故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

ひらがなの衝撃。

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この写真は私の娘。今年の3月に6歳になり、4月には小学校に入学して1年生になった。

 

先日、移動中のタクシーの中で何気なくクリックしたネットニュース。あの5歳児、船戸結愛ちゃんの「ひらがなノート」の文章を読んだ時。

あまりの衝撃に、胸のあたりにメラメラと大きな炎が瞬く間に湧き上がってくるのを感じた。まるで体に突発的に火事が起こったようで、自分でも驚いてしまうほどだった。

 

それから数分たち、こみ上げて来たのは、涙。

これは心からの叫び。書かされた反省文というよりは、とにかくゆるして(”緩くして”)という心からの嘆願書。そして、結びになるのは「明日はもっと頑張るよ」という人間に元来備わった前向きな気持ちから発する、決意の表現・・・こんな方向での表現で、前を向く心が、噴出しなくてはならないなんて。

 

その後間もなく、いろいろな文脈から、彼女が2012年の3月生まれで、死亡当時5歳でもまもなく6歳になるところであり、小学校入学直前のタイミングであった事を知って再び愕然とした。

なぜなら、その生年月は、私の娘と全く一緒だったからだ。

 

約6年間の生涯。

2、3年ほど前に血の繋がった父を失った時期も、だいたい似ている。

この年頃の子がいかに利発になり得て、アーティスティックで、情感も観察力も豊かであるか。同時進行で成長していた我が娘を見れば、とてもよくわかる。結愛ちゃんの中にも、もともと同じものが豊かに育っていたことは全く想像に難くない。それを思うとき、本当に苦しくなる。

幼稚園や施設の先生が「甘えん坊で、明るい子だった」と形容する。曽祖母が「アナ雪の歌を嬉しそうに歌っていたのに・・」と泣いている(それはきっと、2歳の時)。どれを取っても、なんとうちの娘と似ている事だろう。

 

試しに、よく食べる割にヤセ型の娘の体重を改めて測って見た。18.9キロ。この年頃の女児の平均体重は約20キロとあったけれども、それよりやや少ない方。見た目はいわゆるスリムだ。ところが結愛ちゃんは約12キロ。一体、(私の娘の)この体のどこをどう絞ったら、3分の2にまでなってしまうのだろう、と想像を絶した。

 

昨年の秋頃だったか。

朝の支度をバタバタと急いでいた私の傍らで、いつものように空き時間があると工作かお絵かきかに励んでいる娘が、「はいママ!」と、手紙を渡してくれた。「ままだいすき」という言葉で始まる、それも、オールひらがなの手紙だった。

 

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ままだいすき(※全て原文ママ

 

ままいつもおせわおしてくれてありがとうね

しかもいつもままつかれるでしょう

りりもこれかわがんばるよ

いつもままのおかげでげんきがわいてるんたよ

ありがとうね ままたまにわやすんでね

 

みるみる涙が出て来た。それ以来、私のスケジュール帳に挟み込んである。それは当時私が受け取っていた、最初の「ひらがなの衝撃」だった。

 

「ママ泣くと思った〜〜」(私が時に泣き上戸なのを知っていて)とニコニコして抱きついてくるので、「あれ?ママを泣かせようと思って書いたの?」と問うと、「ううん、書きたかったから書いたんだよ」と言う。

 

子供はこんなにしっかり見ている。行間から滲み出てくる、彼女の観察の眼差し。私がバタバタしていること、疲れている時もあることを、一人の人間対人間として。

 

結愛ちゃんのノートの言葉も、混じり気のない絞り出すような心からの表現だったのだと思う。「ママ」という書き出しから始まっていたあの一連の文章は、ママならなんとか聞いてくれないだろうかと考えた、心からの叫びだ。

 

それはあのノートの言葉だけではなくて、「お家と施設と、どっちがいい?」と聞かれた時に「しせつ。」と答えた結愛ちゃんの言葉が、まったく狂いのないものだったのと同じように。それなのに、どうしてその言葉の通りに、大人が動けなかった・・。できれば親元がベスト、なんていう考えを捨てるべきだった。こどもファースト、という意識で私たちは動けているのだろうか。

 

私の夫がベルギーでのテロで亡くなったとき、1年後に印象的な出来事があった。

幾ばくかのいわゆる慰謝料が、ようやく地下鉄会社の加入していた保険を通して出されることになったのだが、それは私宛、長女宛、次女宛と、完全に分割して振り込みをしなければならないのだ、という。娘たちは事件当時、5歳と4歳。だが、あくまでも心理的ダメージを与えた償いは、個々人に支払われるものであるから、と。

