故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

負けた〜〜! でも勝った。

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侍・ジャパンvs赤い悪魔。

終わりましたね〜〜。ちゃんと3時に起きて、見ましたですよ、長女。(次女は眠いからいい、とギブアップ。四年後は起きるのだそう笑。)

 

日本が先制したとき、あまりに私が大声をだすので、うるさいとびっくりした長女。どっちも応援している私のことも考えてよ、と笑。

 

惜しくも日本は破れてしまいましたが、そこには確実に今後につながる、希望の目が確かに残っていたような。進歩はいつも少しずつ。

先を見れば少し目が遠くなるけれども、悔しいけれども、日本だけのことを考えても、どこかにハッピー感が残る試合でした。

 

両頬に両国旗の長女。

このあとソファで仮眠を取って、今朝も元気に登校です。

 

サッカーワールドカップ、日本VSベルギー!!

まさか決勝トーナメントの第一戦目がこうなるとは。日本対ベルギー。

 

言わずもがな、うちの娘たちは日本とベルギーのハーフ&ハーフ(ってピザじゃないけど)。この対戦カードには、二人とも大いに戸惑っている。

 

「それって・・じぶん対じぶんってこと? たたかってもしかたがないよ!」(長女)

 「てゆうか、ママたいパパなんじゃない?」(次女)

 

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ジルの実家が営むホテルに行くと、必ずお義父さんが用意してくれている2カ国の国旗。

 

ちょうど8年前の6月に生まれた長女。

時は南アフリカで開かれたワールドカップシーズン真っ盛り。誕生を心待ちにする日々も、生まれた当日も、そのあとしばらくも・・試合は続いており、なんだかそのムードに包まれきったままの中での出産だったように思う。

横になっていた私の耳に一番残っているのが、あの大会での騒々しかった応援の笛、ブブセラの音。いまもあの頃の不安と喜びがない混ざった、人生の中でも特別だった時間は、ブブセラの音に彩られた形で思い出す。

 

しかしその大会では、なんとベルギーは不調で不出場だった。ならばと、娘の出産を前に来日してくれていた夫は日本を応援してくれることになり、テレビに向かって、「サムライ、ジャッパ〜~ン!」と叫びまくっていた。

ヨーロッパ人らしく、もともとサッカーが大好きで、自分も子供の頃は地元のチームに所属し、週末はサッカーに明け暮れる少年だったらしい。ディフェンダーだった、というのもなんとなく彼らしい気がする。

 

日本戦を見続けるうち、彼が大好きになったのが、いまも活躍するゴールキーパーの川島。

そうしたらなんと、川島はこの大会での活躍直後に、ベルギーのチームへの移籍を発表。さらにはなんと、娘の生後1ヶ月で一旦ジルはベルギーに戻るのだが、その帰りの飛行機に川島と乗り合わせた!! 

空港では記者会見の場も設けられており、生のインタビューシーンなんかも横目に見ながら、そのまま同じ飛行機でベルギーへと旅立って行ったのだった・・。

・・成田から電話をかけて来て、「いま、誰が近くにいると思う!?」と興奮してしゃべっていたジルの口調と、私自身の驚きを今もありありと覚えている。

 

そんなこんなで、ワールドカップというと、いろいろな思い出が押し寄せて、別の次元で人知れずセンチメンタルになったりしている。

 

あれから2大会巡り、今は長女も8歳に。

「どっちがかっても、なんかわたしは、ちぎれちゃうような気がする・・」なんて面白いことを言ってくれるほどに成長した。

 

日本語覚えたてのジルが、「にっせんじゅうねんの、さっかーの、わーるどかっぷ!」と、なんどもなんども、ふざけながらもゆっくり口調でリピートしていたのも、懐かしいなぁ。

 

さて、結果はどうなることやら。

めったにない機会ゆえ、私は娘たちに懇願されて、夜中の3時に二人を起こすことになった。

健康な生活を送るべき小学生にあるまじき、"真夜中観戦"。でも一生のうちでももう一度、あるかないかのイベントと思えば。

 

