故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

初めての富岡町。First time in Tomioka.

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富岡町の松村さん宅。到着した時は猫のしろや犬のイシに餌をあげているところでした。When I arrived at Matsumura-san's place, he was feeding the cat Shiro and the dog Ishi.

 

先週、2月15日(水)についに富岡町を訪問。どうして?と思われるかもしれない。行ったことなかったの?と。それは同時に、自問自答でもありました。

On 15th of February, I finally visited Tomioka. Maybe people would ask me why finally ? Why didn't you do it before ?... I was questioning myself too.

 

夫が亡くなったのは、いろいろな一瞬一瞬の積み重ねの上であるけれども、大きくは私と出会い、日本に連れてきてしまった、そして映画を撮ろうということになった流れにあります。そしてこの富岡町の存在は、ある意味大きな分岐点です。

The reason why my husband died is the accumulation of all the moments. But I was wondering it is mainly due to the fact that I brought him to Japan and let him determine to make a film. Then the existence of this town, Tomioka is the definite piece to lead to that destiny.

 

「私のせいで死なせてしまったのではないだろうか」と、どこか後ろめたい気持ちが薄っすらとあり、それが富岡町から私の気持ちを長らく、遠ざけていたような気がします。背を押してしまったことが良かったのか。

To be honest I had a kind of small regret or sense of guilty, and it had kept me for a while from the idea to visit there.

 

でも松村さんのお宅にお邪魔して、お茶の間の空間に身をおけたこと、その周辺の土地の変化を肌で感じられたこと、そして半谷さんご夫婦のお宅で、おばちゃんに「あんた、かわいそうだったねえ」と暖かく抱きしめてもらえたこと。さたには防災無線で「イノシシの他に、クマの目撃情報もありますから注意してください」なんて流れるのに、4月には帰還解除かあ・・など、やっぱり現地でしか感じ得ないこともあったこと。行ってよかったんだ。

But I was finally be able to be inside Matsumura-san's house, look at the things on the wall, check the difference of the land, and Mrs. Hangai held me tight saying 'Poor girl' walmly... I also heard the announce saying 'We hear sometimes bears appear...so please be careful', but at the same time this land will be permitted to live from April. There are things that you can finally experience and feel after the real visit.

 

富岡町から車を走らせること2時間、フォーラム福島での先行上映会の後のトークショー。松村さんも一緒に登壇してくれました。ジルのこと、あまり話さないな・・と思っていたけれども、開口一番、やはり「この映画には複雑な思いがある」と、ジルがテロで亡くなったと聞いてショックだったことなどに初めて触れていました。ジル同様、ちょっと度を越したヒューマニストな松村さん。今まで容易に語ることができなかっただけなのだと気づきました。複雑な思いを個人的に抱えていたのは、私と同じだったのです。

Two hours drive from Tomioka, and then I arrived at the theater, Forumu Fukushima for one day screening. Matsumura-san also joined the talk event after. I had thought that Matsumura-san was not interested in speaking about Gilles so much before, but what he referred to first was the complicated feeling he had, too. Of course he was shocked too. Yes, he is a kind of extreme humanist like Gilles, then it was difficult for him to speak about the real feeling too. We had shared the same kind of feeling.

 

そしてもう一人、一緒に登壇してくださった福島にゆかりのある弁護士の馬奈木さんがおっしゃっていたこと。「この映画は五感に働きかけます。私も、裁判官の皆さんには建物から出て、現地を見てくださいと。そう呼びかけて、現地に行ってもらうんです。五感で感じてもらうということがどんなに大切なことか」

There was another person who joined the talk event, a lawyer regarding Fukushima, Mr. Managi. He said 'This film is about five senses. I also think it is very important and I suggest judges always to go to the places by themselves. It is important to be out of the buildings.'

 

そう、この「残されし大地」はもともと五感に働きかける要素がものすごく大きな映画。映画を観るだけでも現地に居た気分になる。今回の訪問はその延長線上にある。

Yes, this film is about five senses. That is a very refreshing feeling and just by seeing the film, you feel that you are there already.

