故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

ジル・ローランの頭の中 その1 The books which he left in the house

ジルが日本に残した遺品は主に、服と本でした。

中でも本は好きだったので、ベルギーの実家にもたくさん残していると思いますが、ここ日本で持っていた限られたジャンルの本には、彼が日本で何を考えて生きていたのか、どんな思いが映画に結びついたかがよくわかるので、2回に分けて掲載します。その1です。

 

ひたすらひたすら、エコロジー関係の本。「どうやって世の中をもっとグリーンに、サステイナブルにしていくか?」という問いかけに対する具体的な提案をしているような内容です。

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日本について、より深く知るための本(怪談で有名なラフカディオ・ハーンや日本研究の第一人者、ライシャワー長官の本)・

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「武士道」について考察した本や、森鴎外や夏目漱石の小説のフランス語版も。

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禅について、イスラム教について・・。精神性についての研究は大切にしていたようです。

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ページが途中からあまり進んでなかった様子のものも、中には。逆に、何度も読んだであろう柔らかくなっているものも。私のフランス語力ではまだ到底ちゃんと読めないものばかりですが、将来、娘たちが手に取れるように大切に残しておこうと思っています。

普遍的な「ふるさと」について考えた。(プレミア試写会in北九州を終えて)06/01/2017

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私の地元で、今年最初の試写会。1月6日、「プレミア試写会 in 北九州」に続々ご来場のお客様。

 

上映前のスピーチにはいつも一応原稿を用意していくものの、お客様を目にした時の気持ちを優先して、結局はアレンジしてお話ししています。けれども手元に用意していた原稿を、記念にここに転載させて頂きます。内容はほぼこのような感じでお話しさせて頂きました。

 

本日は皆様、お寒い中そして年が明けたばかりのお忙しい中、こんなにたくさんの方々にお集まり頂きありがとうございます。

映画「残されし大地」監督ジル・ローランの妻、鵜戸玲子と申します。

 

ここ北九州市は私の故郷で、生まれて18歳までの青春を過ごした場所です。幸い両親が健在で友人もたくさんいますので、度々帰省しており、たった今も二人の子供を連れて帰省している最中です。夫ももちろん、生前は時々一緒にこちらに来ていました。一番最後は2年前の年末年始でした。思えばその最後の北九州滞在中は、この映画の脚本を必死に執筆していた頃です。1年前の年末年始は、ちょうどこの映画の編集作業のためにベルギーに帰っていました。そしてそのまま、母国に滞在中に残念ながら地下鉄テロに巻き込まれて亡くなりました。

 

今回の帰省中に時間があったので、彼が亡くなった際に背中に背負っていたリュックの中のコンピューターの中身、復元されたハードディスクの内容を調査していました。その中に、亡くなった当日、3月22日の午前8時53分という記録のついたファイルを発見しました。それは、この映画の「あらすじ」を紹介するための短い文章でした。爆発が起きたのは午前9時11分ですから、ほとんどその直前、ということになります。

 

彼が残した映画の「あらすじ」にはこうあります。

「福島での事故から5年(※当時)が経ち、そこに残り続けた人々、そして避難していたが帰宅準備を進める人々の運命はどうなるのだろうか。未来なき未来は、彼らにとってどのような形で現れてくるのだろう。土地への愛着は今日、なお強まり、そして生命への危険はゆっくりと進行し・・・」と書きかけの様子で終わっています。

 

ここにもありますように、この映画は福島の映画です。けれどもそれと同時に、普遍的な、「故郷というものに対する人間の愛着」について描いた映画でもあります。自分の居場所が、ふるさとが、ある日、こうなったらどうなるんだろうと想像する気持ち、寄り添う気持ちを持つことだけにも、大切であるということを彼の映画は教えてくれます。ちなみに彼のベルギーの故郷は、ブイヨンというベルギー南部の田舎町で今は自然豊かな小さな観光地ですが、少し前まではなんと長い間、ここ北九州市のように鉄鋼で栄えた町のひとつだったそうです。

 

本日のこの上映会を企画してくれたのは私の高校時代の仲間たちです。先ほどご挨拶に出てくださった主催者チョウドリさんをはじめ、多くの方々に支えられて実現しました。ここで改めて、お手伝いそしてご協賛くださった方々にお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。そして今日は同じ高校の後輩にあたります、ピアニスト矢持真希子さんの素敵なピアノ演奏が華を添えて下さいます。本当にありがとうございます。

 

映画はこの春3月、有難いことに東京の渋谷を皮切りに全国順次劇場公開される予定です。今日はいち早くここでお届けしますが、是非、福岡の劇場に来た際にも、周囲の方に宣伝してお誘い合わせの上、ご来館いただけるとこの上なき幸いです。

 

それではどうぞごゆっくり、本日の会をお楽しみください。

 

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友人の手作りのパネル。この日は私もジルがそばにいることを、たびたび感じました。

 

 

2017年、年が明けました。Now we are in 2017.

