もうすぐ10年。そしてもうすぐ、5年。 ㉒
Vol. 22 日常を切り取る
本日は閑話休題。
ジルが亡くなった時にリュックの中に持っていたパソコンのハードディスクは、復元が大変だったようだ。なにせ爆撃だったのだ。現地の支店で一度は断られた。けれどもベルギーの義兄が、アップルコンピューターのCEOのトーマス・クックさんに事情を説明するお手紙を書いてお願いをした。すると即座にがんばって対応するように現地に指示してくれて、見事に中身を取り出せた。(さらには後日談として、トーマス・クックさんは”何か新しい好きなものを1台ご家族に差し上げたい”とまで言ってくれた。だから私はそれまでもこれからも、ずっとマック派。)
そしてそのハードディスクのコピーを一部、私は譲り受けた。
ハードディスクの中を探ると、当たり前だけれどもジルが生きていた時の痕跡がその中に色濃く残っている。メールはパスワードも不明だしどちらにしてものぞけないのだが、数多くの写真や書類には、ジルの思考の足跡が、年月をかけて積み重なっているようで、タイトルを見ているるだけでも切なくなった。
中でもどうしても手が止まってしまったのは、日本に住んでいた時の様々な写真や動画が収められていた部分。ディスクを譲り受けた時は、さっと何が入っているかを確認したくらいで、なかなかじっくりと深掘りをする事は今ままで叶わなかったのだけれども、ようやく少しずつ整理を始めている。
撮ったり撮られたりしていたことを、私も忘れていたような日常のシーンがある。
ジルのちょっと風変わりなところはといえば、何かのイベントの時にカメラを出す、というよりも、日常の中でちょっとした気に入った”画角”があればそれをじっくり撮り始める、というものだった。定点観測のようなカメラワークが好きで、映画「残されし大地」も、大きく動くアクション的な映像はなく、ただただ静かに対象を見守っているようなものが多い。
ここに発見したある日の動画も、ある意味そんなジルらしさが出ているなぁとしみじみ思ったので、本人にはテレパシーで許可を得たとして、ここに一部を公開させてもらう。
(3月11日からアップする映画「残されし大地」もこれと同じvimeo形式になると思うので、その動作テストも兼ねて。)
映像リンク⇩
同じ視点からじっと我々を見ているだけなのだが、何度か見ているとそれぞれの表情のクセがじわじわっと浮き出てくるのがおもしろい。電車のアナウンスや雑音、周囲の人のおしゃべりが混じったり。ドキュメンタリーって、そういうことなのかな。
反対側にジルがいたのは知っているし、「パパ撮ってるよ」とは長女に一応囁いたものの、「だからって何」という表情の幼い白い顔。そして次女の仏頂面が次第に鼻垂れ、時々揺れる大きすぎるニット帽のとんがった先っぽ・・。
なんてことのないビデオで、他の人が見たならだからどうだ、というものかも。けれどもこの映像を通して、ジル自身の視線が降り注がれていることが手に取るようにわかり、そしてその降り注ぎがいまも続いているのかな・・? と感じさせてくれる2分ちょっとなのだ。
思いがけず、私たちにとっては違う価値を増してしまったのだけれども。大切な映像だ。