 

ところで印象的だったのが、富岡町へと向かう道がジルの故郷、ブイヨンに近づいた時の道にそっくりに見えたのです。やっぱり、ジルはここが気に入っていたんだな。彼が情熱を傾け続けた、土地に出会えてよかった。

By the way I had a strange imression that the road to Tomioka really ressembled that to Bouillon, his hometown. I realised that Gilles loved this land. I am happy that I finally 'met' the land where he poured his passion.

 

私に「出会ってよかった、子供ができてよかった。映画も撮れてよかった。行ってくれてありがとう」。今は、そんな風に言ってくれているような気がします。

Now maybe he is saying that he was happy to meet me, happy to have children, and happy that he was finally able to make a film. Thank you very much for going there... I feel in this way.

 

私も気持ちに、一区切りがついてよかった。決心がついてよかった。12月にジルの小さな故郷ベルギー大使館での上映会、1月に私の故郷・北九州市での上映会、それらへの想いを連れて2月に遂に富岡町へ。そして、福島市での上映会。緻密に計画したものではないのに、これが流れだったんだ。

富岡町。ここもここに住んでいた人たちの、大切な故郷です。

It was an important moment for me to reconcile my feeling and welcome the moment that the film will be released soon. Now after the screening in Belgian Embassy in Tokyo in December, that in my hometwon Kitakyushu-city in January, and then finally I could arrive to Fukushima in February and connect the same feel for Tomioka.

Tomioka. This is an important hometown for people who used to live here too.

映画に「おかえり」と言った。I said 'welcome back' to the film.

「フォーラム福島」での一日先行上映会のために、久しぶりに福島県入り。そしてやっと初めて、富岡町にも到達した。松村さん、半谷さんご夫婦のお住まいを訪ねた、写真ドキュメントです。

Here is the 'photo document' of my travle to Tomioka, Fukushima. I visited there on the way to Fukushima-city for one day screening. I was finally able to visit Mr. Matsumura's and Mr. and Mrs. Hangai's house.

 

松村さんのお父さんが佇んでいた、草が茫々だった大地は今は除染で更地のように。

The land which used to be full of weeds, where Mr. Matsumura's father was sitting and facing is now looking like a plane land after decontamination.

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松村さん宅へ到達するまでの林を抜ける道は、ベルギーのブイヨン(ジルの故郷)への道のようにも見えた。

The way to Mr. Matsumura's house was surrounded by woods and it looked exactly like a way to Bouillon (Belgium), Gilles' hometown.

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松村さん、相変わらずカッコよかった。「生まれ育った土地だから、富岡はやっぱり好きだ」。

Mr. Matsumura looked cool as usual. He said 'I like this town because I was born and bred here.)

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半谷さんの奥さんの折り鶴セット。

Mrs. Hangai's Origami tools.

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半谷さんご夫婦はまるで私のお爺ちゃん、お婆ちゃんのような雰囲気で歓迎してくれました。

They welcomed me as if they were my real grand parents.

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福島は広い。富岡から飯館村を抜けていくとき、気がつくと積雪が。

Fukushima is huge. The way from Tomioka to Fukushima-city included Iidate village and there was snow.

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富岡から2時間後。山を越えて急に視界がひらけたと思ったら、街並みが目に飛び込んできた。

Two hours from Tomioka, beyond mountains. The view of the city came into my eys suddenly.

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映画の生まれた場所への旅。映画に、「おかえり」と言った。

The journey to the place where the film was born. I said 'Welcome back! ' to the film.

 

続きはまた今度・・。

To be continued...

感想コラージュ。Feedback from early audience in Japan

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⇧「水と土で生きる」という登場人物の半谷さん。

 

昨年末からの1日上映会や、マスコミ試写会で頂いた印象的だった感想をコラージュします。

 

素晴らしい映画でした。美しい日本の自然の風景、音、全てがじわじわと染み渡ってきて眠ってたDNAが揺り起こされるような。(40代女性)

 