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ジル撮影の山梨県・忍野八海の写真(と思います。2014年9月撮影)

 

年明け早々、休みでやっと落ち着いた時間が取れたこともあり、ジルが最後まで使っていたMac PowerBookから復元されたハードディスクの中身を検証しました。やはりカメラが好きなだけあって、いろいろな写真が無数に出てきました。これから整理して、映画同様、発表の機会を少しずつ設けたいところですが・・。

まずはデスクトップにあったらしい、この写真を一枚アップします。

 

今年は当然、喪中なので新年のご挨拶は控えています。けれども、やはりちょこちょこメールやLINEのスタンプで新年の挨拶も・・・。正直戸惑いますが、「言いたい」という気持ちがはやり、明るい気持ちで投げてもらったものに対して「喪中なのでちょっと・・」とは言えません(笑)。その他にも、久しぶりの喪中に際して「これはどうするんだっけ?」「あれはしてもいいのだっけ、ダメなのだっけ?」と、妙に落ち着かない感じの正月を過ごしています。

 

この写真は何となく静謐な雰囲気で、喪中ハガキに使用しても良かったかのような一枚。お祝いの言葉は言えないけれども、この写真と共に、ご挨拶はさせてください。

 

今年はいよいよ、ジルの映画「残されし大地」が日本中に羽ばたいていくことになる一年です。東京での映画公開は3月。3.11から6年、3.22(ジルの命日)からもほぼ一年となるタイミングで渋谷のシアター・イメージフォーラムで、どなたにでもに来ていただける状態になるわけです。そして、その結果次第で全国にどんどん巡っていく・・。

こんな年はもう二度と巡ってこないわけで、最初で最後の一作を一人でも多くの方に見ていただける素地を作るべく、私も精一杯頑張ろうと思います。

 

ジルを知らない人たちにも、ジルの良心や美しいものを愛する心がうまく伝わりますように。

 

今年もどうぞ、ご協力をよろしくお願いします。

 

映画「残されし大地」facebook https://www.facebook.com/nokosareshidaichi/

憎しみではなく、愛の拡散を。May love spread in the world, not hatred.

先日やっと、パリ同時テロで奥さんを亡くしながら「ぼくは君たちを憎まないことにした」というfacebookメッセージが世界中を駆け巡ったアントワーヌ・レリスさんの著書を読みました。

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存在は知っていながらも手に取ることが難しかった時も過ぎ、やや客観的にこんな本を読むことができるように。内容は、テロから2週間余りのことを日記風に綴ったもので、その時の心理状態、周囲で起こっていたこと、それらと自分との、いわば”コネクト不具合”について・・を正直かつ文学的に綴ったも心の中の記録・・という感じでした。

 

このタイトルだけを見ると、彼が崇高な理想でもって、「憎しみはやめましょう」と言っているようにも取れるけれども、同じ経験をした者としては、きっと、そうしか出来ない呆然とした心理状態だったのではないかな・・と推測していました。

Vous n'aurez pas ma heine.というのは、英語に直訳するならばYou will not have my hatred.ということで、さらに日本語に直訳すれば「あなたたちは私の憎しみを所有することがないだろう」という状況説明のような、淡々とした雰囲気の一文だという気がします。さらに7ヶ月後くらいに来日した時の記者会見で、「あんな魂のない行動を起こせる人々のことを思うとき、想像を絶する」と率直に語っていたのを読んだことも。

 

私自身が自分にとって、もう”分身”のような存在になっていた(と後から気づいた)ジルを、目の前で殺められたような気がした当時、テロリストと一応呼ばれている彼らの正体のようなものを目撃したような気がしました。

彼らはびっくりするほどに、魂のない”のっぺらぼう”のようなもので、その影が目の前でサッと通り過ぎていったような感覚。凶悪な・・などというよりも、ただの抜け殻の人形(ひとがた)。

 

見ず知らずの人を、その背景にはたくさんの愛情あるつながりのあるかもしれない人たちを、戦時中の義務に従うわけでもなく、ある街のある時間、一切の想像力をなくしてさっと殺めて立ち去ってしまう。それは”人間”のできる技ではないから。そんな存在の前にはただ唖然とし、呆然とし、「今、遭遇した物体は何だろう?」と思うような感覚です。

 

後で思ったのは、彼らが魂のない存在だとしたら、それは「指輪物語」に出てくる「ゴーレム」のようでもあり、「千と千尋の神隠し」の「顔なし」のように、実体がなくて簡単に中身が入れ替わってしまうもの。悪に乗っ取られたときは取り返しがつかない。世の中には、そんな風に抜け殻となった存在が実際にあるのか・・・。自分自身の命、内側で燃える炎のようなもの、意思のようなものを抜き取られ、または消去された存在が存在するんだと強く思った印象が残っています。

