もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ㊲
Vol. 37 犬のおーちゃん 〜後編〜
㊱のお話の続きです。
おーちゃんを預かるうちに、この小型犬の魅力にハマった義両親は・・「
そして「
これにはジルも仰天していた。
おーちゃんを元々くれた友人に聞いてみると、たまたま甥っ子にあたる仔犬が、ちょうど2011年の7月に生まれたタイミ
その子の名前は、タオ。
ちょうど我々は2011年の12月に一時帰国する予定があったため、その時点で生後五ヶ月のタオを日本からピックアップし、
チワワの場合、小さいのでおとなしい子であれば座席にもそのまま連れて入れる(!)。タオはソフトバッグの中に入り、日本からの12時間もの長い機中、私の手もとにいた。
ずっとずっと、存在感を隠しているかのように静かだった。
トイレシーツをバッグの中に敷いていたにもかかわらず、
無事にベルギーに着いたタオ。
広島に生まれ、東京で幼少期を過ごし、おーちゃんの後を追うようにベルギーの南部、ブイヨンまではるばるやってきて、
おーちゃんは相変わらず基本的には私たちの犬ではあったのだが、
ジルは「うちの一家が、チワワでこんなに盛り上がるなんてね・・。思っても見なかった新しい風、吹かせたね君は」と苦笑いをしていた。
まさにチワワ革命。
ジルのような若い男性どころか、落ち着いた風貌の老齢のビジネスマン(ジルのお父さん)が、
しかしそのうち、難しい選択に迫られることになる。我々の2013年夏の本帰国だ。
とりあえず、のつもりでいつかはまた迎えにいけたらと思ってはいた。
こう言うと猫には失礼だし真偽のほどは確かではないが、一説には「
おーちゃんのことは、離れてからも心の片隅にあった。
それでもやはり、
だがそれでも大丈夫なくらい、
けれどもそのおーちゃん、ついに私の手元には戻らないまま、
ジルがテロで亡くなってしまったとき、
そんなことを考えて続けているうちに、「いつか」は2度とやってこなかった。
私のせいでやはり移動が激しく、
でも救いになるのは、今は天国ではジルと一緒だねということ。
"Mon gros !"と呼びかけられて、ニコニコと尻尾を振っているはずだ。
(フランス語では、可愛がっている対象に、
そして、誰かや何かが亡くなった時は、さみしいけれども「あちら(天国)チーム」で楽しく再会を喜んでくれているかな、と思えることがひとつの救いになるように思う。
おーちゃんをものすごく可愛がってくれていたお義母さんも、実は一昨年の12月に亡くなった。けれども今、虹の向こうのチームは2人と1匹。そう考えたときに、心が少しホッとするのだ。
ところで同時に、こちらの世界では、ますます大きくなる娘たちが犬を飼いたいと言い始めてもいた。生まれた時からそばに犬がいた二人にとっては、刷り込み効果でそもそも犬は一番大好きな動物だ。
そもそも幼いころからもそうは言ってはいたのだが、おーちゃんのことも気にかかっていた私は、「じゃあ自分で散歩もできて、世話も自分たちで一通りできるようになったら考えようね」
「何年生から?」
「4年生くらいかなー。」
「じゃあ、3年生のうちの、1月からっていうのはどう?」などと、長女はしばしば細かく交渉を挑んで来ていた(笑)。
そして2020年の2月ごろ。「犬が欲しい欲しいコール」は抑えがたく高まっていた。
次の4月になれば長女は4年生、そして次女は3年生というタイミングでもあった。
でも、おーちゃんは許してくれるだろうか。私が最後にヨシヨシすることも叶わず、天国に行かせてしまったのに。
そんなある日、近所のバス停から不意に空を見上げた時、本当に不思議なくらいにおーちゃんの形をした大きな雲を見た。耳もあって、しっぽも見えて、ライオンみたいに寝そべる形。口元がニコニコと笑っている。
そのとき、「あ、おーちゃんがいいよと言っている・・」と直感的に思った。
その日のうちに、思い切って昔おーちゃんをくれた(そしてタオもくれた)友人に電話をすると、何とその2週間ほど前におーちゃんの妹の孫(ややこしいが、タオの甥っ子にも当たる)が二匹、生まれているではないか。
おーちゃんへの悔恨の念も包み隠さず伝えながら、その上で「ぜひください」とお願いをした。
生後二ヶ月余りが過ぎた頃、その子は我が家へやって来た。
4月はまだ緊急事態宣言中ではあったが、
長女が考えた名前、「ソラ(SOLA)」をつけた。
私が空を見上げた時に・・という話をしたのもあるが、ソラのお母さん(
おーちゃんの魂は、ソラの中にも入っているのだろうか。
もしかしたら生まれ変わりの形をとって、また私と私の家族を助けに来てくれたのかもしれないな、とも思う。