強くて温かい作品でした。

周囲からすると
「そんな決心、普通は出来ない。
 少なくとも自分には絶対真似できない…」
としか思えないような強い意志を貫いて何かを進めてしまう人って
すごく普通の温かい人だったりするんですよね。
自分のすぐ傍にも そんな人がいたので、思い出しました。
そして、松村直登さんも ジル・ローラン監督も、
そんな方たちなんだろうなと、映画を拝見しながら思いました。
それと、とっても驚いたのは「音」です。
枝を踏む音、小石の落ちる音、虫の音、風の音…。
そういう微かなはずの音が 生のまま身体に飛び込んでくる感覚でした。
もちろん、音を調整した上でのことなんでしょうけれど、
正直 そうした調整を全く感じることなく
生音として聞いている感覚にしてくれる 心地良い音作りに驚きました。
3月からの全国順次公開でも、
ご主人の想いが より多くの方々に伝わることを願っております。(40代男性)

 

どこの国にいても自然を美しいと思いますが、この映画を見て、自分の育った日本の自然が五感の全てを通して細胞レベルに染み渡っているんだなと感じました。
フクシマで起きたことが、明日自分の周りで起きないとは限らない。そのシンプルな事実を静かに見せてくれる映画です。(40代女性)

 

日本にとって、地球にとっても、大変貴重で重要な作品だったと思います。

歌声が流れるラストシーンには思わず涙してしまいました。
(映画ではラストシーンでしたが、福島の情況については決してラストシーンではありませんね)。

(50代男性)

 

同じ日本のなかにありながら、今は一般の人が容易に立ち入ることができず“遠くなってしまった街”に、日本よりも遠く離れたベルギーの人が心を寄せたことに驚きつつ、映画を拝見しました。
実際に映画を見ていると、お仏壇に手を合わせたり、畑で収穫した茄子のヘタを三角コーナーに捨てたり…とごく普通の日本人の生活ではよく見るものの、たぶん外国にはこういう習慣はないのではないかな…というシーンがとても丁寧に描写されているのが印象的でした。
監督が3組のご家族と真摯に向き合い、根気強く観察し、あえて映像として切り取ったことに、あらためて驚き、監督の観察眼の鋭さを思わずにはいられませんでした。
また、土地や人々の日常生活といった“変わらないもの”という映画の根底に流れるテーマを、より一層浮かび上がらせているような気がしました。
貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございました。
(40代女性)
 
最初、はがきの写真を見て、ベルギーの映画かと思ったぐらい。
大きな木のトンネルを抜けた向こう側に、明るいひまわり畑?が見えるのが、
ヨーロッパぽい感じがした。
でも、よく見ると、向こう側は日本のお墓なんですね。
福島の避難区域の様子や、そこで生きることにした方たちの
大声を上げない生き方や暮らしに、いろいろな思いがわきました。
私自身、今の年齢になって、その後の生き方を考えている最中で、悩みだらけで。
なにをもって幸せというのか、わからない時代ですよね。
「残されし大地」の中でとくに好きだったのは、
ダチョウと松村さんが信頼しあっている感じのところ、
耳の悪いおばあさんが、おじいさんとナスを収穫するところ、
オカリナの伴奏でローレライを歌ったあと〜〜(※ここはネタバレになるので割愛させていただきます。^^)
夫が、こんなにいい作品を残してくれてよかったですね。きっとお子さん達も、大きくなって、お父様を誇りに思いますね。(50代女性)
 

見る人によって受け取り方は異なるのでしょうけど、最近父親を亡くし、「家」や「墓」などについて考えることの多い40代後半の私にとっては、グサリと突き刺さる映画でした。

また、これは福島だけの問題ではなく、私の地元もそうであるし、恐らく日本の多くの場所に当てはまる普遍的な「コミュニティの衰退(もしくは緩やかな死)」の課題を切り取ったものだと考えています。

福島はたまたま大地震と原発事故、それに伴う避難によって急激に加速しただけであって、同じ事は私の実家の近くでも確実に進行していると感じます。即ち、次の時代を担う若い人がいなくなれば遅かれ早かれそのコミュニティは崩壊する、と。そしてコミュニティが無くなった後には、そこに生活があった痕跡だけが残り、ただ風が吹きぬけるだけ。

間違っても「反原発」のみのコンテクストで語られるべき映画ではないと思います。(40代男性)

 

封切りまであと一カ月を切りました。

3月11日(土)より全国順次公開

映画「残されし大地」公式サイト

 

English translation of Tokyo Shimbun (newspaper) on 5th of February

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2017年2月17日付け東京新聞朝刊誌面より。外国人のお友達がいらしたら是非、シェアしてください。

 

Tokyo Shimbun: February 5 (Sunday), 2017

A NEWS BULLETIN

Here is Fukushima the Husband gazed at.