 

だから、彼らに対して何の憎しみも抱きませんでした。

 

「憎い!」という気持ちは相手に対して期待をしたり、怒ったりするから起きること。相手を人間だと思っているから湧き上がるのです。でも、この感覚は「見下している」というのとも、違います。人間ではないものに対して、人間としての感情を持つことができなかった、というごく自然な反応が正直なところです。

 

やっと彼らのことを「憎い」と思えたのは、お葬式のためにベルギーに渡り、ジルのお父さん、お姉さんや妹たちが悲しみに打ちひしがれているのを見た時。私の大事な人たちをこんなに苦しめた奴らはどこのどいつだ? 目の前にいたら、一発ぶん殴ってやりたい! と言う気持ちが。人間的な感情を揺り動こされるもの、共感できるものを目の前にした時、私の中にもやっと、人間的な気持ちが湧いてきたのかもしれません。

 

けれども今もって・・私自身からの直接的な、彼らに対する気持ちの中には、やはり憎しみは見当たらないのです。

 

ただそれ以来、彼らのような存在がなるべく世の中に出て来ないようにするためには、どうすればいいのだろうか、ということだけはずっと考え続けています。

 

テロ対策ということを声高に言うならば、まずは研究しなければならないのは、どうして”人が人でなくなる瞬間が生まれるのか”、”紙一重”の部分は何なのだろうかということ。簡単に言ってしまうならば、”洗脳”のポイントのようなものなのではないかと考えています。

現に、貧しい環境で生まれたのでも、恵まれた環境で育ち高学歴であっても、テロリストになりうるということが分かっています。たとえ貧しさや境遇、その時の精神状態がきっかけであったり、第一歩となったとしても。それがある日、人として全く間違った信条の方に、紙一重ですり抜けて入っていってしまう、その”紙一重”を、なんとか突き止めなければならないのではないか、それが急務なのではないかな・・と思い続けているのです。

 

警備をしっかりするという水際対策だけがテロ対策じゃない。

枝葉を切り落とすことはできても、根っこをどうしたらいいんだろう。

 

それにしても、その後も彼らに対して憎しみが特段わかないのは、結局は「テロなんて失敗だ」と事件から間もなく、感じたせいでもありました。壊れた私に対して、大きな愛がそれを知った各方面から、知った順に大至急の勢いで流れてきたから。それも大変な現象で、私はもう一方の世界を見た気がしました。

 

持論かもしれないけれども、結局は愛も憎しみも、悪も善も、「とびひ」のようなものではないかと思うのです。潰してしまうと、それがかえって広がってしまうということ。

 

爆撃すると、どちらにしてもそのエッセンスが血のように周囲に飛び散ってしまう。

だから愛(善)が攻撃されれば、愛(善)が増幅する。

憎しみの大元(悪)を攻撃すると、新たな憎しみ(悪)が拡散する。

目に見えないだけで、実に物理的なセオリーなのではないだろうかと。

 

それだからこそ、例えば・・・9.11の後にアフガニスタンを攻撃し、ビン・ラディンを裁判にかけることなく殺害したのはどうだったのだろうと。ジルが当時、そのニュースを聞き言っていたのを覚えています。「殺さずに生きたまま捕らえて、テーブルにつけるべきだった。どうしてこうなったのか、聞くことはしておくべきだったのに」と。

それからしばらくしてISが台頭した時、落胆してこうつぶやいていたのも思い出します。「会話のできない相手になってしまっている・・」 案の定、攻撃を受けた悪はどんどん拡散していたのです。彼らをそこまで追いやってしまうに至ったのは、武力を武力で撲滅できると思っていた、正義の側の”単純思考”にも一因があるのではないかと疑っています。

 

言葉が通じなくなってしまうまで、不気味なほどに悪をこじらせてしまったグループをこれからどうしていったらいいのか私にはわかりません。けれども「テロとの戦い」を標榜しながら、半ば闇雲に空からの爆撃を続けていくのは、長い目で見て将来が不安です。悪を広げるためのリスクを強めていないかどうか・・と。

「悪いことをしたら裁かれる」という、人間がなんとか作り上げたシステムの中で、せめて必死に該当者を探し出して、裁判にかけていくことは必要。けれどもすぐに射殺すれば一旦復讐できてセーフ、という短絡的なことは絶対にダメだと思うのです。心理的なこと、脳の働きなどの解明を第一にすることはできないのだろうか。実在の人物たちを通して「紙一重」の解明に、全力を尽くすとというふうにできないものだろうか・・。

 

