかった。この日も、お義母さんのために集まったとしか思っていなかった。

 

ジルからのプレゼントは、いわば長女に代わってということだ。

 

 

この時の奇妙な驚きの感覚。あれからもう10年。いや、あれからたったの10年。周囲よりひと廻りくらい遅れて母親になったので、今もまだ新米感が抜けていないような気がする。

 

ところでこの時もうひとつ印象的だったのが、お義母さんが用意していた花が更に2本あったこと。

もう1人の義姉であるマルレーヌと、義妹のアリスにも「はい、ゴッドマザーたちにも」とカーネーションが渡された。

2人には直接の子供はいないけれども、マルレーヌはクララのゴッドマザーであり、アリスは私の長女のゴッドマザーだ。それぞれ、血の繋がった姪っ子の大事な後見人なのだ。ベルギーに住んでいた頃は、子どもを預けたりと何度お世話になったことか。

 

そういえば "Fête des mères"という「母の日」を表すフランス語は、お母さんという単語が複数形になっている。

そして”祭り(fête)”という言葉が使われているのも面白い。日本語や英語だとただの"日”という言葉があてがわれているだけだが、いわば”お母さんたちの祭り”。

そう考えると、なんだか世界中の母親が踊っていそう(笑)なイメージが湧いてしまうのは、私だけだろうか。

 

 

昨年の母の日は、2人の子供達から初めてお小遣いで買った本当のお花をもらった。

 

「どうやって買いに行けばいいか分からない」と訴えられ、なぜかもらう張本人である私が近所のお花屋さんに連れて行った。

でも中には一緒に入らないで、と言われたのでちょっと離れて見守っていた。1束300円くらいに小分けされた花束を、ひとり2束ずつ抱えてレジに向かっていた。ところが長女が持っていたのは1000円札でも、次女の手持ちは500円玉だったらしく、1束を戻して、また走ってレジに戻っていた。

 

その右往左往する姿に、なんだか泣けてきた。

 

せっかくの可愛いくて純粋な動機に対して、「なんでママが連れてこなくちゃいけないのかなぁ」なんて、ブツブツ言いながら付き添ってきたことを反省して、心の中で謝った。

 

2束買えなかった次女は傷ついているだろうかと心配だったが、2人とも達成感を感じたらしく、ハッピーな顔で私のところに戻ってきた。そして、もちろんバレバレであるわけだが、「一応家に着いてから」と強調されその場では渡されず、リビングルームで贈呈式とあいなった。

 

実を言うとあの10年前も、昨年も。

これをもらうに見合う自分だろうか、と自信がないままである。母親であるけれども、”である”以上のことが出来ているかとつい自問自答してしまう。でも、「自信がない」ことに開き直っていること、そして自覚していることが、強くいられる唯一の方法なのではと勝手に考えたりもしている。

 

お義母さんは一昨年亡くなってしまい、私の母は存命だがもう寝たきりでも話をすることが出来ない。とても寂しいな、と思う。

 

でも周りには新たに生まれた同世代のお母さんたちと、さらりと子どもたちのことを気にかけてくれる素敵な"ゴッドマザーたち"がいっぱいいるんだ。

 

受け取りながらも、当たり前と感じて知らないうちに薄めてしまっているかもしれない愛情、優しさ。少しでも思い出して大事にしながら、人生というステージをあたふたしつつ踊って行けたらと願う。