The Victim of terrorism in his mother country.

The film is to be opened to the public next month. We hung on his wife Udo-san’s every word.

The film “La Terre Abandonnée” in which the late Gilles Laurent had pursued the daily routines of the people who lived in Fukushima after the nuclear power plant’s accident. He was from Belgium, and died because of the concurrent terrorism in Belgium in March last year, (46 years old at that time). We listened to the late Gilles Laurent’s wife Reiko Udo-san, who exerted herself for the posthumous work’s showing on a screen, looking for everything she felt in the film. ; (Kyoko Ando)

★The photo: “I hope this film would give us an opportunity to deliberate on the weight of life.” says Reiko Udo-san. The film will be released all over Japan from next month. (At Shibuya in Tokyo Metropolis)

 

“I’d like to put a question to people about ‘the preciousness of life’.”

“The film has become a work which has shot a question to people about the precious ness of life, including Gilles’ death.” Udo-san began to talk like this, repeating her appreciation of the fellow workers.

 

This film is a documentary which depicts three families living in Tomioka town and Minamisoma town in Fukushima Prefecture which have been damaged by the nuclear power plant accident. The wind that blows through the deserted green land, and the feather of a butterfly that was caught in a spider’s web….These natural scenes in Fukushima were loved by Mr. Laurent, and he showed them silently in the film.

 

The man who continues to stay at his own home in order to take care of the animals left behind, vents his anger on Tokyo Power Plant Company, by saying “They said they never let leak radioactivity absolutely. They are liars! They aren’t human beings!”….

“All living things on our globe depend on one another for survival thanks to water and earth.” And by the side of another man working in the field, the sound of a heavy machine with which injects the decontaminated earth into the black sacks buzzes.

 

The film was completed by the late Laurent’s colleagues after three months of his death. Reiko-san “cherishes the late Gilles Laurent’s anger toward the power plant company which has made the land where human beings cannot live, and also his line of calm sight toward the animals and plants.” “These are in fact Gilles himself.” “It seems to me that his own feeling was brought back to life.”

 

Mr. Laurent had been a sound engineer in the field of films who had hustled about all over the European countries based in Belgium. He married Udo-san in 2010, who is an editor of a woman’s magazine, and was blessed with two daughters. In 2013, when Udo-san’s childcare leave was over, he emigrated from Belgium to Tokyo together with all his family.

 

Mr. Laurent had been also against the nuclear power generation, judging from the past experience, that is, the disaster of Chernobyl which is adjacent to Europe. Because “what the government says is not accepted without question, and Fukushima is not the sort of incident you can just ignore.” Therefore, he began to film a movie in August, 2015, at Fukushima as the director by himself in order to hear from the sufferers.

 

In the morning of March 22, 2016 when Gilles-san had returned to his country, Brussels metropolis all alone temporally, in order to edit the film after finishing shooting the scenes…. He had been drawn into direct involvement in an explosion terrorism inside a car of the subway bound for his studio…. He was one of the 32 victims because of the simultaneous terrorism attack including that at airport, too.

 

There were a map of Fukushima and acorns Mr. Laurent had picked up together with his daughters in Tokyo, in his rucksack broken by the force of the explosion. Reiko-san says “What was the most significant were life, nature, and to have a family and be able to live together.”

 

The film her husband left also told the same thought. Udo-san tells us with all her strength that “this is a story of everyone’s spiritual home.”

 

The exhibition of this film in Belgium had been fixed. But here in japan, its distribution remained undecided. Therefore, Udo-san searched high and low for the places of showing on a screen. “The movie concerning Fukushima is not profitable.” hesitated anyone. However, Mr. Kazuyoshi Okuyama, a film producer, offered his cooperation.

