故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ㊲

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2017年の夏、ベルギーはブイヨンにて。二匹のチワワを散歩する娘たち。

後方がおーちゃん、前方が甥っ子のタオ。

Vol. 37 犬のおーちゃん  〜後編〜

 

㊱のお話の続きです。

 

おーちゃんを預かるうちに、この小型犬の魅力にハマった義両親は・・「私たちもチワワが欲しい」と言い始めた。

そして「できれば、おーちゃんと血が繋がっているといいな」と。

これにはジルも仰天していた。



おーちゃんを元々くれた友人に聞いてみると、たまたま甥っ子にあたる仔犬が、ちょうど2011年の7月に生まれたタイミングだということだった。

その子の名前は、タオ。

ちょうど我々は2011年の12月に一時帰国する予定があったため、その時点で生後五ヶ月のタオを日本からピックアップし、両親に渡すことになった。

チワワの場合、小さいのでおとなしい子であれば座席にもそのまま連れて入れる(!)。タオはソフトバッグの中に入り、日本からの12時間もの長い機中、私の手もとにいた。
ずっとずっと、存在感を隠しているかのように静かだった。

トイレシーツをバッグの中に敷いていたにもかかわらず、緊張したのかずっと我慢していたようだ。成田を立ち、ブリュッセルに向かう途中の経由地、フランクフルトの空港に着いたとき、一瞬だけ空港内の通路に置くと、大量のおもらしをした。でもずっと元気で居てくれた。


無事にベルギーに着いたタオ。

広島に生まれ、東京で幼少期を過ごし、おーちゃんの後を追うようにベルギーの南部、ブイヨンまではるばるやってきて、無事に義両親の犬となった。

 

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右がおーちゃん、左がタオ。


おーちゃんは相変わらず基本的には私たちの犬ではあったのだが、やはり留守をするときに両親に預けることが続き、ジルの実家では、賑やかな”2匹体制”になることもしばしばだった。

 

ジルは「うちの一家が、チワワでこんなに盛り上がるなんてね・・。思っても見なかった新しい風、吹かせたね君は」と苦笑いをしていた。

 

まさにチワワ革命。


ジルのような若い男性どころか、落ち着いた風貌の老齢のビジネスマン(ジルのお父さん)が、2匹のチワワを連れ歩くことになるのだから。



しかしそのうち、難しい選択に迫られることになる。我々の2013年夏の本帰国だ。

 

おーちゃんをどうするかはとても迷ったのだが、今回はまず、ジルが出張中で私が娘二人(当時3歳と1歳)を単独で日本に連れ帰らなければならない。犬も一緒に、というのはかなりハードルが高かった。それでとりあえず、両親の家に預けたままとすることにした。


とりあえず、のつもりでいつかはまた迎えにいけたらと思ってはいた。

 

ジルが亡くなってからも毎年、夏にはベルギーに子供達を連れていっていたが、そのたび、おーちゃんはもちろん、タオも私を見るなり、大急ぎで駆け寄ってきていた。

こう言うと猫には失礼だし真偽のほどは確かではないが、一説には「猫は3年の恩を3日で忘れる。犬は3日の恩を3年忘れない」という。私を元祖・ご主人様とするおーちゃんはともかく、タオもまさに、それを地で行った。日本からベルギーへと大事に連れてきた私への、「3日の恩」をずっと忘れないでいてくれた。

おーちゃんのことは、離れてからも心の片隅にあった。

それでもやはり、子育ての一番大変な時期には、正直言って忘れてしまうこともあった。


だがそれでも大丈夫なくらい、おーちゃんはベルギーでタオともども大層可愛がられているのが分かっていたので、安心だったのもある。何せ、ローラン家に革命を起こしたくらいなのだから。


けれどもそのおーちゃん、ついに私の手元には戻らないまま、ベルギーで命を終えることになってしまった。2019年の5月、その日はふいにやってきた。11歳だった。お義父さんのメールに「病気が悪化して、ついに亡くなってしまった。僕の腕の中で静かに息を引き取った」とあり、しばし呆然としてしまった。