ジルも天国で、リアルタイムで、めっちゃ熱心に観戦していることでしょう。

黒い蝶。

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昨日は、あの小林麻央さんの命日だったのか。

海老蔵さんがブログで「黒い蝶が、私の周りをくるくると4回、舞ってくれました。」と書いていたというのを読んだ。

 

それであぁ、やっぱり黒い蝶なんだ!と思った。

 

2年前の夏、ジルが亡くなってから数ヶ月後の夏。

子供達を保育園に連れて行くとき、自転車の走る方向に、なぜか意味不明なほどの低空飛行で、黒い蝶が付いてくることが何回かあった。

伊豆に旅行した時、河津駅の人気の少ないホームに、スーッと黒い蝶が舞い降りてくる。宿泊したホテルのプールに出ると、子供達の頭をからかうように何匹かの黒い蝶がかすめてきたりもした。

 

同じ夏の終わり、子供達の音楽教室の発表会が。会場へ向かうタクシーの中で、長女が叫んだ。

「あ! また黒い蝶だよ。」 

片側二車線ずつの大きな街道は、せわしく行き交う車かショップに囲まれた人工的な風景。そんな通りで窓の外で必死で羽ばたき、しばし車に寄り添う黒い蝶がいたのだ。こんな排気ガスまみれのところで何をしている〜・・と、ちょっと心配な気持ちと、ハッとする気持ち、不思議な気持ち、そして感傷とが一瞬にしてないまぜになったのを覚えている。

 

そういえば是枝監督の映画「歩いても 歩いても」の中でも、確か最後の方のお墓参りのシーンで蝶が出てきたように思う。”死者の魂がモンシロチョウに”というようなことをだれかが言うのだ。

 

蝶だけではなく、一昨年の夏は、印象的な虫の登場が多かったように思う。

綺麗な緑色のバッタも、時々私の自転車やバッグに不必要なほど長時間、留まっていることがあった。

てんとう虫の思い出も。

ジルの映画の存在がNHKで紹介され、それを見て連絡をくれた奥山プロデューサーに会いに行く日。タクシーに乗り込みふと視線を落とすと、なぜか都会では珍しい二つ星てんとう虫が私の膝のあたりに鎮座していた。座ってふと、目が留まる場所に、わざわざ・・。

 

思い込みだったとしても、私の感覚が鋭敏になっていたからかもしれなくても。

虫は軽いから・・。亡くなった人の魂が、ふと乗り物にしやすいのかなと思う。

比較的コントロールしやすくて。しばしの小さな遣いになってくれるのだろうか。

 

違う意味で。虫には注意が必要(笑)。

 

今年の夏も、また現れてくれるかな。

 

ひらがなの衝撃。

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この写真は私の娘。今年の3月に6歳になり、4月には小学校に入学して1年生になった。

 

先日、移動中のタクシーの中で何気なくクリックしたネットニュース。あの5歳児、船戸結愛ちゃんの「ひらがなノート」の文章を読んだ時。

あまりの衝撃に、胸のあたりにメラメラと大きな炎が瞬く間に湧き上がってくるのを感じた。まるで体に突発的に火事が起こったようで、自分でも驚いてしまうほどだった。

 

それから数分たち、こみ上げて来たのは、涙。

これは心からの叫び。書かされた反省文というよりは、とにかくゆるして(”緩くして”)という心からの嘆願書。そして、結びになるのは「明日はもっと頑張るよ」という人間に元来備わった前向きな気持ちから発する、決意の表現・・・こんな方向での表現で、前を向く心が、噴出しなくてはならないなんて。

 

その後間もなく、いろいろな文脈から、彼女が2012年の3月生まれで、死亡当時5歳でもまもなく6歳になるところであり、小学校入学直前のタイミングであった事を知って再び愕然とした。

なぜなら、その生年月は、私の娘と全く一緒だったからだ。

 