Mr. Okuyama places a high value on the film. “This film leaves a sense of its creator as a temperature. The tranquil images sank deeply into our mind.”

 

Udo-san hopes “In spite of the disaster of Fukushima, nuclear power generation never be gone from Japan. What we call terrorism is, as it were, a sudden death of an ordinary human being like Gilles. The world is linked. So we have to continue to desire peace. I’d like this film to be a start for remembering how to do in order to change the world.

 

The film is to be opened to the public successively from March at “the Theater Imageforum” in Shibuya, Tokyo, and in some other cities.

 

★Central photo: Director of the late Gilles Laurent filming on location. (Photographed in September, 2015)

 

(Translation by my father, Yasutaka Udo)

 

 The official website of “La Terre Abandonnée”

http://www.daichimovie.com

 

Information of the theater in Tokyowww.imageforum.co.jp

よみがえりの魔法 I wished the existence of magic

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作っては壊し、作っては壊しで楽しめる積み木の類。人もまた、一度壊れても違う形で再生することがあるのだろうか。(作品は長女作)

 

先日、私を取材で追いかけてくれているあるテレビクルー(3月放送予定)の方から、

「正直言うと、打ち合わせで初めてお会いした時(12月だったかな?)、そんな悲劇が起きた人に見えなかったんですよね。」と言われた。つまり、とても元気で普通に見えたということ。そういえば以前、ベルギー大使館での上映会の時にも別の方に言われました。「スピーチで涙ぐんだりするかと思ったら、全くしっかりしてらして・・」と。

 

私って強いんだろうか。いや、もしかしたら冷たいんだろうか。コントロールが効き過ぎなんだろうか。もっとそれらしく、悲しげにしている方がいいのかな。

 

自問自答をしていたら、自分への言い訳のように、逆に亡くなって3〜4か月くらいの間に続いていた心境が思い出されてきた。

「もうこれからは一切、姿が見えず声も聞けないって、どういうことだろう」 そう思いながら暗い部屋で寝ようとするときや、起きるときに息苦しさが襲ってきていたあの頃。目が覚めそうな数秒の間に「ほら、やっぱり悪夢だったでしょ」と思うのだが、実際に目が覚め切ってしまうと、「違うんだ。これが現実か。」と軽く衝撃を受ける。そんなことがしばらく続いていたということ。

 

自分に対して、驚いたことも思い出した。

6月19日に東京で彼を直接知っていた人を集めて「お別れ会」を企画し、その直後に子どもたちを連れて渡欧、家族や友人たちともう一度”パパのお葬式”(川辺で皆で集まった)を終えたとき。これでひと通り済んだな・・と日本に帰りホッとした。その時、こんな言葉が脳裏に浮かんだのだ。

 

「あれ・・・? ここまでしたのに、ジルまだ帰って来ないよ。」

 

そうか。私はジルが帰ってくるための儀式のつもりで一生懸命、踏ん張って動いていたのかと。弔っているうちに奇跡が起きないかなと、願いながら動いていたのかと。もちろん意識の上ではそんなつもりは全然なかったけれども、無意識には、ジルの肉体がこの世に戻ってくる、”よみがえりの魔法”を探しながら自分は動いていたのだと知り、愕然とした。

 

NHKでたまたま昨年の5月3日に放送していた田中麗奈&速水もこみちの「最後の贈り物」というドラマ。田中麗奈扮する奥さんが、急死した夫をなんとか蘇らせようと、模型や人工知能を駆使して、もがき続けるという話だ。これを見た時はまだまだ渦中。心境がダブって苦しくなった。

 

宮部みゆきの小説「英雄の書」にも、こんな登場人物が出てくる。愛する人を失い、けれどもその人を取り戻さんと世界中から魔法の書を掻き集め、最後には悪に取り憑かれて地中の奥、誰もたどり着けない牢獄で怪物になり呻いてしまう男性。小説を読んだ時は「面白い・・」という印象でしかなかったのが、自分の身に起きた出来事を通して、「わかる・・」と改めて痛みを伴い思い出した。

 

