故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ⑭

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メキシコ・シティーにあるディエゴ・リベラの描いた壁画「メキシコの歴史」の一部。

ジルはフリーダ・カーロディエゴ・リベラカップルの大ファンだった。

Vol.14 メキシコ編 その1

 

2011年の夏。私たち家族はメキシコに居た。

 

今日はちょっとマニアックな話からのスタートになってしまう。でも、ジルの人生を傍からでも見守っていた身としては、この話は欠くことができない。

 

それもあるし、私も思いもかけず「メキシコ」という国で1ヶ月半を過ごすという機会を得たため、非常に忘れがたい思い出になっているのだ。

 

ジルの協業者の中では、彼がおそらく最も尊敬していたかもしれない、そして盟友とも言えたのがメキシコ人映画監督のカルロス・レイガダス。その彼の4作目の映画に、サウンドエンジニアとして参加するためにやってきたのが、メキシコのクアルナバカという街の近郊のある田舎町だった。

 

カルロスとの詳しい出会いについては聞いていないので定かではないのだが、おそらくブリュッセルの映画学校周りでの出会いだと思う。彼がサウンドエンジニアとしてキャリアをスタートさせて、ほぼ同時期に参加したのがカルロスの第1作目の映画。奇しくも、そのタイトルは「ハポン」(2002年。スペイン語で日本という意味)。といって、日本そのものは映画に全く出てこないのだけれども、カルロスにとって「最も遠い場所」のイメージ、それを表すためについたタイトルだというから不思議だ。

その後、ジルはカルロスの第二作「天国のバトル」にも参加。同作はカンヌ国際映画祭パルム・ドール候補に。そして(ジルが参加していなかったけれども)第3作の「静かな光」は、カンヌで審査員賞を受賞した名作。(これが一番一般受けしそうな映画で、おすすめ。)

 

そして、ジルが再び”カルロス組”として召喚されて参加し、その家族として私と当時1歳の長女が一緒に滞在をさせてもらった、今回のお話の背景になるのがカルロスの第四作目となる映画「闇のあとの光」。この映画はのちに、めでたくカンヌの監督賞を受賞。翌年だったか、ジルもその時のカンヌではレッドカーペットをスタッフとしてタキシードで歩いた・・! (その時は私は残念ながらお留守番だったけど。) ただ、完成作はその後日本でも公開され日本語版のDVDも残っているという普及作だが、その評価は日本に限らず、世界どこでも論争を巻き起こすものだった。絶賛か、ブーイングかのどちらかという”評価真っ二つ”の映画なのだ。その内容についてはここでは触れるの大変なので、とりあえず置いておいて・・。

 

じつは不思議なことに、ジルとの付き合いが始まり、そして妊娠が分かった直後の2009年の10月のこと。カルロスの第1作目から第3作目までは、東京国際映画祭で”特集紹介”されている。その時初めて、日本上陸を果たしていたのだ。いまでも覚えているのが、ジルがスカイプ越しに「今度僕が関わった映画が、日本に行くらしいよ。そして監督のカルロスも来て喋るみたいだから。」と教えてくれた。もちろん、即座にインターネットで調べて3作とも見に行った。お腹の中に小さな粒みたいな赤ん坊がいたことが分かっていたのだが、その頃から妙に張り切って、「よ〜し、パパの録音した音が聞こえて来るから、聞いとけよ!」という気持ちで出かけて行った(笑)のを覚えている。

 

ところは六本木ヒルズ。会場では上映後のトークショーがあり、そののち屋外で佇んでいたら、カルロスと鉢合わせた。私が必死で自己紹介をすると、聞いていたよ、ということで”I am Gilles' close friend"と言ってニッコリと笑ってくれた。その時の柔和な顔をとてもよく覚えている。

 

さて、それから約2年後。

 

ジルは、またカルロスがスタッフとして声をかけてくれたことに、本当に喜んでいたと思う。メールで仕事のオファーを受けた時。”やった〜”こそ言わないものの、再び恋人が帰ってきてくれたような神妙な面持ちだったのを覚えている。恐らく。そして武者震いをしていたと思う。「またカルロスが呼んでくれた」と。

 

私と一緒になることを決めた当初は、「これからは家族があって子供がいて・・そうなると、今までのように撮影で世界中のあっち行ってこっち行って、と出張ばかりみたいな生活は出来ないな・・自分のキャリアを考え直さなくちゃちゃいけないかもしれない」と言っていたが、当時は私が育児休暇中で、一時的とはいえ専業主婦状態だった。だから一緒に動くことはできた。ジルは早速カルロスとプロダクションに相談し、「家族も一緒に来ていいならぜひ受けたい」ということで話をつけた。

 

ジルが先にメキシコへ旅立ったのだが、それが7月の終わりごろだったか・・。はっきりとした記録はない。私が少し遅れてメキシコ入りしたのは、8月の中旬。それから9月いっぱいをメキシコで過ごすことになる。

 

今度はひとり、幼児を連れての旅だ。ベルギーから確かアメリカのどこかの都市で乗り換えたのだが、これまた前回以上に大変なフライトだった。というのも、長女は1歳を過ぎたばかりで、とにかく歩きたい盛り。飛行機の中で私は一睡もせず、彼女の手を取り、はいはいこっちね、はいはい、今度あっちねと歩き続けた。寝ている人たちばかりの暗い中でも、ただ静かに狭い通路を往復して歩き続けた。メキシコに着いた頃にはヘロヘロだった(笑)。

 

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これはメキシコについてからの写真。歩きたい盛りの長女1歳。

街でよく見られる「パペルピカド」と呼ばれる切り絵の旗が背後にはためいているのが見える。

その後、アニメ映画「リメンバー・ミー」でもこのパペルピカドが多数モチーフとして登場し、

いろいろなことを思い出して、号泣してしまったっけか。

 

さて、このメキシコ編はちょっと長くなるので、続きはまた明日以降に。