そして一度、「のっぺらぼうの抜け殻」にまでなってしまった人たちに、愛を浸透させるには気の遠くなるような時間がかかるかもしれないなあ、と思います。おそらく、仏教的な世界観からすると、一回の人生ではもう無理かもしれない。けれども私たちは根気強く、自分たちのいる場所、足もと、ご近所から愛の方向性を広げるように、少しずつ努力し続けるしかありません。

 

そんなことを考えていたら、やはり同じくマルベーク駅で奥さんを亡くした男性の、テレビでのクリスマス・メッセージをfacebookで見つけました。シェア回数は1日で10万回を超え、どんどん増え続けているよう。彼もまた若い子供3人と取り残されたそう。

 

↓フランス語ですが英語字幕付き。早いのでついていくのが簡単ではない部分もあるけれども、少し英語を読むだけでも一見の価値があります。

www.facebook.com

 

彼は「愛に誓いを立てる、精神的な”聖戦”」をイスラム教徒に呼びかけています。そして歴史的な背景を於いても、自分が育った”恩のある”西洋社会への感謝を忘れないということ。このメッセージは本当に力強い・・。テロの巣窟であるような印象になってしまったブリュッセルのモレンベーク地区に住み、自身もイスラム教徒である彼は、自分も”テロリストになる可能性のある人物”と見られる立場であることを告白した上で、リスクを乗り越えてメッセージしています。

 

それにしても、悲しみを少しでも乗り越えられたり、「やっぱり愛だ」というメッセージを携え、愛を拡散しようとすることのできる人間であることは、何が起きようとも幸せなのだとも思います。

今まで愛に満たされた環境を生きてきたこと、愛を選択し続けてきたこと。失敗したり、失望することがあっても、愛の方の心地よさに、ちゃんと戻ってこられる感覚がある・・・それが、まずは人間としての第一の幸せなのだと思います。

 

あとはやはり、もうあまり覚えていないほどの昔、子供の頃にどれだけ愛情のシャワーをベースとして受けて、愛を蓄積していたかがその後を大きく決めるのではあると思います。それがふんだんにあれば、多少減っても、また増量する方法を自分で知っているのではと。それが少なすぎると、簡単にゼロになりやすく、ふとした時に他の”のっぺらぼう”に遭遇して、違うものに取り憑かれてしまうのかもしれないと。

 

改めて、子供たちに対する、大きな人間である私たちの責任は大きい。

 

私自身もこの出来事の後にも、却って自分の来し方を振り返った時、これに耐えうる愛の土壌がもともとふんだんにあったのだなということに驚き、そして感謝しました。

 

昨日、一昨日とfacebookを見ているとクリスマスのにぎやかな、楽しい、おどけた話題が満載。

 

私もテロ直後は、レリス氏の書いた著書のような、生きた心地のしない2週間を過ごしていて全てが別世界のことのように感じられ、何も目に入らず、何も耳に入ってこなかったのを思い出します。

でもしばらく経つと、他の人のfacebookに段々と微笑むことができるようになっていました。仕事をしても、盛り上がる現場で普通にみんなと一緒に冗談に笑える。日を追うごとにいわゆる”普通”がどんどん戻ってきています。

 

もちろん、埋められない穴はぽっかり空いてしまいました。

 

けれども愛を選択していれば、そこにどんどん、愛が入ってきます。中には一時的なものもあるかもしれないけれども、どんどん入っては来続けています。

 

私はこのブログを書き続けながらも決して立派とは言えず、ただ日々を何とか生きて、考え観察し続けているだけです。自分を生きた標本のように感じていた時期も。ただ、あまり間違わずに生き延びてきているかな・・という感慨はあります。

ちゃんとお礼を表現できていないのではと思うことも、一時的にくじけたりしていることも。忙しくて不機嫌になったり、ちょっとした焦りが出て自分が嫌になることも、昔と比べて、特に少なくなってはいないかもしれません。

 

けれどもこれからも、愛を拡散することが基本の人間でありたい、とは強く思っています。愛の中に生き続け、愛を浸透させていくほうを日々、失敗しても選択し続けようと思っています。しかし意識的に選択しようと思わなくても、半ば自動的にそうできる自分にならせてもらっていることこそを、再び感謝したいと思います。

 

今年、近くから遠くから支えてくださった方たちに、お礼を言いたいです。

愛ある反応や注目でどんなに支えられてきたか。とうとうジルの居ないまま、初めて新しい年を迎えることになったけれども、頂いた気持ちの集大成で十分年を越せます。

 

そしてジル、いろんなことに気づかせてくれてありがとう。もしまだ一緒に会話していたら、中には「それは持論なのでは」と言うこともあったかもしれないけれども、時にはハッと目を見開いて、賛同してくれたりしていたのではないかと想像しています。

 

ベルギー大使館でのスピーチ 14/12/2016 My Speech at the Embassy of Belgium in Tokyo

過日の大使館での関係者上映会でのスピーチを採録させていただきます。

ここはジルの「東京都内の、小さな故郷」です。感無量でした。

 

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本日お集まりの皆さま、こんにちは。多くの方々においで頂きまして、本当にありがとうございます。ご紹介に預かりました、映画「残されし大地」監督ジル・ローランの妻、鵜戸玲子と申します。

Hello everybody, and thank you very much for coming today. My name is Reiko Udo, Gilles Laurent’s wife. The director of the film called ‘The Abandoned Land’.