私が怪物にならずに済んだわけは、やはり基本的な愛情に恵まれたことが大きいが、ジルの遺してくれた映画が「よみがえり装置」であると気づいたこと。ジルの目、耳を通して描写したものが残る。それはまるで映画を見ることで、ジル自身の体の中に入っていくような体験であると気づいたこと。そして、見た人の体を通して都度ジルがよみがえる可能性があると気づいたお陰だ。

 

さらにはこの映画の存在を知った様々な人々が祈りにも似た思いを向け、その輪が次第に大きくなってくるという”応援装置”にもなっていること。

(逆に、映画がなかったら、そして配給なんておぼつかない状態のままだったら、どうなっていたんだろう、と思う)

 

けれどもあの頃の苦しい気持ち、魔法を求めるような気持ちは遺族にとっては古今東西問わず、共通のものだろう。あの頃のことを忘れてはいけない。あの頃の自分を思い出せば、同じ悲しみを持つ人に多少は寄り添えるのではないかと思う。

 

先日、一緒に取材やインタビューを受けていた配給プロデューサーの奥山さんが私の様子を傍で見ながら言ってくれた言葉。「鵜戸さんのいいところは、ちゃんと感じたことがあるのだけれども、それをコントロールしながら表現することができること。(だからこれからも頑張ってね、という意味で)」

 

これでいいんだ。頑張ります、これからも表現し続けます。

 

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昨日、2月9日の「おはよう日本」で亡くなった家族の人形を作る話が出てきた。ほぼバービーサイズに近いもので、けれどもかなりリアルだ。写真を渡して、CGで分析した形をとり、作ってもらえるのだという。どうしようかな・・とちょっと魅かれてもいる。

 

 

シェア件数1,000件を突破。1000 people shared my facebook message of 28th of January

1月28日に投稿した私のメッセージが、約2週間足らずでシェア件数1,000件を突破しました。本当にありがとうございます。おひとり、おひとりの善意に、祈りに感謝です。

 

友達の友達の友達の・・と、枝分かれしていくさまを想像すると、なんとも言えない感慨を抱きます。

野原に次々と、愛の花が咲いていくようでもあり。

 

facebookのアカウントは持っていなかったジルもきっと目を丸くして驚き、喜んでいることでしょう。

 

(メッセージは以下のとおり)

 

 

<公開にします、よろしければシェアをお願いします>

私の夫、ジル・ローラン(享年46歳)が昨年の3月22日、ベルギーの地下鉄テロで命を落としてから早10ヶ月。
ほぼ1周忌に当たる今年の3月に、彼が監督した福島のドキュメンタリー映画「残されし大地」(国籍はベルギー映画なので逆輸入)が遂に日本で一般公開されます。あと1ヶ月あまりです!

命日から1年を機に・・という私の願いが本当に叶いました。彼の亡くなり方は私の人生を揺るがす大事件でしたが、私をより良い形で世界と結び付け直してくれました。この10ヶ月は、思い返すに多少の困難や落胆はあったとしても、素晴らしい出会いと出来事にしか彩られませんでした。それは、私にこれからも人生と世界を信じ続ける力をくれました。おそるおそる始めたブログ、たった一人の管理人で細々と始めたfacebook。寂しかった夏を乗り越えたあとに実りの秋、映画祭などを経験し、今は素晴らしいスタッフと一緒に準備万端整いつつあるラストスパートの冬です。

日本版のメインビジュアル、予告編、そして最初の封切館になる東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムの情報もアップされました。封切りはまず3月(日程は追って発表)に東京、福島、高崎からで、その後どこまで広げていけるか、どのくらいのロングランに出来るかは、見に来ていただける方の数がキーになります。映画の命は、ここからは私の知らないたくさんの方々に委ねられます。

(私のfacebookもここからはしばらく公開にします。まだまだ夫のことを知らない方はたくさん居ます。どうぞよろしければシェアをお願いいたします!!)