ジルがテロで亡くなってしまったとき、お義母さんはすでに施設に入っていた。お義父さんの日常のかけがえのないバディは、おーちゃんとタオのペアだった。そして、チワワ2匹どうしも仲良しで、おーちゃんだけを引き取ってしまっては、二匹にとってもショックになってしまうだろうなとも感じていた。


そんなことを考えて続けているうちに、「いつか」は2度とやってこなかった。

私のせいでやはり移動が激しく、波乱の一生を終わらせてしまったおーちゃん。


でも救いになるのは、今は天国ではジルと一緒だねということ。きっと彼が散歩してくれているだろう。天国ではなおのこと、男が大型犬を連れているべきだとか、女に小型犬が似合うなどのイメージも関係ないだろう。


"Mon gros !"と呼びかけられて、ニコニコと尻尾を振っているはずだ。
(フランス語では、可愛がっている対象に、小さいものならmon gros、大きいものへは逆にmon petit、と話しかける傾向があるような気がする)

 

そして、誰かや何かが亡くなった時は、さみしいけれども「あちら(天国)チーム」で楽しく再会を喜んでくれているかな、と思えることがひとつの救いになるように思う。

おーちゃんをものすごく可愛がってくれていたお義母さんも、実は一昨年の12月に亡くなった。けれども今、虹の向こうのチームは2人と1匹。そう考えたときに、心が少しホッとするのだ。

 

ところで同時に、こちらの世界では、ますます大きくなる娘たちが犬を飼いたいと言い始めてもいた。生まれた時からそばに犬がいた二人にとっては、刷り込み効果でそもそも犬は一番大好きな動物だ。

そもそも幼いころからもそうは言ってはいたのだが、おーちゃんのことも気にかかっていた私は、「じゃあ自分で散歩もできて、世話も自分たちで一通りできるようになったら考えようね」と、とりあえず保留にしていたのだ。

 

「何年生から?」

「4年生くらいかなー。」

「じゃあ、3年生のうちの、1月からっていうのはどう?」などと、長女はしばしば細かく交渉を挑んで来ていた(笑)。


そして2020年の2月ごろ。「犬が欲しい欲しいコール」は抑えがたく高まっていた。

 次の4月になれば長女は4年生、そして次女は3年生というタイミングでもあった。


でも、おーちゃんは許してくれるだろうか。私が最後にヨシヨシすることも叶わず、天国に行かせてしまったのに。

 


そんなある日、近所のバス停から不意に空を見上げた時、本当に不思議なくらいにおーちゃんの形をした大きな雲を見た。耳もあって、しっぽも見えて、ライオンみたいに寝そべる形。口元がニコニコと笑っている。

そのとき、「あ、おーちゃんがいいよと言っている・・」と直感的に思った。


その日のうちに、思い切って昔おーちゃんをくれた(そしてタオもくれた)友人に電話をすると、何とその2週間ほど前におーちゃんの妹の孫(ややこしいが、タオの甥っ子にも当たる)が二匹、生まれているではないか。

おーちゃんへの悔恨の念も包み隠さず伝えながら、その上で「ぜひください」とお願いをした。

  

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ソラの写真撮影は、もう私ではなくて娘たち専門だ。

自分たちのタブレットで日々、バシバシ撮っている。

 

生後二ヶ月余りが過ぎた頃、その子は我が家へやって来た。

4月はまだ緊急事態宣言中ではあったが、学校に行きたくても行けずにややもすると沈みがちだった子供達にとって、格好の慰めとなり、家の中が一気に賑やかになった。

 

長女が考えた名前、「ソラ(SOLA)」をつけた。
私が空を見上げた時に・・という話をしたのもあるが、ソラのお母さん(タオの妹にあたる)の名前は、「LA(ラー)」(太陽神の意味)だったのもあり、ちょうどいいということに。

 


おーちゃんの魂は、ソラの中にも入っているのだろうか。

それはわからないけれども、今、子供達にとって最愛の犬になっていることは間違いない。

もしかしたら生まれ変わりの形をとって、また私と私の家族を助けに来てくれたのかもしれないな、とも思う。

 

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2009年撮影 by Gilles おーちゃんと私。