 

 

ベルギー・日本友好150周年というまさに記念すべき2016年、ここ在日ベルギー王国大使館の素晴らしいホールにて、夫ジル・ローランの映画を上映していただけますこと、本当に嬉しく思っています。残念ながら故人となってしまいました夫ですが、彼にとっては異国の中の故郷、とも言えるこの大使館での映画上映、私と一緒に、会場のどこかで誇らしげに、そして喜んで見守っているのではないかと思います。

This is the memorial year of 150th anniversary of friendship between Belgium and Japan. I am grateful to have this event, the screening of his film ‘The Abandoned Land’ in this Embassy of Belgium in Tokyo, at such a wonderfull venue. Unfortunately my husband passed away, for him this is a place like ‘hometown in a foreign country’. He must be feeling very honored and happy somewhere in this place.

 

映画の概要は、すでにお聞きの方も多いと思いますが、震災後の福島を切り取ったドキュメンタリー映画です。ですが、これは夫も申していましたように、福島というフィルターを通して「人間と故郷」について考える映画です。私や娘たちと一緒に日本に移り住み、日本をそれなりに好きだった夫でも、やはりベルギーへの郷愁は強いものがあったかと思います。そんな彼の気持ちがどこか、この映画に反映されているようにも思えてなりません。この映画に出てくる故郷と強く結びついた人々、また、それが奪われかねなかった人々の気持ちというものに、彼は強く共鳴していたのではないかと思います。

Simply put, this film is about ‘Fukushima after the disaster’. But it is not only about Fukushima, as he was saying, it is a film about the bond between the land and the people by looking through the example ‘Fukushima’. It is a film about people’s hometown. He liked Japan as he moved in with me and two children, but at the same time I think he was missing his country strongly. I don’t deny that his feeling for his hometown is reflected into this film. The people who are attatched strongly and naturally to the land… I am sure that their feeling was maybe a resonance of Gilles’

 

映画というものは不思議なもので、見られることによって、その作った人間が亡くなっても、都度その人間がよみがえります。私が皆さんに感じ取っていただければと思うのは、彼が社会的に考えたことや、あらわにしようとした悲劇的な状況だけではありません。彼がまだこの世に身体を持っていた時に、五感を通して愛した物事にも、敏感に反応していただけたらと思います。自然が大好きだった彼は、山々や雲や月や虫たちの美しさ、生活の音、美味しそうな食べ物などをまるで慈しむかのように描いています。彼は、人間としての五感を大いに楽しんだ人物でもありました。

Strangely and wonderfully, a film is a magic. Even if the person who made dies, he comes back to life each time one sees the film. I wish people will feel what Gilles loved strongly, not only the socialistic idea he had, nor the tragic situateion which he tried to clarify. But also the beauty of the nature such as mountains, clouds, the moon, the insects, the sound of the life, delicious-looking foods… he was a person who was enjoying his five senses when he had his own body.

 

今年の4月に夫が亡くなったことを伝えにベルギー王国大使館に参りました時、私はたった一人でした。けれども本日、こんなに多くの仲間に囲まれて、私は一人ではありません。彼が残してくれたのは子供たちと、それからこの映画だけではありません。固い絆で結ばれた大切な友人たち、応援してくださる人々。そしてこの二つの文化の間での架け橋、という貴重な役割も彼は残してくれました。私の旅はまだまだこれからも続いていくと思います。

I was alone when I came to this Embassy in April to report about his death. But today, I am never alone. I am surrounded with a good company of people. What Gilles has left me is not only two children and the film. But also the friends and colleagues who back us up with strong bonds. He also left me an important work to be a bridge between these two countries. My journey still continues.

 

最後に、本日のイベントの実現を叶えてくださいました、ベルギー大使ギュンテル・スレーワーゲン閣下、ヴェルゲイレン参事官、領事のケレマンスさん、そして伊達さんをはじめベルギー王国大使館の皆さまのご厚意に心よりの感謝をお伝えしたいと思います。

みなさま本当にありがとうございました。

To finish my speech, I would sincerely like to express my thankfulness to His Excellency Mr. Gunther SLEEUWAGEN,

Minister-Councellor Mr. Vergeylen, Consul Mrs。Kerremans, Mrs. Daté, and all the people working in this Embassy, preparing and presenting today. Thank you very much.

