故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ5年 ⑦

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2015年7月。東京に遊びに来てくれたジルの姉、シルヴィーのファミリーがうちに泊まっていて、その時撮影してくれた写真。

Vol.7 数少ない、家族4人の写真

 

さて、来たる3月11日と3月22日に向けて、まるで御百度参りのように(笑)、1日も欠かすまいとブログをスタートして、時系列のお話にも挑戦していますが、本日は閑話休題

(でも、なんか応援をいただいて、絶対続けられそうな気がして来た!)

 

4人で写った写真は実は数えるほどしかないし、これからも増えて行くことはないのだけれども、そのうちのひとつを公開します。これはなぜかみんなボーダーっぽい服を着ていて、それが面白かったので。写真のためにそうしたとかではなくて、本当にたまたま。

 

私は縁あって新卒以来ずっとS社でファッション担当の編集者をしていますが、S社の女性誌のDNAはフレンチ・カジュアル。モードっぽいとかより、あくまでも日常のちょっと気の利いたファッションの研究が好き。フレンチの血も受け継ぐジルとは、ファッションの趣味はそこそこ合っていたように思います。(時々、ジルの視点から悪趣味に見えたり、手抜きに見えたりした時の服装は個人的には怒られたけど・・。)

 

お互いやメンバーの気が”合っている”時は、職場でもそうだけれども、家族でもハーモニーというか、コーディネート感が出るもの。

 

この2015年夏、日本に遊びに来てくれていた義姉が、当時私たちが住んでいた杉並区の家の前で撮ってくれた写真です。はっきりとは覚えていないのですが、彼らが帰りに空港に向かう前の、お見送りの時かな・・。

 

この時、長女は5歳、そして次女は3歳。

朝早い時間だったと思うので、ちょっと眠そう。

「パパ大好き」の気持ちが、意識するまでもなく、彼女たちとともにあった頃。

抱っこで見えてた高いところからの景色。いつまで覚えていてくれるだろうか。

 

あと、印象的なのは「バイバイ!」を言うために私もジルも片手を挙げているため、結婚指輪が見えること。ジルのはプラチナで、私のはシャンパンゴールドだった。

 

ジルのこの指輪は、お葬式で棺桶に入ってしまう前に、私が回収することが叶わなかった(私が到着した時は、もうしっかりと打ち付けられた棺の中だった)ので、もしかして一緒に行ってしまったか・・と危ぶんでいたのだけれども、数日後に遺品として渡された財布の中から、ぽろっと出てきて、安堵したものだった。

 

私の方の指輪は、ジルの死後も1〜2年くらいはつけていたけれども、ある時気になって調べてみたら、あくまでも「(生きている)パートナーが居る証」であると書いてあって、それならつけておくのは変なのかもしれないな、と思い、外して保管してしまってから久しい。

 

お互いの指に、この時は輝いていたのだなぁ、としみじみ思う。

ほのぼのと、ケンカとが入り混じっていた日々。子供が小さかった頃なので、細かいこと含め毎日のやりくりも本当に大変だった。笑うためにも、ぶつかるためにも、そのネタはそこらじゅうに転がっていたあの頃。

 

あの頃があって、今がある。