故ジル・ローランを偲んで

A blog to remember Gilles Laurent, who died in Brussels Attack in the middle of making his film about Fukushima / this blog is organized by his wife Reiko Udo

愛された映画。

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こんなのもあったな。春の公開前のとある金曜日、読売新聞の映画特集にて。錚々たる映画の中に肩を並べさせてもらっている「残されし大地」。私のインタビュー(右真ん中あたり)とともにコラムを掲載してくれた。


映画「残されし大地」がこの秋、ほぼ、日本での全国順次公開を終えた。

結果はどうだったのかな?と気にしてくださっている方たちもいるかもしれない。

 

配給会社の方からの報告は・・「残念ながらヒットには至らなかったけれども、愛された映画だったと思います」というコメント。まさにそれが言えてしたり。

ぶっちゃけた話、私(ジル監督の相続人として)への身入りはない。もちろん「どうせなら、もしかして(ヒットしたら!)」という期待が私の中になかったわけではないけれども、結果としては、いわゆる利益というものは生み出さなかったわけだ。

 

でも、利益ってそもそも、なんだ。数字的な意味の儲けを表す”利益”、というのの前に、もともとのフランス語の、profitの語源となる動詞、profiterの意味は「楽しむ」なのだ。

 

本来ならば、残念なことにここ日本では”福島”を扱ったドキュメンタリー映画はヒットしないというジンクスがあった。もちろん、ちゃんとフォローしてみている人もいる。けれども、いわゆるエンターテイメントを押しても、少し辛い題材を選び、そしてそれをネットで気軽に、でもなく、時間も空間も制約する劇場へと足を運ぶ・・それができる一般の方は、リアルな世界では本当に少ないのだ。

 

それを押してでも、「ジルさんへの供養」という意味も含めて、公開にこぎつけるまで努力してくださったプロデューサーの奥山さんや配給会社・太秦から頂いたお力。

 

もちろん、供養のためだけという動機で漕ぎ出してくださったプロジェクトというわけでもない。ある意味、ジルそのものでもあるわけだけれども、どこかヨーロピアンな静かだけれども深い視点。映像作家ならではの絵の切り取り方、音の再現の方法、などのいろいろなことが響いてくれた。そして、これが魂を込めた直後に姿を消した監督のものだったから。

 

先日、とても久しぶりにツイッターなどで「残されし大地」の感想を調べていたら、「観た直後は感動した!というほどではなかったのに、日が経つにつれ、思い出され、思いが濃くなり、今となっては号泣してしまうほどの気持ちに至っている」という素敵なコメントにぶち当たった。この人は誰だろう・・。

 

私の、いわゆる知り合いが、こぞって映画館に駆けつけてくれた。

でもこうしてちゃんと、誰か知らない人の胸にも届いているんだった。

 

楽しむ・・というと語弊があるかもしれない。人間としての、心に働きかけること全般を”楽しむ”というふうに意訳するならば、この映画は届いた場所では、本当に楽しんでもらえたのだろう。そして劇場公開という手段がなければ、決して届かなかった人々の胸にも届いているのだから、本当にありがたい。

 

少し話がそれるけれども、明日は衆議院選挙。

小選挙区制度では1人しか選出されないのだから、そのほかは”死に票”なんていうけれども、それはすごい間違いだと思う。確実に、落選した人々にも数字がついている。

その数字の裏には一人一人の、人間の心がはっきりと息づいている。

記録として残る。そしてその数字は消えることがない。いつだって、参照できるものであり参考になるものであり、この先の何かの種になるやもしれない。

 

劇場公開もそうで、確実にそれぞれの劇場で、「1」という数字が増えていたとしたら、それは足を運んでくれた誰かの痕跡。

 

ジルの映画に、足を運んでいただいた皆様。

本当にありがとう。