 

 

 

 

女性たちの感想ノート

ジルの映画「残されし大地」について今まで頂いた感想、特に女性からのコメントをいくつか掲載させて頂きたいと思います。(ベルギーの映画館、京都映画祭などで先んじて見てくださった方たちの感想です。)

 

私が女性ですから当たり前といえば当たり前ですが、私にとって、コミュニケーションは女性どうしが圧倒的です。それにしても、どうも気づいたことがあります。どうやらこのジルの映画は、どこか女性たちの心にすっと響き、浸透していくものがある、不思議なムードを持ったドキュメンタリー映画なのかもしれない・・・ということです。

 

「重いテーマを扱っているはずなのに、見て嫌な気持ちにならない。心地よくて、そして考えさせられるものがある」「ゲンコツを上げるのではない、怒声があるのではないけれども、美しいやり方で伝えてくれる」・・昨日、ベルギー大使館での関係者上映会を終えて、私の身近な女性たちからいただいた感想もそうでした。

 

ある友人(それもやはり女性)は一言、「『君の名は。』も見たけど、こっちの方が良かった。大人にはこっちでしょ」とも言ってくれました。すごいことです。(手前味噌ですみません! でも、ジル本人でも配給会社が言うのでもなく、私が実際に言われたこととして、ここで書くことは許してくださいな。)

 

ジル亡き後、筆頭おしゃべり係として残されたのは女性である私。

そこにも何か理由があるのかも知れません。この映画が、特に女性たちの気持ちの奥底に響くことがあるとしたら・・。それはじわじわと輪になり広がり、爆発的なものではなくても、いつか思いがけず後世に伝わっていくことになるのではないかと思っています。

皆様、ありがとうございます。多くの方たちに見ていただける機会は、気がつくと、もうあと3ヶ月ほどで、春になると訪れます。

この感想ノート、折に触れてまた続けていけたらと思います。

 

「映像も音も美しく、淡々としてるのに物語もあり、心にしみいるようでした。神は細部に宿ると言うけれども、細かいところまで目線が行き届いているのに驚きました。シャイな福島の方たちにあれほど心を開いてもらっており、日本人の感性にシンクロした視点もすごい。 
 中でも個人的に好きだったのが、後半近くで夫婦がお墓まいりするシーン。立派な先祖のお墓に、たくさんの花とお供え物を持っていく気持ちと、測定機を携行する気持ち。それが彼らの置かれた現状と心情を浮き彫りにしていて、思わず唸りました。
 記録映像としても貴重だと思います。たくさん報道されているので福島のことは知ってると思い込んでいたけれど、これほどまとまった映像を見るのは初めてだということにも気づいた・・・。
 監督としても素晴らしい才能を持ってらしたのだと思います。長生きしたら生み出されるはずだった作品を思うと、残念でなりません。」(40代・会社員)

 

本当に大切なメッセージがある素晴らしい映画だから沢山の人に見てほしいです。福島のことだけでなく家族や自分の人生、自然、動物、共存、私達のしていること、、、沢山考える機会をくれる映画だと思う。(30代・自営業)

 

映画は、私はオープニングからハンカチが離せず・・・怪しい人でした(苦笑)。
音がね、もう本当に日本の田舎の音で。私も田舎者なので、色々な記憶に訴えかけられる感じで、そこからすべての日常生活が奪われたことが自分のことのように感じられてすごく辛かったです。
夫は映像がとてもきれいだと言っていました。そして、最後の、ご婦人がたのコーラスから無音になり、淡々と映し出される風景に、鳥肌がたったそうです。(30代・教師)

 

本当に言葉では表せられない程深く心に染み入る映画でした。見てから2日経ったも今でも心が震えます。あの映画を観てから、世界が静かに変わりました。この想いを伝える言葉が見つからない自分がもどかしいです。。 それ程あの映画を届けてくれたジルさんに、形として完成させて世の中に送り出した鵜戸さんに感謝しています。 どうしても映画が観たくて、鵜戸さんのメッセージを聞きたくて、上の子供2人は旦那さんに預け、一番下だけは連れて新幹線で京都に向かいました。もしかしたらじっとしていられず扉付近で立ちながら観るかな、それでもいいから観たい、、、と行ったのですが、なんと1歳4ヶ月の長男は最初から最後まで膝の上でじっとスクリーンを見上げていました。普段はいたずらばかりでじっとしていられない男の子ですから、私自身びっくりです。 京都から愛知の岡崎の家に戻ったのですが、何だか異空間から舞い戻ったかのような感覚になりました。映画の余韻か、数年ぶりの1人(+チビ)外出だったからか、初めての夜の京都だからか、、、『もしかしたらあの映画は神さまがつくったのかもしれない…』ふとそう思いました。 ただただ、ジルさんに、鵜戸さんにありがとうを伝えたくて。とりとめのないメールでごめんなさい。『残されし大地』、私の心の中で一生光り続ける映画です。  (30代・主婦)