約6年間の生涯。

2、3年ほど前に血の繋がった父を失った時期も、だいたい似ている。

この年頃の子がいかに利発になり得て、アーティスティックで、情感も観察力も豊かであるか。同時進行で成長していた我が娘を見れば、とてもよくわかる。結愛ちゃんの中にも、もともと同じものが豊かに育っていたことは全く想像に難くない。それを思うとき、本当に苦しくなる。

幼稚園や施設の先生が「甘えん坊で、明るい子だった」と形容する。曽祖母が「アナ雪の歌を嬉しそうに歌っていたのに・・」と泣いている(それはきっと、2歳の時)。どれを取っても、なんとうちの娘と似ている事だろう。

 

試しに、よく食べる割にヤセ型の娘の体重を改めて測って見た。18.9キロ。この年頃の女児の平均体重は約20キロとあったけれども、それよりやや少ない方。見た目はいわゆるスリムだ。ところが結愛ちゃんは約12キロ。一体、(私の娘の)この体のどこをどう絞ったら、3分の2にまでなってしまうのだろう、と想像を絶した。

 

昨年の秋頃だったか。

朝の支度をバタバタと急いでいた私の傍らで、いつものように空き時間があると工作かお絵かきかに励んでいる娘が、「はいママ!」と、手紙を渡してくれた。「ままだいすき」という言葉で始まる、それも、オールひらがなの手紙だった。

 

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ままだいすき(※全て原文ママ

 

ままいつもおせわおしてくれてありがとうね

しかもいつもままつかれるでしょう

りりもこれかわがんばるよ

いつもままのおかげでげんきがわいてるんたよ

ありがとうね ままたまにわやすんでね

 

みるみる涙が出て来た。それ以来、私のスケジュール帳に挟み込んである。それは当時私が受け取っていた、最初の「ひらがなの衝撃」だった。

 

「ママ泣くと思った〜〜」(私が時に泣き上戸なのを知っていて)とニコニコして抱きついてくるので、「あれ?ママを泣かせようと思って書いたの?」と問うと、「ううん、書きたかったから書いたんだよ」と言う。

 

子供はこんなにしっかり見ている。行間から滲み出てくる、彼女の観察の眼差し。私がバタバタしていること、疲れている時もあることを、一人の人間対人間として。

 

結愛ちゃんのノートの言葉も、混じり気のない絞り出すような心からの表現だったのだと思う。「ママ」という書き出しから始まっていたあの一連の文章は、ママならなんとか聞いてくれないだろうかと考えた、心からの叫びだ。

 

それはあのノートの言葉だけではなくて、「お家と施設と、どっちがいい?」と聞かれた時に「しせつ。」と答えた結愛ちゃんの言葉が、まったく狂いのないものだったのと同じように。それなのに、どうしてその言葉の通りに、大人が動けなかった・・。できれば親元がベスト、なんていう考えを捨てるべきだった。こどもファースト、という意識で私たちは動けているのだろうか。

 

私の夫がベルギーでのテロで亡くなったとき、1年後に印象的な出来事があった。

幾ばくかのいわゆる慰謝料が、ようやく地下鉄会社の加入していた保険を通して出されることになったのだが、それは私宛、長女宛、次女宛と、完全に分割して振り込みをしなければならないのだ、という。娘たちは事件当時、5歳と4歳。だが、あくまでも心理的ダメージを与えた償いは、個々人に支払われるものであるから、と。

 

娘たちの口座は、私もタッチできないものであり、彼女たち自身が18歳になるまで、凍結されるという。それゆえ日本の口座でそんな措置が可能かどうかを調べたのだが、そんな制度は皆無。結果、ベルギーで二人の銀行口座を開設し、それは公的な管理下におかれることとなった。

 

欧米では・・と一括りに言うのはあまり好きではないけれども、それほどまでに、少なくともヨーロッパでは、全てがあくまでも”個人”単位。こどもでも、最初から1個の”大人”として扱われていることが理解できる。

 

日本では、親権がとにかく強すぎるのだと聞く。例えば実の親が承知しなければ、児童養護施設から里親への移行というのも出来ない。様々なケースを一律に議論するわけにはいかないが、ある意味で実の親のわがままが通ってしまいがちなことには、問題があると思う。