予告編:http://www.cdjournal.com/main/news/-/74504

公式HP:http://www.daichimovie.com

フェイスブック: https://www.facebook.com/nokosareshidaichi/

東京の上映館、シアター・イメージフォーラムHP:http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/575/

ブログ:故ジル・ローランを偲んで(これから映画公開までは、ほぼ毎日更新・・を目指します。ホント??)http://gillesfilm.hatenablog.com

 

 

 ※1月29日付です。よろしければシェアし続けてください!

https://www.facebook.com/reiko.udo

最後の足取り。The last footspteps

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写真はブリュッセルの地下鉄のMerode(メロード)駅。事件のあったMalbeak(マルベーク)駅のすぐ隣で、ジルが地下鉄の駅に降りていったのはここからです。

 

前回、ジルが亡くなった時に持っていたMac Power Bookの中のハードディスクが復元された話を書きましたが、その中を探った時に、ある日付に目が留まりました。

 

Wordの書類で、2016年3月22日午前8時53分。

地下鉄の爆発が9時11分ですから、まさに家を出る直前まで触っていた書類でしょう。書類名には"New Synopsis"とあります。「新しいあらすじ書き」という意味です。

 

前日までに全体的な編集作業を終え、映画を最初から最後まで通しで見てみよう、という「スタッフ内覧会」に設定されていた当日の朝。内覧の前に自ら読み上げようと思ったのかな? 文章の終わり方が少し変なので、結局は書きかけのまま残されたようです。2通りある様でした。

 

Quand 5 ans après l’accident de Fukushima la zone d’évacuation commence à sa rouvrir, comment se joue le destin des 3 personnes qui ont refusé de partir et de ceux qui préparent le retour ? Comment s’esquisse pour eux l’avenir dans cette zone sans futur ?

 

Fukushima, 5 ans déjà que Matsumuea san et ses voisins les Hangai continuent leur vie à Tomioka en refusant l’évacuation. Aujour’hui c’est l’heure du retour pour les exilés. L’ étau se resserent sur l’attachement à le terre et le danger latent de la vie là-bas, aujour’hui.

 

両方ともだいたい、以下のような意味です。

「福島での事故から5年(※当時)が経ち、そこに残り続けた人々、そして避難していたが帰宅準備を進める人々の運命はどうなるのだろうか。未来なき未来は、彼らにとってどのような形で現れてくるのだろう。土地への愛着は今日、なお強まり、そして生命への危険はゆっくりと進行し・・・

 

最後まで映画のことを考え続けていたんだな。そう思うと、発見の衝撃と共に胸が苦しくなりました。そして今、これを書きながら改めて落ち着いて思い浮かべると、映画のことを真剣に考えながらもフィルムを披露すること自体にはワクワクして、少し誇らしい気持ちも抱えつつ地下鉄に向かったのではないかと思います。

 

「日時が残されている」ということがポイントということが分かり、さらにハードディスクの中身を探検していくと、同じく3月22日の7時26分。iTunesを触っていたこともわかります。朝起きて、音楽を聴いていたのでしょうか。

 

音楽を聴いたけど消して、きっと朝食をサッと食べて、しばらくこのあらすじ書きをして・・パソコンを「パタン」と閉めて、それを「シャッ」と私が見慣れていたあのリュックに入れて、「タッタッタ」と階段を降りて駅に向かう。・・それらの音声すべてが、ありありと私の耳に再現されるようです。

全て、私が過去に聞き慣れていた音だからです。

 

ジルのお姉さん、シルビーが当時住んでいたのは最寄りが"Merode"という駅でした。事件のあった"Malbeak"駅の隣です。そこからスタジオのあった"Botanique"(植物園がある)という駅まで向かうのが、日課だったようです。

朝の通勤ラッシュが少し和らいだ時間帯。それでも、頻繁に電車は来ていたでしょうから、どうしてあの電車で、あの車両だったのか。朝、iTunesを触っていなかったり、書類書きをしていなかったら、または信号が一つ違えば、誰かとすれ違って話でもすれば。違う電車だったかもしれない・・けれども、そんなことはいくら考えてもキリのないことです。

 

人の運命はわからないものです。生と死の境目って、どこにあるんだろう。

 

けれども、この最後のジルの足取り。「新しいあらすじ書き」を確認するに、やっぱり私はこのバトンを引き継ぐのだと思いました。家族だったからこそ、渡してもらえたハードディスクです。もう彼自身の口で伝えることは出来ないけれども、ジルが伝えたかったことが、ここに残っています。