 

とても素晴らしい映画でした。福島のことこの2、3年あまり聞かないのに、実際こんな状況なんだということと、そこに住む人たちの生活と現在の思いが語られていて、日本人として色々と考えさせられました。また旦那さんは音響エンジニアだったからなのか、すごく色々な音に気を使っているようでよかったです。木の茂みが風に揺れる音、夜に虫がなく音、普段聞けば何気無い音なんだろうけど、原発の事故の後の街では、ひっそり静まり返った生気のない環境の中で聞こえる生命の音として表現されているようで素敵でした。前から私の周りの人にはこの映画を宣伝していたのですが、もっと勧めたいです。こんなに素晴らしい映画を残してくれたジルさんに感謝です。(40代・主婦)

 

「恋人はサンタクロース」ならぬ、「パパがサン・ニコラ」。 Papa is our Saint-Nicolas

昨年の12月8日は、結果的に、ジルが最後の最後に日本を後にした日でした。

 

12月に入ってからなんとなく、「もうすぐ生のジルの姿を見なくなってから1年になるのか・・」と思ってはいたものの、その日が近づくに連れて、私の胸の中はどこか重いものに包まれていきました。本当の命日は3月22日ですが、この12月8日が、私にとって、彼の”第二の命日”のように感じられていたようです。

 

出発は早朝で、平日であったために空港までは行かず。玄関で子供達と「気をつけて行ってきてね〜!」3人で並んでバイバイしたあの日が、結果として、生身のジルを見た最後の日となりました。

 

ところで12月の6日というのは、ベルギーの子供達のためにとても大事な日です。

サン・ニコラ(聖人ニコラ)という、赤いローブにとんがり帽子、真っ白なあごひげを生やしたおじさんが馬に乗ってやってきて、「一年間いい子だったらお菓子とプレゼント」「一年間悪い子だったとしたら、持参した白い袋に入れてお仕置きしちゃうぞ」という、審判?と甘いご褒美が待ち構えた日なのです。

 

え、でも赤装束と白い髭、そしてプレゼントなんてまるでサンタクロース・・と思った方は、勘がよし! 実は、サンタクロースの”起源”と言われているのが、このベルギーやオランダに伝統的に伝わる、サン・ニコラの習慣なのです。

一説には、アメリカのコカ・コーラ社がこのサン・ニコラを模した広告イメージを12月に作り、サンタクロースというものを始めたのだとか。同じ12月であったためにクリスマスの時期と重なって、それが世界中に広まったという説があります。

 

というわけで、ベルギーの子供達は、12月になると「サン・ニコラ」と「サンタクロース」がなんと別個のものとして2度訪れるわけで、とても美味しい、待ち遠しい季節です。(しかもうちの子供の場合は、年が明けるとお年玉まであるわけですからね・・。)

 

しかし、ハッと気がついたら、今年はサン・ニコラの準備をしてくれるジルがいません。サン・ニコラは、12月6日がメインではあるものの、12月1日から毎日、子供達が玄関に用意したブーツの中、に少しずつお菓子を入れてくれるのです。

ですから日々、子供より先に起きてちょこちょこと用意しなければならないのと、その前にお菓子をどっさり買っておき、見られないところにキープしておく必要があります。

 

私は今年、うっかり1日と2日は忙しさもあって忘れてしまい、子供達に「ブーツ置き忘れたでしょ? だからこなかったんだよ! 今日(2日)置いておけば、明日からは来てくれるはずだからさ」とうそぶいて、慌ててブーツをおかせました。

そしてその日のうちに急いでスーパーマーケットへ赴き、どっさりとお菓子を買い込んできたのですが・・そうか・・去年、ジルはこうして異国である日本のスーパーでちまちまお菓子を買っていたんだろうなあ、と改めて思いました。

わかりやすいチョコレートなどもありましたが、ヤクルトとか、みかんとか、なぜかプロポリスの飴とか(よくパッケージが読めなかったのかなあ)、ヘンなものが選ばれていたりもしました。そんなことを思い出しながら、「あ、これも見たぞ、これジルも選んでたな・・」などと思いながらカゴへポイ、ポイ、と入れていきます。

しかし、そんなことを思いながら動いていると、ただ単にスーパーを廻っているだけなのに否応なく孤独感が増し、寂しさに襲われてズシンとした思いがしました。

 

それにしても、彼が昨年の出発を、あえて12月6日を過ぎてにしたのは、はっきりとは言わなかったけど「サン・ニコラをやってから」という理由もあったはず。

毎年そうですが、昨年も、いそいそとお菓子をブーツに入れるために少しだけ早起きして、そして12月6日当日の朝は、子供達が山のようになったお菓子とプレゼントを前に、驚嘆の声を上げるのを激写していました。