 

それから、今回のケースでやはり多くの人が印象を強くしたと思うのが、継父が妻の連れ子を虐待するケースが後を立たないと言うこと。これも、真逆のケースも存在すると思いつつなので本当に残念なことだが、仮に今回のように、新しいパパの人間としての格が最低である(かもしれない)リスクについてだ。

 

NHKプラネットアースだったか。

ツキノワグマの生態を見てショックを受けたことがある。こぐま2匹を育てているお母さんグマが、子殺しをするオスに2度も襲撃を受け、その度に抵抗して戦うものの、子供を崖から突き落とされ、失ってしまうのだ。しかし子供を失うと、その憎き相手のはずの、オスを受け入れる。

オスにしてみれば、動物として自分の遺伝子を残そうとする本能的な手立てなのだろうが、どうしても悲しみともつかない、もやもやが残ってしまった。

今回はそんな動物レベルの事件なのか?

 

この継父の場合、人間とらしさが”生きて”いるのは、小賢しい言い訳のためだけ。躾のためとか、勉強しなかったからとか、モデル体型が云々とか(モデル体系を5歳の子に普通、求めますか。モデルに会ったこともないくせに・・)腹の立つ言い訳が並ぶこと・・。千歩も万歩も譲って、本人も似たような強迫観念を人生のどこかで受けたことが複雑化でもしているのだろうか。

 

表現は最悪だが、こうした”クズレベル”の配偶者に引っかからないためにも、または引っかかってしまったかも、と思っても。女性がすぐに逃げられるような仕事やサポート体制はあることはとても重要だ。それは当然、昨今強く論じられている、子どもの貧困問題にも繋がること。

私もシングルマザーになって久しいが、もしこれで仕事がなかったら、お金がなかったら・・と想像すると、すぐ隣に暗闇が潜んでいることが分かる。何かの歯車が狂えば、と。

 

母親がこの継父と結婚してから亡くなるまでの約2年間。どんなに辛い、地獄のような日々を過ごしてきただろう。パワハラモラハラ、身体的暴力、ネグレクト、隔離・・。おおよそ虐待の全てが詰まったような事態。

しかも、5歳の女児を対象に。それなのに、希望を失わないように、必死に前を向こうとしていた結愛ちゃん。

 

どんな悲惨な死にも、必ず意味があると思いたい。多くの人を今度こそと覚醒させるために、犠牲を払って旅立つ、ある意味で殉教のような死に方をする天使が居たんだと、後になって振り返りたい。

それは、夫があのような形で亡くなった時に、密かに願ったこととも似ている。

 

幸い、制度そのものを動かそうと言う意識が世の中に高まりつつあるのを感じる。親権の制限、自動相談所と警察のより強い連携・・。これを契機に子供の命を最優先するシステムのある社会になって欲しい。

 

彼女のノートの言葉は、もしかしたら数十万のいまも虐待に苦しむ子供達の心を代弁した”書簡”。何人もの子供達の尊い命や尊厳が救われることになるならば、どんなに報われることだろう。そうとでも思わない限り、私たちのやりきれない思いは、どこへ向かっていったらいいか。

 

振り返って私自身と娘のこと。

あんな素晴らしい手紙をくれる娘に対して、今までにもちょっとした失敗をしつこく追い詰めたり、忙しさも相待って言いすぎてしまったことも数しれず。でも、もう、つまらない事を言うのは一瞬でも少なくする・・と誓った。しい、楽しい、そんな瞬間が一瞬でも増えるように。遊ぶってことが、子供にとってすごく大事であると、信じていられる子供時代を過ごせるように。

 

結愛ちゃんと同じ頃に生を受けていた娘を全力で守り続けて、生きてもらおうと思う。

 

 

 

形あるものは

ブログがなかなか更新できずにいました。

思いがけず、また身内に事故があり、それで心がしばらくモノクローム状態になり、なかなか話題を創出できなかったのでした。

 

形あるものは、壊れてしまうこともある。

 

人間って奥深い存在なのに、その”容れ物”だけはどうしても、物理的な力、つまり事故や病気で故障してしまうものです。それは、形があるものの定めですね。

自分もいつ何があるか分からないなと思います。

 

少し落ち着いたらまた、更新していきますね。

というか、そう悟ったこともあり、少し落ち着いてきました。

ちょこちょこと見にきて下さっている方々、心配しないで待っていてくださいね。

忘れないでいてくれて、ありがとう。Thank you for not forgetting.

