故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

サッカーワールドカップ、日本VSベルギー!!

まさか決勝トーナメントの第一戦目がこうなるとは。日本対ベルギー。

 

言わずもがな、うちの娘たちは日本とベルギーのハーフ&ハーフ(ってピザじゃないけど)。この対戦カードには、二人とも大いに戸惑っている。

 

「それって・・じぶん対じぶんってこと? たたかってもしかたがないよ!」(長女)

 「てゆうか、ママたいパパなんじゃない?」(次女)

 

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ジルの実家が営むホテルに行くと、必ずお義父さんが用意してくれている2カ国の国旗。

 

ちょうど8年前の6月に生まれた長女。

時は南アフリカで開かれたワールドカップシーズン真っ盛り。誕生を心待ちにする日々も、生まれた当日も、そのあとしばらくも・・試合は続いており、なんだかそのムードに包まれきったままの中での出産だったように思う。

横になっていた私の耳に一番残っているのが、あの大会での騒々しかった応援の笛、ブブセラの音。いまもあの頃の不安と喜びがない混ざった、人生の中でも特別だった時間は、ブブセラの音に彩られた形で思い出す。

 

しかしその大会では、なんとベルギーは不調で不出場だった。ならばと、娘の出産を前に来日してくれていた夫は日本を応援してくれることになり、テレビに向かって、「サムライ、ジャッパ〜~ン!」と叫びまくっていた。

ヨーロッパ人らしく、もともとサッカーが大好きで、自分も子供の頃は地元のチームに所属し、週末はサッカーに明け暮れる少年だったらしい。ディフェンダーだった、というのもなんとなく彼らしい気がする。

 

日本戦を見続けるうち、彼が大好きになったのが、いまも活躍するゴールキーパーの川島。

そうしたらなんと、川島はこの大会での活躍直後に、ベルギーのチームへの移籍を発表。さらにはなんと、娘の生後1ヶ月で一旦ジルはベルギーに戻るのだが、その帰りの飛行機に川島と乗り合わせた!! 

空港では記者会見の場も設けられており、生のインタビューシーンなんかも横目に見ながら、そのまま同じ飛行機でベルギーへと旅立って行ったのだった・・。

・・成田から電話をかけて来て、「いま、誰が近くにいると思う!?」と興奮してしゃべっていたジルの口調と、私自身の驚きを今もありありと覚えている。

 

そんなこんなで、ワールドカップというと、いろいろな思い出が押し寄せて、別の次元で人知れずセンチメンタルになったりしている。

 

あれから2大会巡り、今は長女も8歳に。

「どっちがかっても、なんかわたしは、ちぎれちゃうような気がする・・」なんて面白いことを言ってくれるほどに成長した。

 

日本語覚えたてのジルが、「にっせんじゅうねんの、さっかーの、わーるどかっぷ!」と、なんどもなんども、ふざけながらもゆっくり口調でリピートしていたのも、懐かしいなぁ。

 

さて、結果はどうなることやら。

めったにない機会ゆえ、私は娘たちに懇願されて、夜中の3時に二人を起こすことになった。

健康な生活を送るべき小学生にあるまじき、"真夜中観戦"。でも一生のうちでももう一度、あるかないかのイベントと思えば。

 

ジルも天国で、リアルタイムで、めっちゃ熱心に観戦していることでしょう。