もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ㊴
Vol.39 お彼岸と命日
毎年、このころになると奇妙な思いに駆られるのだった。
なぜならジルの命日は、3月22日。
そして、お彼岸はいつもの年なら3月21日と、日にちがほぼ重なるところ。死者が帰ってくる、ご先祖様をお迎えする日とイメージがまんま重なってしまうことに、不思議な思いを抱くのだ。
ところで今年は節分が2月2日だったのも珍しかったが、お彼岸も1日ずれて3月20日だったわけだ。それはそうと・・とにかく連なる、重なるのだ。
春分の日は、昼と夜の長さが同じになる日。そして、この日から少しずつ、昼の長さの方が長くなる。5年前にジルが亡くなった時も、唯一の救いとしてはしばらくはどんどん日の長さが長くなり、暖かさも増してくることだった。それが精神的に少しの慰めになっていたことは間違いない。
思えば昨年の3月もいきなり小学校が休校となり、4月に入ると緊急事態宣言で全ての社会活動が止まってしまったかのように感じられた。あの時も少しずつ日が長くなることで、家の中を充実させようと買い始めたグリーンが、成長期にもあたり、ベランダで子供達とご飯を食べることなどが、どんなに心を和ませてくれたことか。
明日で5年になってしまうなんて、本当に早いなと思う。
でもたったの5年、とも言える。
ジルは仕事柄、旅が多かったので、ベルギーの家族にして見ても「いま、どこかに行っているだけじゃないか」という感覚があるという。そして私にしても、やはり出張に行ったきり帰ってこなかったこと、そして最後の顔を拝していないこともあり「まだ日本に帰ってこないだけじゃないか」という感覚もある。
ある意味、皆に「本当はまだ亡くなっていないのじゃないか」というような、淡い淡い期待を感じさせてしまうような形で、ジルはみんなの前から姿を消した。今はただ、しばしの旅先が天国になってしまっただけなのではないかと、そんな気さえしてしまうのだ。
人間は皆、いつか亡くなってしまう。それはものすごい真実。
いつになるかわからないけれども、私も、そして考えたくもないけれども、私の娘たちもこの世からいなくなってしまう。現在よりも150年、200年前に生きていた人たちが誰もこの世に残っていないように。これを普段、ほとんど思い出さないのは何故だろう。
そう思えばある意味、ジルはあの世での”先輩”なのだ。
いつか、あの世にたどり着いたときに、”やっと会えたね! 先輩!”ときっと私は言うのだ。それはジルに限らず、私のおじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさん、お義母さん、そして同年代でも先に逝ってしまった何人かのお友達・・みんなが”先輩”なだけなのだ。
46年なんてあまりに短い生涯だけれども。
本人も周りの人間にとっても、悔いが残らないわけではないけれども、少し先に”あの世”を温めて待ってくれている。そう考えれば、心のどこかがどこかホッとするのだ。
あの世でまた会えた時に、「あの時、色々頑張ってくれてありがとうね、よくやったね」とジルに褒められたい。今もしもあの世から私の動きを見ていたら、細かいところではあれこれと「あー、こうしたらいいのに」とか、アドバイスしたいこともいっぱいあるだろう。何しろ、ジルよりも私はかなり雑で、面倒くさがりなタイプだから。
でも「よーし見てろ! 私だってど根性あるから。」と長女を産んだ時に、その一部始終をそばで見ていたジルが「玲子はすごい! こんなことをやってのけるなんて・・。本当に強い!」と言ってくれたあの特別な時のように。
ジルが亡くなった後、それこそ”火事場の馬鹿力”のようなもので、不器用で勇みすぎていたり、あまり効果をなさないようなことに力を注いだりと動き回っていた私を見続けて、総じては「玲子はよくがんばってくれた!」と言ってくれるんじゃないかと。自分を甘く見ながら期待している。
そしてきっと、こうなった以上は生前よりも点数は多めに付けてくれてるよね、と。
写真を整理していると、ジルと長女(1歳前後の時)のツーショットが多かったことに気づいた。(最初の子供の写真は多いと言うけれども。)
今日はそのギャラリーで締めくくりたい。