今日はジル・ローランの命日です。

(2016年3月22日、ベルギー地下鉄マルベーク駅にて死亡。享年46歳)

 

ブリュッセルの地下鉄駅、マルベークやその隣のブルス駅や路上にかかれた、色々な人たちからのメッセージの、アーカイブが発表されました。

 

ずっとずっと、忘れないでいてくれていてくれて、ありがとう。

 

↓下記リンクの中の、途中にあるcommemoration で始まるファイルをクリックすると見られます。

https://www.brussels.be/new-website-messages-after-attacks-22-march-2016

 

 

最後の手紙 The last letters to his daughters

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「これ、なんだったっけ・・」

先月末に、こどもたちと部屋の整理をしていたとき、ふいに発見したカードが2枚。

めくると、懐かしいジルの筆跡が目に飛び込んできた。こどもたちの名前が宛名として綴られている。日付は、2016年3月・・。

 

そうだ・・! 亡くなる直前。

一昨年の3月に入ってまもないころ、家に届いたベルギーからの小包に入っていたものでした。

 

3月11日(奇しくも震災の日と同じ)は、次女の誕生日。当時、4歳になろうとしていた。ジルは、不在ながらもあれこれと考えて、事前にプレゼントを送ってくれていて・・。

次女へのプレゼントはボーダーのワンピース。それに、長女のほうにも不公平にならないように小さなオモチャが添えられていたのを思い出します。

 

これが、その誕生日のメッセージ。

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(訳)

2016年3月11日

お誕生日おめでとう、僕の小さなリリ

ついに4歳だね。今はもう、りっぱな”女の子”になったね。

とてもすばらしい1年になるように願っているよ。

もうすぐ会えるのが待ちきれないよ。

たくさんのキス!!!!を。(心で)抱きしめているからね。

君のパパ、ジルより

 

そして、こちらが同時に、長女に寄せたメッセージ。

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(訳)

大きいすずちゃん、

こっちのカードは君に。喜んでもらえると嬉しいな。

次は、君の誕生日だね。

その時には(注;6月18日です)、パパもそっちにいるだろうから、いっしょに祝おうね。

たくさんのキスを。パパは君をとーーーーっても大好きだよ。

ジル

 

 

涙があふれました。

長女の誕生日を一緒に祝うこと。それは、その後に叶わないことになるなんて。

 

じつは、このカードをもらっていたこと。しまっていたことを、忘れていました。なぜなら、そのときの文面としては、ごくごく当たり前の、私の知っている子煩悩なふだんのジルだったので。

これが残ることが、ものすごく特別なことになるなどっとは、思ってもいず、後で普通にレターケースに仕舞っていたのでしょうね。

 

このカードが届いた後、2週間後に、二度と会えない存在になるなんて、そのときは思いもよらなかったのです。

 

今、こうして見つかったカード。

私が常々、「もっと夢でもなんでも、ジルからのメッセージがあればいいのに・・無音はいやだ」と心の中で思っているので、見つかるようにと仕向けてくれたのかもしれません。

 

3月はなかなか、心穏やかには過ごせない月です。

3.11もあれば、3.22もくる。

その狭間で、心は何度も揺れ動きます。

 

このカードにジルが自分自身で装飾した、黄色の蛍光ペンの模様は、どんどん薄くなってしまうのでしょう。

でも、このカードの中にこめられた、ジルの子どもたちへの愛情は、永遠に消え去ることのなく、真空パックされたものなのだと思います。

 

このときだけでなく、ずっとずっと、有効で、温かさを運んでくれるメッセージなのだと思います。