 

娘たちの口座は、私もタッチできないものであり、彼女たち自身が18歳になるまで、凍結されるという。それゆえ日本の口座でそんな措置が可能かどうかを調べたのだが、そんな制度は皆無。結果、ベルギーで二人の銀行口座を開設し、それは公的な管理下におかれることとなった。

 

欧米では・・と一括りに言うのはあまり好きではないけれども、それほどまでに、少なくともヨーロッパでは、全てがあくまでも”個人”単位。こどもでも、最初から1個の”大人”として扱われていることが理解できる。

 

日本では、親権がとにかく強すぎるのだと聞く。例えば実の親が承知しなければ、児童養護施設から里親への移行というのも出来ない。様々なケースを一律に議論するわけにはいかないが、ある意味で実の親のわがままが通ってしまいがちなことには、問題があると思う。

 

それから、今回のケースでやはり多くの人が印象を強くしたと思うのが、継父が妻の連れ子を虐待するケースが後を立たないと言うこと。これも、真逆のケースも存在すると思いつつなので本当に残念なことだが、仮に今回のように、新しいパパの人間としての格が最低である(かもしれない)リスクについてだ。

 

NHKプラネットアースだったか。

ツキノワグマの生態を見てショックを受けたことがある。こぐま2匹を育てているお母さんグマが、子殺しをするオスに2度も襲撃を受け、その度に抵抗して戦うものの、子供を崖から突き落とされ、失ってしまうのだ。しかし子供を失うと、その憎き相手のはずの、オスを受け入れる。

オスにしてみれば、動物として自分の遺伝子を残そうとする本能的な手立てなのだろうが、どうしても悲しみともつかない、もやもやが残ってしまった。

今回はそんな動物レベルの事件なのか?

 

この継父の場合、人間とらしさが”生きて”いるのは、小賢しい言い訳のためだけ。躾のためとか、勉強しなかったからとか、モデル体型が云々とか(モデル体系を5歳の子に普通、求めますか。モデルに会ったこともないくせに・・)腹の立つ言い訳が並ぶこと・・。千歩も万歩も譲って、本人も似たような強迫観念を人生のどこかで受けたことが複雑化でもしているのだろうか。

 

表現は最悪だが、こうした”クズレベル”の配偶者に引っかからないためにも、または引っかかってしまったかも、と思っても。女性がすぐに逃げられるような仕事やサポート体制はあることはとても重要だ。それは当然、昨今強く論じられている、子どもの貧困問題にも繋がること。

私もシングルマザーになって久しいが、もしこれで仕事がなかったら、お金がなかったら・・と想像すると、すぐ隣に暗闇が潜んでいることが分かる。何かの歯車が狂えば、と。

 

母親がこの継父と結婚してから亡くなるまでの約2年間。どんなに辛い、地獄のような日々を過ごしてきただろう。パワハラモラハラ、身体的暴力、ネグレクト、隔離・・。おおよそ虐待の全てが詰まったような事態。

しかも、5歳の女児を対象に。それなのに、希望を失わないように、必死に前を向こうとしていた結愛ちゃん。

 

どんな悲惨な死にも、必ず意味があると思いたい。多くの人を今度こそと覚醒させるために、犠牲を払って旅立つ、ある意味で殉教のような死に方をする天使が居たんだと、後になって振り返りたい。

それは、夫があのような形で亡くなった時に、密かに願ったこととも似ている。

 

幸い、制度そのものを動かそうと言う意識が世の中に高まりつつあるのを感じる。親権の制限、自動相談所と警察のより強い連携・・。これを契機に子供の命を最優先するシステムのある社会になって欲しい。

 

彼女のノートの言葉は、もしかしたら数十万のいまも虐待に苦しむ子供達の心を代弁した”書簡”。何人もの子供達の尊い命や尊厳が救われることになるならば、どんなに報われることだろう。そうとでも思わない限り、私たちのやりきれない思いは、どこへ向かっていったらいいか。

 

振り返って私自身と娘のこと。

あんな素晴らしい手紙をくれる娘に対して、今までにもちょっとした失敗をしつこく追い詰めたり、忙しさも相待って言いすぎてしまったことも数しれず。でも、もう、つまらない事を言うのは一瞬でも少なくする・・と誓った。しい、楽しい、そんな瞬間が一瞬でも増えるように。遊ぶってことが、子供にとってすごく大事であると、信じていられる子供時代を過ごせるように。

 

結愛ちゃんと同じ頃に生を受けていた娘を全力で守り続けて、生きてもらおうと思う。