ジルとの不思議な旅 ⑤ 最後のまなざし
Vol. 5 最後のまなざし
5年前のちょうど今くらいの頃のお話。
ジルが亡くなり、故郷ブイヨンでの葬儀を終えた後。
ブリュッセルに戻ってきて私が一泊したのは、義姉シルヴィーの家だった。
そこには当時、ジルが間借りをしていた部屋が3階の片隅にあった。(この部屋を出て最寄りの駅から地下鉄に乗り、事故に遭遇している。)辛くないわけでないけれども、私が1泊だけするにはうってつけの場所。
一時滞在ながら洋服やスーツケース、ノートなどを始め、様々な私物が残されていて、本人のオーラというか、纏っていたであろう空気をまだ色濃く感じさせるスペースだった。
葬儀参列やご挨拶など、一連の仕事を終え、少しホッとしていたのもあると思う。寂しいのに、悲しいのに、何故だかそこには包み込まれるような、不思議な暖かい感覚があったのを覚えている。
3月でまだ肌寒い時期だったのもあり、日常よく着ていたであろうジルのお気に入りの紺白ボーダーのセーターが、部屋のよく目立つ場所に、まるで本人のシンボルように掛けられていた。(事故当日は着ていなかったんだな。)
部屋を案内してくれたシルヴィーが、「そうそう、このセーター、(形見として)クララが欲しがっていた。」と呟いた。
クララとはシルヴィーの娘で、ジルにとって姪っ子にあたる存在。
それも単に姪っ子であるだけでなく、ジルは彼女のゴッドファザーを務めていた。ヨーロッパでは、万が一両親に何かあったときのために、その子供の「ゴッドマザー」「ゴッドファザー」、いわば後見人を決めておく習慣が根強くある。
その役割を引き受けたからには、折に触れて例えばその子の誕生日パーティーに呼ばれて出かけて行ったり、人生の節目でメッセージを渡したりと、その子との交流は生涯を通じてかなり厚いものになる。子供にとっては、家族同然の存在になるのだ。
日本には特にそういう習慣がないからピンとこないかもしれないが、とても重要な存在。
このクララを含め、ジルは3人の子供のゴッドファザーになっていた。けれどもそれは、道半ばで不在ということになってしまうのだけれども・・。
ジルを象徴するような、まるで本人の一部のような、ボーダーのセーターをぼんやりと見つめていた。
ほどなくして隣の部屋から、クララ(当時15歳)がひょっこりと顔を出した。
数秒だけ迷わななくもなかったが、私にはそれでなくとも多くの遺品が残っている。日本にだってある。私はそのセーターを差し出して、「これはあなたに。」と差し出した。
クララは満面の笑みを浮かべ、ありったけの力でギュッとそのセーターを抱きしめ、飛び上がらんばかりの様子で「ありがとう!」と言って自分の部屋へ戻って行った。
その後、私の目が不意に吸い寄せられたのは、机の上に置いてあったデジタル一眼レフカメラだった。
それはジルの相棒のようなもので、私たち家族のことはもちろん、映画に向けての松村さんとの取材など、ありとあらゆるものを記録してきた、いわば「ジルの眼」そして「記憶」にあたるようなもの。
すでに日本を離れて3ヶ月以上たっていたので、その間に何を記録していたのだろう、と思い、「のぞき見をしてごめんね」とそっと心の中で謝りつつ、スイッチをONにしてみた。
すると、出てきたのは2015年12月7日。ジルが出発をする前日、我が家で撮った写真86枚だけだった。(そのうち4枚がこのブログの冒頭に抜粋したもの)
拍子抜けをした。
どれもこれも、ひたすらお絵描きに勤しむ2人の子供の姿。角度を3回ほど変えながら、飽きもせずに、と言っては本人に悪いけれども、そばで撮影し続けていたようだ。彼らの手元にあるのは、水をつけて絵の具になるタイプの簡易的なお絵かきセット。これはジルが子供の頃に親しんだタイプの商品だったらしく、ちょっと不便では?と思うものの、子供の頃のハッピーな記憶と結びつくのだろうか、推奨して使わせていた。
そして、カメラに入っていたのは、その86枚のみだった。その後の記録はゼロ。
どうして? こちらに来てからも、ほかのお友達に会ったり、映画の制作現場でもなんでも・・撮影しようと思えば、題材はあっただろうに。(後に、修復したパソコンに落としたものがないかもチェックしたが、とにかく新たにベルギーで撮影した写真はなかったようだ。)
寂しいのもあって、心がそれほど向かなかったのかな・・。本人にはもうインタビューできないからこそ、切ない気持ちになってしまった。
何かを「最後に焼き付けておきたかったから」なんてよく出てくるセリフだが、本当にこれが、ジルが最後に心に焼き付けた風景、となってしまったようだ。
このカメラには、今もこの86枚を入れたまま、遺品として取ってある。データを移行したり、カメラ本体を私が再利用することもないと思う。(フランス語で分かりにくいというのもあるけれども。)
というのも「最後のまなざし」がこれだったんだよ、と2人の娘にいつか証拠として見せたいから。
その時、あの日のクララのように跳ねて喜ぶということはないだろうし、どこまでピンと来てくれるかは分からないけれども。
”86枚ものしつこさ”には、十分に愛情を感じてもらえるのではないか。
そんな気がしている。