 

ジルが亡くなって1週間後、遺品として受け取ったデジタルカメラの中に残された写真を見て、愕然としたことがあります。

80数枚は、すべて昨年の12月7日の日付で止まっていました。サン・ニコラの当日の写真と、それからその翌日、子供達が絵を描くところを、飽きもせずにずっと撮り続けたもの。それ以外は何も入っておらず、その後の3ヶ月、ベルギーでは何も写真を撮っていなかったのがわかりました。

それを見た瞬間、涙が溢れたものでした。結局、彼にとっては、子供以上にひかれる新たな被写体、ビジュアル的に興味を惹かれるものはなかったのかもしれません。日本を離れてからはひたすら映画の編集作業があったため、スタジオにこもりっきりだったせいもあるとは思いますが。そして、そんな風に同じシーンを撮るだけなのに、何十枚も撮っておく粘り強さも、ああ、ジルらしいなあ、そうだったなあと本人を偲ばせました。

 

今年の6月末、ベルギーの映画プロダクションが催してくれた身内だけの初の試写会 in ブリュッセル。この時、編集担当としてずっとジルと一緒にスタジオ作業をしていたマリ・エレーヌが、そっと私に差し出してくれた2枚の絵がこれでした。「彼はこの2枚の絵を、スタジオにずっと貼っていたの。今日はこれをあなたに返そうと思って」と。

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⇧長女が描いた、サンニコラとお供の馬の絵。「これはサン・ニコラ。描いたのはSuzuだよ」とジルが説明を添えています。

 

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⇧次女が描いたサンニコラは、「お友達の宇宙人と一緒にいます」とやはりジルが書き添えています。(でも、なぜ宇宙人と・・笑)

 

あのカメラの中に残っていた子供達のお絵描き風景。あの時、ジルが子供達に描かせていたサン・ニコラの絵でした。この2枚をずっとスタジオの壁に貼り付けて、毎日仕事に勤しんでいたのか・・。

仕事上の都合とはいえ、生身の子供達に会えなくて3ヶ月以上。スカイプは週に2度欠かさなかったとはいえ、寂しかっただろうなあ。この絵に書き込まれたフランス語はジル。見慣れた筆跡ですが、もう、書いた主はいない。

 

12月はとりわけ家族のことを思う月。

それが、ジルの日本からの最後の旅立ちであったこととも重なって、今まででもしかしたら一番、寂しくて切なくなる月だったかもしれません。事件から数ヶ月の間こそは、ふと一人で外を歩いている移動中、信号待ちの時、またはホームで電車待ちの時などに、ふっと涙があふれる瞬間がたびたび訪れていたものの、最近はそれもかなり少なくなってはいました。けれども12月になって、思い出したように、その習慣が復活。

仕事も決してサボっているわけではないけれども、なぜか能率が上がらなかった。でも、ここまで良きこともたくさんあって、”飛ばして”いただけに、無理もないか! とも思います。

 

ところで12月8日は、お釈迦様が悟りを開かれた日だそうです。

六年間の苦行の後に、悟りを開かれたお釈迦様。奇しくも、ジルと私の結婚生活もそこまでが約6年間でした。文化の違う天然ボケの私との生活、そして自由人なのに一生懸命家庭人をやって、愛する故郷を離れて数年経ち・・もしかして、苦行という部分もあったかな・・?? 今は案外、突き抜けた場所にいて、スッキリしているのかも?なんてことも考えました。

 キリスト教の国に生まれて教育を受けたけれども、その後、仏教にも惹かれていたジル。もちろん、イスラム教にも元来偏見などは全くありませんでした。いずれにしても、分け隔てない、神様的な存在が集まる場所で、大いなるものの懐にも抱かれているといいなと思います。

 

さて、それとは別に、先日の日曜日、12月4日。

ベルギー大使館がサン・ニコラのイベントを催してくれました。日本在住のベルギー人または国際結婚家庭の子供達を招待して、”本物の”サン・ニコラが登場してプレゼントをくれるというもの。よ〜く目を凝らして見ていると、足元がアディダスでしたが・・(笑)。

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マイクを持って、名簿にある子供達の名前を一人一人、呼んでプレゼントを渡してくれます。うちの子供達はまだ就学前なので、辛くも信じています!!「本当のサン・ニコラが来てくれた・・会えた・・この人が毎日、今、うちにきてくれているんだよね〜」「本物、かっこよかったねえ」などと。

 

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大使館で用意されたサン・ニコラの塗り絵に勤しむ子供達。1年経って、昨年より微妙に大きくなっているはずの二人のこと・・今どこかで彼は見守っているでしょう。

パパのスピリットが入ったサン・ニコラはこれからも毎年来てくれるはずです。